ジャズ喫茶「いーぐる」後藤雅洋マスターの影響をモロに受けています/ビジネスマンのための(こっそり)ジャズ入門

   

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後藤マスターの影響

先日、シンコーミュージックさんより出版させていただいた、拙著『ビジネスマンのための(こっそり)ジャズ入門』ですが、この本、ジャズ喫茶「いーぐる」のマスターである後藤雅洋氏の影響を濃厚に受けていることを改めて感じました。

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いや、もちろんすべて自分が感じたことや、考えを放出した集大成的な内容になっていますので、剽窃やパクリはしていないですよ。

しかし、自分が書いた内容を改めて読み返してみると、表現内容は違えど、私の「ジャズ観」のベースとなっているのは、まぎれもなく「いーぐる」後藤さんの「ジャズ観」なんですね。

「後藤さんのジャズ観」という曲があったとすると、曲の骨格となるコード進行はそのままで、上にのっかるメロディやテンポが「ビジネスマン向け」に変わって演奏(執筆)されているような感じですかね。

著者校の時に気が付いた

このことに気が付いたのは、ゲラ(初校)が上がってきた時。

届けられたゲラを著者校(著者校正)をするわけですが、どうもどこかで読んだことがあるテイストだなぁ、なんて思いながらチェックをしていました。

もちろん、書いたのは私本人ですので、自分が書いた内容であることには間違いないのですが、どうも読んでいる時の感触が、誰かの本を読んでいるような感じなのです。

チャーリー・パーカーの章あたりのところで、ああ、これって『ジャズ・オブ・パラダイス』の後藤さんテイストじゃん?!と気付きました。

あるいは、講談社現代新書の『ジャズの名盤』みたいじゃん?!と。

文体は全然違うんですけど、(後藤さんには失礼かもしれませんが)ジャズの捉え方と、それを紹介するポイントが似ているんですよ。

一冊の本で働く場所まで決定

『ジャズ・オブ・パラダイス』は後藤さんの処女本です。

今では講談社から文庫として発売されていますが、出版当時はJICC出版局(現在の宝島社)から出版されていたソフトカバーの書籍でした。

私はこの本を読んでえらく感激し、学生時代は後藤さんのお店「いーぐる」でアルバイトをさせていただき、さらに、この本を出版した出版社に新卒で就職しました。

それほど私の人生に影響を与えた本でもあるわけで、やっぱり無意識のレベルで、この本に書かれた内容は浸透しているんだなと感じたものです。

「ジャズ本」封印

もちろん、今回の本を書くにあたり、私は一冊たりともジャズ関係の本を参照しませんでしたし、触りもしませんでした。

なぜなら、私はジャズファンというよりは、それ以上にジャズ本マニアのような気がするからです。

ジャズのライブに行くことよりも、家の中に引きこもってジャズの本を読んでいるほうが好きな性分なんですね。

あ、もちろんライヴも好きですよ。
でも、日常的には毎月何本もライブに行くような生活をしているわけではなく、ジャズを聴きながら本を読んでいる時間のほうが長い。
自分にとっては、こちらのほうがしっくりくるようです。

だから、色々な本の様々な方々たちが主張されている「ジャズのエトセトラ」が、私の頭の中にはストックされている。
もし執筆中に、本棚にある様々なジャズ本を触れたり読んでしまったりすると、私の諸先輩ジャズ評論家の方々たちの主張を、あたかも自分の考えのごとく書いてしまうことが怖かったのですね。

また、十数年間、このサイトや他のブログにジャズのことを書き連ねてきているので、頭の中には、それ相応のストックがあるので、私にはこれまで書くことによって培ってきたことを、今回の本に盛り込もうという意欲もありました。

ですので、本の原稿を書いている間は、大袈裟に言えばブレを無くすために一切のジャズの活字情報をシャットアウトした状態で臨んだのです。

音声入力した文章に手が加えられて読みやすくなった

さらに、文字を書くのが億劫にならないように、本文に関してはほとんどiPhoneを使った音声入力で執筆しました。

>>iPhoneの音声入力、使えます!~「こっそり本」執筆ウラ話

きっと、これがいけなかったんですね。
いや、結果的に良かったのかな?

どういうことかというと、私が思いつくままに喋った内容を編集の富永さんが、かなり手を加えて下さったため、自分の文章でありながらも、非常に読みやすい内容に仕上がっていたのです。

ですので、ゲラチェックをしている際は、「自分で書いた内容なのに、まるで自分が書いたとは思えないほど読みやすい」文章に仕上がっていたのですね。

いや、もちろんiPhoneに音声入力をした内容をそのまま入稿するような無謀なことはしていませんよ。

音声入力でテキスト化した内容を、パソコンの画面上で読みやすいように修正しまくって原稿を送っていました。

しかしそれでも、せっかく喋った内容を削るのは勿体ないというケチな根性が働いていたんでしょうね。

「雲の文章は重複が多すぎる!」と富永さんからはお叱りのメールが。

そう、富永さんはクドい私の文章をスッキりと読みやすいスリムな内容にかなり手を加えてくださっていたのです。

ですので、まるで自分が書いたとは思えないほど読みやすい」文章に仕上がっていたのでしょう。

と、またクドく同じ文章を書いてしまっています(汗)

