一生忘れない、ギターウルフのライヴと名言

   

text:高良俊礼(Sounds Pal)

ギターウルフ ライヴ

商売柄、色んなライヴを観てきた。

「良かったライヴ」「感動したライヴ」を挙げるとキリがないが、一番「刺激的だったライヴ」といえば、2002年6月に、ASIVIで体験したギターウルフのライヴ、これに尽きる。

あんなに盛り上がったライヴはそれまで経験したことがなかったし、心の奥底から「燃える」という体験も、あれが最初だった。

そして、年齢的なことなど色々と考慮すると、もしかしたらもうああいう体験をすることは今後二度とないと思う。

クレイジーな日本のバンド

ギターウルフの名前を初めて知ったのは、1997年頃、東京で「CD屋修業」始めたばかりの時だった。

90年代半ば、空前のメロコア/ハードコア・ムーブメントパンクがシーンを席捲する中、インディーズではパンクの原型である「ガレージ・ロック」再評価の機運も高まり、その中で頭角を現すバンドが次々と出てくる中、既に本国より先に海外で注目され、アメリカを中心に硬派なパンク/ガレージ・ファンから「クレイジーな日本のバンド」として、絶大な支持を集めていたのがギター・ウルフだ。

揃いの革ジャンにサングラスでキメた「ギターウルフ(セイジ)、ベースウルフ(ビリー)、ドラムウルフ(トオル)」の3ピースが 放つサウンドは、とにかく「轟音、爆音、ストレート」以外の余分なものは一切ない。

あるムシ暑い夏の日に、インディーズ盤『ミサイル・ミー』(1995年リリース)を聴いてみたが、これがもう洗練とか洗練とか、アレンジとかそういう全ての”まっとうなもの”を蹴り飛ばしてツバを吐いたような・・・、要するに割れまくって何をやってるのかさえ判らない“酷い音”」だった。

当時ブルースに狂っていた私は、一発でその“酷い音”の虜になった。

狼惑星

その荒々しい初期衝動がブチ切れ過ぎて何かを突き破ったたような音に、パンク以上にパンク、つまりギター・アンプの使い方とかよく分からないから、ツマミをフルテン(全部最大)にして、割れまくった音でギターを弾いていたという、エルモア・ジェイムスとかギター・スリムとかいうアタマのオカシい昔のブルースマン達のサウンドを重ねて、私は興奮したものだった。

丁度時期を同じくして、私と同じように興奮したであろう“ブルースバカ”であるところのジョン・スペンサーの激烈な推薦によってギターウルフは我が国でもめでたくメジャー・デビューを果たし、『狼惑星』という、世界ロックの歴史に残る大名盤を、爆音と共に世に放ち、そしてツアーで行く先々で、「音がデカ過ぎて機材がイカレる」とか「野外フェスなどの大きなステージでは、高々と積み上げたアンプ(推定3m以上)の上からギター持ったままジャンプする」等、様々な伝説を残しつつ、現在に至る。

前置きが少々長くなったが、ギターウルフはそんなバンドだ。

奄美 ギターウルフ ライブ

1999年が20世紀と共に終わろうとしている秋の頃、私は奄美に還って来た。

当時まだ20代、実家の「サウンズパル」で稼業に励みながら、東京で知ったあらゆるカッコイイ音楽を、シマの若い人達に広めようという意欲にも燃えていたが、シマの若い人たちは本能的に「タテノリ」より「ヨコノリ」が好きで、ロック好きもどちらかというとロックンロールなガレージよりも、トランス系のサイケを好む傾向があったので、ギターウルフの“布教”には、大変苦労した。

だが、一部の気合いの入ったパンクス達は、私が「ギターウルフ、かっこいいよ!」というと「ヤバイっすよね!」と、即答でアツい反応が返って来た。つまり、知っている人たちには、布教の必要などないぐらいにその名前は知れ渡っていたのだ。

それから数年を経て、あるプロモーターの方が企画して、ギターウルフの奄美ライヴが実現した。ところが、前売りのチケットは、一部の熱心なパンクスの人たち以外にはほとんど売れなかった。

当日会場であるASIVIに集まったのは、40人もいなかったんじゃないだろうか。とにかく会場はガラガラのスカスカ、プレイガイドと、会場での即売もお願いされている身としては、本当に心苦しく、申し訳ない気持ちで一杯で、ライヴが始まるまで私は即売ブースの中で縮こまって恐々としていた。

プロモーターの方にも「頑張りが足りませんでした、すいません・・・」と謝るしかなかったが、「いやぁ、こういうのはツアーやってれば当たり前のことで、慣れてますから全然大丈夫ですよ。

いや、多分今日は彼ら絶対燃えるんで、ヤバいライヴになると思います」と、ニコニコしながら言う意味もよく分からないまま、ライヴが始まった。

暴動

いや、想像を遥かに超えた凄まじいギターの轟音と共に、狼たちが暴れ始めた。

その瞬間である、会場に居た観客全員が、一斉にステージの前に突撃して、狂喜の暴徒と化した。

開場前にある若い子が「いや~、今日は客入りがコレですから、オレら1人10人分は暴れてやりますよ」と宣言していたが、まさかのまさか、一曲目の一発目で“それ”がおっぱじまるとは、私は思いもしなかった。

