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ジャズと映画とプラモの日々:高野雲

鳥山明の本質は短編作家である。

   

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前半が良い

先日、『ドラゴンボール』を再読しました。

完全版のやつね。昔、息子に買ってあげたやつ。

久々に面白く読ませてもらったけれども、やはり物語が後半に進めば進むほど、無駄に(?)スケールがデカくなり、それに伴い、ストーリーも、やや冗長になってきて、場合によっては退屈に感じることもあるのは、いた仕方の無いことなのかな。

しかし、前半は、とても面白いです。
悟空がまだ小さかった頃のエピソードは、前作『Dr.スランプ』の小ネタのオンパレード的な作風を残していたからなのでしょう。

独特な絵のタッチとディフォルメが効いた丸っこいメカと、メリハリのある構図、小気味良いキャラクターの動きが、鳥山明独特のストーリーテリングとマッチしているのです。

短編作家としての資質

『ドラゴンボール』って、結局、「サイヤ人編」や「フリーザ編」、もしくは「セル」や「魔人ブウ」編が好きな人と、前半の「レッドリボン軍編」や、初期の「天下一武道会編」が好きな人とでは、かなりの感性の差があるのではないかと思います。

個人的には『ドラゴンボール』の作者、鳥山明という漫画家は、長編よりもむしろ短編作家的な資質の持ち主だと思うんですよね。

ただ、卓越した画力の持ち主ゆえ、フリーザ編以降のスケールの大きな戦いも難なく描けてしまう。
そこが、「いつまでもエンドレスで連載を続けなければならない」という十字架を背負うことに繋がってしまったのかもしれません。

アート・ペッパーを思い出す

その昔、アート・ペッパーという素晴らしいアルトサックス吹きがいました。

彼の持ち味は、卓越したインプロビゼーションの閃きです。
特に活動初期のペッパーが即興で生み出すフレーズは、ピリリと締まりのあるサックスの音色とピタリと一致していました。

しかし、刑務所から出所してカムバックした後期のペッパーは、ジョン・コルトレーンが新たなスタイルで一時代を築いたこともあり、彼もそのスタイル(モード奏法など)にチャレンジします。

もちろん、後期のアート・ペッパーの演奏も悪くはないのですが、本来の持ち味を、ある意味強引にスケールアップさせたがために、表現の濃密さが薄れてしまったのではないかと個人的には感じています。

もちろん、そのようなチャレンジ精神を評価するジャズ評論家の故・岩浪洋三氏のような方もいらっしゃいますし、私も後期のペッパーの作品は嫌いではないのですが、やはり私は初期の演奏のほうが彼の資質、持ち味が幸せな形で融合していると感じるのです。

感性、音色、フレーズ、演奏素材。

これらの要素の幸せな融合です。

興味ある人は、彼の初期の名作『サーフ・ライド』をお聴きになってみてください。

参考記事:サーフ・ライド/アート・ペッパー

ペッパーの本質は初期の短めの演奏だと私は思っています。

それと同様、鳥山明の本質も、初期の短めのエピソードにあると私は思っています。

バトル(?)ではなく、短編小説的な小回りの効いたストーリー展開。
基本、一話完結の『Dr.スランプ』だったり、『ドラゴンボール』初期のエピソードです。

もちろん、スケールアップしたバトルが中心となってしまった後半においても、チラリと鳥山明ならではのユーモアセンスが表出したエピソードがあります。
それは「魔人ブウ編」の前半のストーリーですね。。

高校に通う悟飯がグレートサイヤマンに扮して小悪党と戦うエピソードなんかに、これくらいのスケールの間尺に合った鳥山明のストーリーテラーの資質がよく出ていると思います。

そうそう、このタイヤマン、ではなくてサイヤマンのエピソードを読んでいると、短編集に収録されている『キャッシュマン』を思い出しますね。

これぐらいの「クスリ笑い級」の小回りの効いたエピソードが、個人的には、鳥山明の絵柄とストーリーが合致して読んでいて心地よいんですけどね。

しかし、将来の伴侶となるビーデルとの出会いが絡む「グレーとサイヤマン」のエピソードは、リアルタイムで『少年ジャンプ』を読んでいる時は、今までの流れとは違う新たな展開が始まるのかな?と期待していたのですが、編集部からの指示からなのか、結局は遠大な戦いもののストーリーの本筋に戻ってしまい、「またか」とガックリときた記憶があります。

ただ、この「ブウ編」は、ミスターサタンが登場することがホッとする一要素ではありました。

やはり小回り、小ネタが持ち味な鳥山明が得意とする人物は、どこかコスくてズルいけれども憎めないどこかオマヌケなキャラだと思います。
スケールが大きくなればなるほど、殺伐としたムードになりがちなストーリーの中、サタンのようなキャラは貴重です。

彼が良い役回りを果たす「魔人ブウ編」だからこそ、どんどんパワーアップしてゆく強敵との殺伐とした対戦エピソードで終わらずに良かったと思っています。

短編も読もう!

メガドン級のヒットを放ってしまった『ドラゴンボール』上では、そのような小回りの効いた話題を展開させることは、回を重ねるごとにどんどん難しくなっていってしまったのでしょうね。

1995年にコミック上ではエピソードが終了しているにもかかわらず、つまり、今から20年以上前に話が終了している現在においても、時おり、さらにスケールを増長させた映画やアニメが制作されているところを見ると、いまだにテレビ局と映画会社は『ドラゴンボール』というヒットコンテンツを骨の髄までしゃぶろうという基本姿勢を変更するつもりはないようです。

『ドラゴンボール』というスタートの時点においては小回りの利いた痛快活劇は、もはや完全に作者・鳥山明の手を離れたコンテンツになってしまいましたね。

それが、ガンダムや仮面ライダーだったら、「別の世界の別のエピソード」ということにして、様々なバリエーションの作品が生み出せたのでしょうが、『ドラゴンボール』の場合は悟空などの主要キャストがいなければ、話にならないですからね。スピンオフ編を作ろうにも限界があると思います。

もちろん、時代を超えて『ドラゴンボール』は多くのの子ども(や大人)たちを喜ばせていますし、それが日本だけではなくアニメに関して言えば世界80ヵ国以上で放映されたそうですから、ワールドワイドなスケールの素晴らしいエンターテイメント作品であることには間違いありません。

しかし、だからこそ、これを産み出した作者の別の作品にも触れて欲しいと思うんですよね。

やはり、鳥山明の本質は短編にあり!

もし『ドラゴンボール』しか読んだことがないという『ドラゴンボール』好きさんは、これを機会に短編のほうも読んでみてはいかがでしょう?

同じ作者なのに、また異なる味わいを楽しめると思いますよ。

記:2018/10/10

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