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ジャズと映画と本の日々:高野雲

漫画版『君たちはどう生きるか』おじさんのようなおじさんになりたい

   

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漫画 君たちはどう生きるか

教養小説の日本版

ドイツの教養小説を思い出した。

自己形成小説とも呼ばれている教養小説とは、乱暴にまとめてしまえば、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』やグリンメルスハウゼンの『阿呆物語』、トーマス・マンの『魔の山』など、要するに、悩める主人公が遍歴を繰り返しながら「自己とは何か」、「いかに生きるべきか」を模索する文学だ。

日本で教養小説の影響を濃厚に受けた作家といえば、『路傍の石』の山本有三や『次郎物語』の下村湖人が筆頭に挙げられる(さらに、現代の作家だと下村湖人の影響を山田詠美が受けていると思われる作品があり、センター試験の問題に出題されたりもしていましたね)。

その山本有三は、東京帝国大学(現在の東京大学)の独文学科選科でドイツ文学を専攻していたが、おそらくその時に教養小説の影響を受けたと思われる。

そして、『君たちはどう生きるのか』の著者である吉野源三郎も、東京帝国大学出身で、しかも山本有三と交流があったことからも(山本有三の「日本少国民文庫」編集主任だった)、『君たちはどう生きるか』から漂うムードは、教養小説の日本版といっても差し支えないだろう。



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著名人たちも注目

戦前直後に書かれた『君たちはどう生きるか』が、コミック版ではあるものの、21世紀の平成世の日本で注目を浴び、ベストセラーになっていることは興味深い。

もっとも、その大きな理由は宮崎駿がアニメ化をするということが大きな理由なのだろうけれど。
くわえて糸井重里や池上彰も絶賛しているということも注目度に拍車をかけているのだろう。

その効果あってか、最近はどこの書店の店頭にも、この本が目立つ場所に平積みされているね。

人として大切なこと

コミックになっているとはいえ、主人公のコペル君とおじさんとのやり取りが記されたノートの中身の多くは活字としてそのまま掲載されており(それも結構な量で)、マンガを読むつもりで気軽に読み始めると、いつのまにか文学作品を読んでいるような襟を正した気分になっている自分に気が付く。

書かれている内容はきわめてオーソドックスな道徳の教科書、あるいは小学校の時に学校のテレビで見たNHKの教育ドラマ的な内容ではあるのだが、いくつになっても人として大切なことが書かれていることは確かだ。

特に、年をとればとるほど、いつの間にか忘れてしまっている「人としてベーシックなこと」を思い出さざるをえない内容ではある。

人を城にたとえると

大人になっていつの間にか忘れてしまうこと。
これって、いわば人生や生活を「城」に例えるならば、石垣にあたる部分なのだと思う。

精神的支柱、モラル、相手を理解し思いやる気持ち。

健全な心を育むうえで必要なこれらのことは、主に幼少期や小学生の時期に、我々は教室や絵本、子ども向けの映像作品などを通して学ぶ。

いわば、人間としての土台。
城にたとえるなら石垣の部分だ。

しかし、大人になるにつれ、石垣の手入れや補強を忘れ、石垣の上に築き上げられる天守閣のほうにばかり興味が向いてしまう。

天守閣の瓦の模様、シャチホコの大きさ、建物の高さ、内装の豪華さ等々。
このような外見的なことをバージョンアップすることに大人は躍起になる。

短期目線な人になればなるほど、「いかに効率よく」「いかにラクして」「いかに労力をかけずに短時間で」と、短い時間の中で大きな成果を求めがちだ。

それはそれで決して悪いことではないのだが、あまりに石垣のことを忘れ、天守閣のほうにばかりに気を取られていると、ちょっとした台風や地震ですぐに倒壊してしまうのがオチだ。
あたかも地中深くに根を張らなかった大木のように。

人としての石垣の部分が脆いと、せっかく天守閣を華美かつ壮麗なものにしたとしても、ちょっとしたトラブルや諍いですぐに精神が折れてしまう。
我々大人は、折に触れて石垣の手入れや補修をしなければ、重くなり過ぎた天守閣を支えきれなくなってしまうのだ。
これは精神疾患を抱える現代人が増えていることからも分かるだろう。

そうならぬためにも、たまには大人も真面目な気持ちで手に取って読むと良いのが『君たちはどう生きるのか』なのかもしれない。

そして実際、アマゾンのレビューを見ると、意外にも大人からの書き込みが多いのはそのような理由なのだろう。
書店によってはビジネス書や新書のコーナー近くにディスプレイさているということにも理由があるのかもしれないが。

好みが分かれる絵のタッチ

漫画の絵は、正直好みが分かれると思う。

良く言えばノスタルジックで素朴な絵。
しかし、悪く言えば、ちょっと稚拙というか不器用な作画ではある。

アマゾンのレビューにも、絵が15度くらい傾いているという指摘があったが、これを「味」とみなすか「稚拙」とみなすかは読者次第だろう。

私の場合は、書店店頭で大きく描かれたコペル君の顔の表紙を見た時は、一瞬、名探偵コナン風に描かれた魔太郎のコミックか?と思ったほどだから。

しかし、大人(おじさん)を驚愕させる直観と閃きを有し、不器用ながらも悩み傷つき、少しずつ成長を遂げてゆくコペル君は、このテイストの絵以外ありえないと思えてしまうのだから不思議なものだ。

ちなみに、私は漫画家・羽賀翔一が描くキャラクターの中では、おじさんの作画が好きだ。

元編集者という経歴からも、なんとなく自分を重ね合わせて読んでいる自分がいた。そして、私は、おじさんのようなおじさんになりたいと思った。

ある意味、少年のメンター的な存在だよね。
私には、青少年にアドバイスをおくったり鼓舞することが出来るほどの人徳も人生経験もないが、だからこそ、おじさんのような存在に憧れるのかもしれない。

もっとも、私はおじさんほどピュアでもマメでもないので、おじさんになるのは無理でしょう。実際、姪っ子からはコミカルな存在としか見られていないようだし……。

記:2017/11/20

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