こんな感じで、ベーシスト ~楽器と身体の相性の話

      2019/07/05

bassist

しっくりきたベース、しっくりこないピアノ

パーシー・ジョーンズ、ミック・カーンのようなフレットレスベース奏者の縦縦横無尽な表現力、シンセベースも含めてツボを押さえまくりの細野晴臣のライン、直立不動でビートを刻む松井常松、目が眩むほどウネリまくるブーツィ・コリンズのプレイ……。

「ベースはカッコいい」という憧れは昔から持っていたにもかかわらず、ベースを本格的に始めたのは比較的遅く、22歳の秋からだった。
(その前に20歳の頃、半年ほどバンドを結成して遊びで弾いてはいましたが)

重い腰を上げてベースを始めたの理由は、大学のジャズ研で、唯一4ビートを弾けるベーシストが、あまり部室に来なくなったので仕方なく、というのが正直なところだ。

ベースという楽器は、手にした瞬間、とても身体にしっくりとくる楽器だと思った。

身体の一部とまではいかなくとも、「身体の器官の延長」というような手応えは確実に感じた。

始めたのが遅かったため、さすがに周囲とのハンディを感じ、すぐに個人レッスンについた。

自分で言うのもヘンだが上達は早かったと思う。

もちろん、人さし指や中指の指先の皮を剥いたりと人並みの苦労はしたが、2、3週間で簡単な4ビートとベースラインが弾けるようになり(ウマイかヘタかは別として。一応カタチにはなったかな?といった程度の意味で)、一ヶ月後にはステージに立ってジャズのスタンダードやブルースをしかめっ面をして偉そうにジャンプしながら弾いていたのだから、愚鈍な自分にしては上出来だったなと思っている。

恐らくベースという楽器との相性が良かったのだ。

このことからも思うのだが、人それぞれ楽器との相性があるのだと思う。

ポール・ジャクソンは、最初はサックス奏者を目指していたが、頭にビリビリくる痺れがどうにも我慢ならずにベースに転向したという。

「さよならバードランド」の著者のビル・クロウも最初はバルブトロンボーン、ついでドラムス、それぞれの楽器でステージやアーミーバンドなどの遍歴を重ねた上で、最終的にベースに落ち着いたのが20代の半ばだった。

マーカス・ミラーも今でも時折演奏はするが、バスクラリネットをやっていた。

…などなど、周囲のミュージシャンを見渡しても、自分の身体の相性とフィットする楽器とそうでない楽器がどうやらあるようだ。

かく言う私自身、エリック・ドルフィーが大好きなので、サックスを少しだけかじり、ロングトーンの練習をやったりしたこともあったが、ポール・ジャクソンと同様に、どうしても頭のテッペンに来るシビレが我慢ならなくてやめてしまった。

ギターの一つも出来なきゃ格好悪いと思って、中学の時にはギターを習いにいったこともあるが、チマチマした細い弦をチョコマカとはじくのが何ともセセコマシくて、アタマの中に虫が一万匹いるようなカユさを感じ、わずか一日でやめてしまった。

ピアノは一時期習っていたこともあって、実際今でもよく弾くが、実はとても苦手な楽器の一つで、巨大なメカのカタマリに組み敷かれないよう、ひたすら格闘しているような気分になってしまう。

この、一見万能そうなごっつい木のカタマリを制御するだけの知力と体力と自信はまったくない。それ以前に、思った通りに指が鍵盤に着地してくれないので、間抜けなことに、今でもよく鍵盤と鍵盤の隙間に指を挟んでしまう。

長年接しているピアノでもそのような事態が発生するにもかかわらず、ベースだとそのようなことがまったくない上に、気持ちと音がピタリ一致する。こいつは気持ちが良い。

そんなワケで、今のところ自分の身体に一番相性の良い楽器はベースだと思うわけでして、ベース以上にしっくりとくる楽器が出現しない限り、俺のベース馬鹿っぷりはしばらく続くのだろう。

ただし、一つ注意しなければならないことがある。

自分の意志通りに操れるさとタカを括るあまり、練習がオロソカになってしまいがちな点。

考えてみれば先週やったライブと、一ヵ月前にやったライブの間に、ただの一度もベースに触れていない自分に気がついた。

忙しいとはいえ、さすがにこれじゃいかん、ヨソのベースのサイトの掲示板を見ると毎日スケール練習を1時間は欠かさないツワモノたちがザラにいるからなー。

別に練習だけしてりゃいいってもんでもないけど、イメージと音が直結しなくなると、それは表現の上での致命的だ。もう少し気持ちを引き締めようと思った次第。

記:1999/08/06(from「ベース馬鹿見参!」)

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