なんか、私特有の「クドさ」が払しょくされ、あっさりテイストのスッキリとした読み心地の文章になっているんですね。

同じ編集者が手がけたジャズ本

先ほど、後藤さんの著書のテイストを感じたと書きましたが、よくよく考えてみれば、後藤さんの処女本の編集者も富永さんなんですよ。

富永虔一郎氏は、知る人ぞ知るマルチな才能をお持ちの敏腕編集者。

作家・楡修平さんのデビュー作『Cの福音』からはじまる「朝倉恭介シリーズ」の編集も手掛けられており、当時は「出版界の名伯楽」とも評されていた敏腕編集者なのです(たしか、二作目の『クーデター』の時だと思いました)。

もちろん、音楽本やクライムノヴェルのみならず、写真集に絵本、それに女性ファッション誌の編集長も務められたこともあるお方で、いわばマルチな才能を持つ編集者さんでもあります。

このような敏腕編集者が、ワタクシの駄文に鋭くメスを入れてくださったお陰で、素材はもちろんワタクシ高野雲でありながらも、富永テイストもどこかで感じられる内容になったのでしょう。

おそらく、後藤さんがお書きになられた『ジャズ・オブ・パラダイス』も、富永テイストが漂っているのではないかと思われます。

つまり、著者は別人でありながらも、携わる編集者が同じだと、やはり編集者のテイストが出てしまうのかな?などと今回の本を著者校している際には感じたのです。

特に、後藤さんの著書も、私の本も小見出しや脚注のつけ方が秀逸で、それはあたかもフィリー・ジョー・ジョーンズのリムショットのごとく、本文を読んでいる時のスピード感を倍加させる効果があるように感じています。
ダラダラした私の本文を要所要所でビシッと区切って、短い言葉でパシッと分かりやすい小見出しを付けてくださっているのです。

ですので、書いた私本人も驚くほど、初校チェックの際は読みやすくなっていたのでしょう。

さながらブルーノートの如く

ジャッキー・マクリーンとソニー・レッドという2人のジャズマンは、個性もテイストも異なるアルトサックス奏者でありながらも(似たところもあるけれど)、ブルーノートというレーベルから出ているアルバムを聴くと、演奏内容は違うけれども、どこかしら似たテイストを感じる瞬間があります。

これは、2人ともチャーリー・パーカーの影響を受けているということもあるでしょうが、それ以上にブルーノートの社長であるアルフレッド・ライオンの個性も混入されていることも見逃せません。

さらに、音から漂う同質な感触は、アルフレッド・ライオンがイメージする音を忠実に具現化したエンジニアのルディ・ヴァン・ゲルダーが作り出した音のテイストの賜物でもあります。

このようなことが、後藤さんの本と私の本との微妙な同一テイストから感じました。

富永さんはかつて同じ出版社の大先輩でもあり、同じ部署で仕事をしたことはありませんが、宣伝の仕事を長くしていた私は、宣伝の計画や打ち合わせやイベントなどで富永さんと一緒に仕事をすることも少なくなく、また、富永さんが手掛けられた故・中山康樹氏や小川隆夫氏のジャズ本も全部読んでいるので、富永さんの仕事ぶりはよく存じていたつもりではあったのですが、実際に本を書いてみて、はじめて編集者・富永イズムを感じ取ることが出来ましたね。

もちろん、後藤さんの著作と、私の今回の『こっそりジャズ入門』が同一テイストであると感じたことは、私の思い込みに過ぎないかもしれないので、先日の出版記念イベントの打ち上げのときに、上記考えを後藤さんにぶつけてみたところ、「それはあるかもしれないね」とのこと。

後藤さんは私の突飛な発想に付き合ってくれただけだったのかもしれませんが、いやはや、私の大先輩であり師匠でもある後藤さんに、ワタクシごときの若輩者が「似ている」なんて言ってしまい、大変おこがましいことを言ってしまったものだと反省しております。

編集者の色

それでも、私自身が今回痛感したのは、ジャズのレーベルにはレーベル固有の個性が音やジャケットに表れるように、本も著者が違えど、担当した編集者の色が現れるものだということを、実際に書いてみて初めて痛感した次第です。

考えてみれば、富永さんが編集したジャズの本って、皆読みやすいもんね。

それに、後藤さんと寺島靖国さんという「2大ジャズ喫茶マスター」の本を両方編集したのも富永さんぐらいなんじゃないかな?

興味ある方は読んでみると面白いかもしれませんよ。

主張がまったく異なるお二人の文章からは、そこはかとなく同一なテイスト、カラーを感じるのであれば、それはまぎれもなく編集者の力(個性)だと思います。

記:2016/11/20

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