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ジャズと映画とプラモの日々:高野雲

高柳昌行の厳しさに音をあげた生徒達

      2018/01/11

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guitar

ジャズギタリスト・高柳昌行の著書『汎音楽論集』は、言葉が頭から零れ落ちるのが勿体ないので、ゆっくりと丁寧に読み、読了した。

自分に厳しく、ストイックな姿勢で、常に音に対峙している彼のこと、だからこそ演奏者としてのみならず、彼は一流の音楽批評家たりうるのだろう。

ジャズタリストの分析、「ジャズギターは今のところジム・ホールで終わっている」などの記述などは、読んで、なるほど、と説得力がある。

ここらへんの箇所は、自分ひとりで読むのは勿体無いので、大門にある食堂のマスターのところまでこの本を持ってゆき、気になったところを読んでもらい、感想を聞いてみたりもした。

そう、この店のマスターは、かつて高柳昌行のギター教室に通っていたことがある人なのだ。

立ち上がったばかりのアン・ミュージック・スクールに通いつつ、それでも、探究心のやまない彼は、高柳ギター教室で、ギターのネックを握る以前の基礎の基礎の基礎を徹底的にミッチリと仕込まれたらしい。

あまりに、ストイックなカリキュラム。
徹頭徹尾、基礎練習の繰り返し。
指の形を作る訓練を数か月もの間、それこそ指が痛くなるほど反復練習していたという。

よって、即効性を求める生徒はすぐに止めていったそうだ。

最初は20人ぐらいいた教室も、1人抜け、2人抜け、気付けば、自分をふくめ5~6人になっていたという。

そんなマスターも、あまりのストイックさと、基礎練の厳しさについに音をあげ、脱落者の1人となってしまったのだという。

「しかし、今思えば、あのときにミッチリと先生の言っていることをやっておけば、全然違っていたと思いますよ。あれに耐えられた人だけが、ホンモノで、ジャズギターをやる資格があったんでしょうね」

同時代に、高柳昌行と同じ空気を吸っていた体験者だけに、マスターの一言は説得力がある。

「ある固有の対象を研究する場合、必ずその前後の様相を調べつくす作業が根本的に大切であり、習慣化してしまうこと、すると対象はくっきりと浮かび上がってくる。」

~「Charlie Christianはモダン・ジャズの原点であった……」より

演奏者としてのこの態度は非常に重要だ。

それ以前に、ろくな研究や分析もせずに、単に自分の好き嫌いだけの論評で本を書き、印税を受け取っている“似非評論家”には、彼の爪の垢でも煎じて飲ませたいほど。

好き嫌いで聴くことは悪いことだとは思わないが、それはあくまで趣味のレベルであろう。

そして、その甘い言辞は、素人の耳をくすぐる砂糖や麻薬のようなもの。

その口当たりの良さゆえ、大量に摂取した結果、骨が溶け、骨抜きな腑抜け耳になっていることに気付いたときはもう遅いのだ。

肝に銘じておきたい。

記:2007/04/08

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