ステージ前のスペースはいくらでも空いているから、最前列の連中は、もう暴れ放題、やりたい放題である。

こうなったらもう私の「パンク魂」も黙ってはおれない、気が付いたら妻に「ちょっと行って来る」とだけ言い残して、物販台を飛び越えて、気が付くと最前線の「暴動」の中に突っ込んでいた。

「暴動」の中心部では、周囲にいる奴らの身体、拳、肘、膝、足の裏、などなど・・・、およそ考えられる全てのパーツが、打撃として飛んで来て、私の体のあちこちにクリーンヒットした。

これはもちろん、スペースがあるから、みんな夢中になってノってるので無意識でそういう風になっていたのだ。

もちろん私も、あんまり覚えていないが無意識でそうしていた、と思う。

そうなっている間にも、ステージからはいろんな人間が代わる代わる降って来る。

ダイブというのは、客がギッシリおるから綺麗にキャッチ出来るのであって、こういう状況では「下におるヤツ」がキッチリと受け止めてやらねばならない。

ほんの一瞬であるが、気付いたら100kg超の巨漢の背中が視界の全てを覆い尽くしていた。

「あ、これ死んだ」と思ったが、どうにかそれを受身で上手に(お互い怪我をしないように)流し、かと思えば自分の背中に乗ってくるヤツもいる、ステージを観れば何とウチのバンドのドラムやってる友達が、セイジさんのギターを持って暴れている。

今にして冷静に思い返してみると、電気増幅されているとはいえ、生身のたった3人の人間が出している音が、それだけのカオスを作るということの凄まじさにおののくばかりであるが、その時は私も冷静ではなかったので、ギターウルフの「命の危険を感じさせる程の爆音と状況」に酔っていたので、冷静な思考は何ひとつ出来ずに、無我夢中で暴徒の一人と化していた。

アイ・ラヴ・ユー・OK

正気に戻ったのは、アンコール前、3人が一旦楽屋に戻ってからのことだ。

「あ、いかんいかん、売り場に戻らねば」と、汗まみれの耳鳴りまみれのヨレヨレの風体で戻ったら、プロモーターの方が「いやぁ~、今日のライヴは凄いですよ、コレでアンコールで《アイ・ラヴ・ユー・OK》やったら彼らゴキゲンってことですよ」と、ニコニコして言っていた。

《アイ・ラヴ・ユー・OK》は、言わずと知れた矢沢永吉の名バラードである。

セイジさんがギター弾き語りでコレをやる、というのが、ギターウルフが「ゴキゲンなライヴを演ることが出来たこと」のバロメーターらしかった。

テレビで何度か観たやつだ、ああセイジさん、《アイ・ラヴ・ユー・OK》を唄ってくれ、演ってください、お願いします! 祈るような気持ちでアンコールの大合唱に参加しながらその時を待っていた。

ステージには、セイジさんが現れた、ギターを持って、「キィィーーーン!という激しいフィードバックノイズの後に

「アイ!、ラヴ、ユー!オォケェーーーーーイ!!!!」

やった!コレがキた!!

私は多分大絶叫してたと思う。

名言

今、記憶を頼りに記事を書いているのだが、肝心な記憶が興奮し過ぎてほとんど曖昧なので困るが、こういうのは勢いに任せてガーッと書くに限る。何と言ってもギターウルフだ、色々と冷静な分析をしたり、文字で理屈をこねくり回しても、彼らの音楽にちょっとでも掠るだけで、そんな小賢しいものは全部ぶっ飛んでしまう。

ライヴの後、セイジさんに挨拶をした。

もう感動して興奮して、何を言っていいのか分からず、私は思わず「悩みが全部吹飛びましたー!」と、言ってしまった。

そしたらセイジさん、満面の笑顔でこう返した。

「悩み?そんなのあってどうするんですかー!」

ロックである。

私は数々のロッカーの名言を、本で読んだりインタビュー映像で読んできたが、生で聞いたロッカーの言葉で、これ以上ロックな名言を知らないし、今後知ることもないだろう。

フーチー・クーチー・スペースマン

あれから14年、ギターウルフは2005年にベースのビリーさんが急逝し、新メンバーのU.G.さんが加入したが、相変わらずそのサウンドは初期衝動をブチ切って突き抜けているし、それ以上に世界中を飛び回って最高のライヴを繰り広げている。

2012年にリリースされたアルバム『宇宙戦艦LOVE』が最近の私のお気に入りだが、これの一発目《フーチー・クーチー・スペースマン》が最高だ。

楽曲はタイトルからもお察しの通り、マディ・ウォーターズの《フーチー・クーチー・マン》調のアレであるが、歌詞が凄い。

「宇宙の半分がオレを愛してる!」だ。

ロックである、クレイジーである。

彼らには、クレイジーなままで、これから先何十年もずっとロックして、世界のあちこちで暴動を発生させ続けて欲しい。

いつか私も死んで、「生のギターウルフを知っている世代」もみんなこの世からおさらばした後も、ギターウルフは伝説として語り継がれ、聴き継がれることになるだろう、いや、絶対になる。

その時は「悩み?そんなのあってどうするんですかー!」というセイジさんのロック名言が、世界中に拡散して浸透していますようにと、私は密かに、そしてアツく願っている。

記:2014/10/28

text by

●高良俊礼(奄美のCD屋サウンズパル

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