中山康樹は何と闘い続けてきたのか?〜中山康樹・最期の著書『ウィントン・マルサリスは本当にジャズを殺したのか?』

   

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最後の中山本

昨日、中山康樹氏のラスト著作『ウィントン・マルサリスは本当にジャズを殺したのか?』を読了しました。

いつものように一気に読ませる筆力のある中山氏の文章は、序章を読むだけでも、このまま最後まで読み進んでしまいたいと思わせるに十分の魅力があります。

しかし、「中山さんの“新刊”もこれで最後か」と思うと、じっくりと時間をかけて味わいながら読もうと考え直し、読書スピードを意識的に落として、結果、読み終わるまでに2日の時間を要しました。

知識面のみならず、十数年にわたり様々な中山さんの著作から滲み出てくる「中山イズム(後述)」が個人的には濃厚に伝わってきました。

(もちろん、テーマは「ウイントン・マルサリス」なので、表現は控えめだけど。)

そういった意味では、いろいろと考えさせられることの多い本でした。

世代によって異なる受け止め方

まず、本書の受け止め方は、読者の「ジャズ観」、というより、読者が「いつからジャズを聴いているのか」で、かなり異なるのではないかと思います。

ウィントンが生まれる前からジャズを聴いていた人(ウィントン・マルサリスは1961年生まれ)、ウィントンがデビューをする前からジャズを聴いていた人、そして私のように、ウィントン登場後にジャズを聴き始めた人。

そして、これはそのまま、「ウィントンの音楽をどう受け止めているのか」に直結するような気がします。

おそらく、ウィントンの出現以前よりジャズに親しんできたジャズファンにとって、ウィントンが放つ「ジャズ」は異質に感じたに違いありません。

『ジャズ批評』誌の代表である松坂妃呂子さんは、かつて「ウィントンの『スタンダード・タイム vol.1』が出たあたりから、ジャズは違うものになった感じがします」というようなことを書かれていました。

1967年(コルトレーンの没年/まだ私が生まれる前)よりジャズの雑誌を発行されている松坂さんのウィントンに対する感想は、失礼ですが「古いジャズリスナー」を代表するウィントンの受け止め方なのかもしれません。

その一方で、私といえば、ウィントンがデビューした頃は、まだジャズの「ジャ」の字も知らぬ若造でした。

ジャズを聴き始め、やがてウィントン・マルサリスの存在を知り、『スタンダード・タイム vol.1』から聴き始めたのですが、松坂さんが感じられたと思われる「異質」さは特に感じられませんでした。

Standard TimeStandard Time vol.1

>>スタンダード・タイム Vol.1/ウイントン・マルサリス

それはそうですよね、比較する対象というか、ジャズに関する情報が脳味噌の中には少なすぎる状態でしたから。

ジャズに入門したての頃の私は、ソニー・ロリンズの『サキソフォン・コロッサス』も、バド・パウエルの『ジャズ・ジャイアント』も、ウィントンの『スタンダード・タイム』も等しく「ジャズ」であり、未知の体験を提供してくれる「カッケー音楽」だったのです。

以前、寺島靖国氏が「はじめて聴くアルバムは、みな新譜である」という旨のことを仰られていましたが、まさにそのような状態。未知の刺激に接する喜びは、1949年の録音であろうと、1956年の録音であろうと、1986年の録音であろうと、等価だったのです。

小学生の頃に、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の《テクノポリス》で「トキオ!」と坂本龍一がヴォコーダーを通して発する電子的な声に「かっけー!」と痺れたように、ジャズの場合であっても、ロリンズの場合は「メロディアスさ」、パウエルの場合は「よじれたピアノの音とノリ」、ウィントンの場合は「スリリングでありながらも破綻のないアンサンブル」と、痺れるポイントは違うにせよ、未体験の音への興奮が、ジャズを聴きあさる大きなモチベーションだったのですね。

今となっては、ウィントンの音楽が持つ「これまでのジャズとは違う肌触り」に関しては少しずつ「比較」の中から実感できるようになってはきましたが、私のウィントン原初体験が、そもそも40年代、50年代の古いジャズとゴチャマゼ状態だったため、「遅れてジャズを好きになった身」からしてみると、おそらく「昔からのジャズ聴き」の方々ほど、心の底からはウィントンの表現に違和感を感じてはいませんでした。

これが、ウィントン登場以降にジャズを覚えた者の偽らざる感想で、目の前に広大に広がるデキシー、スウィング、ビバップ、ハードバップ、フリー、新主流派から新伝承派まで、様々なジャズという音楽の表現形態の中におけるワン・オブ・ゼムだったわけです。

ジャズのなかったアメリカ

しかし、本書を読んでいくうちに、私の「能天気」なジャズ観も、少しずつ補正されてゆきます。

それは、ウィントンの生い立ち。

本書を読むと、私が思っていたよりも、想像以上に60~70年代のアメリカは「ジャズの無い国」だったのだいうことを実感することが出来ます。

私はウィントンがルイジアナ州のニューオーリンズ生まれということからも、「お~、ジャズが誕生した土地で生まれ育ったんだから生粋のジャズエリートじゃんか」と思っていたのですが、じつは、ウィントンが生まれた当時のニューオーリンズ、というより、アメリカでは、ジャズがまったくといって良いほど流れていなかったのです。

このことは、以前、ジャズ喫茶「いーぐる」でおこなわれた『ジャズ構造改革』の座談会でも中山さんご自身が「ニューオーリンズの実態」について語っていました。

では、ジャズの無い土地と場所で、幼い頃のウィントンは何を聴いていたのでしょうか?

ウィントンが子どもの頃に好んだ音楽は、なんとアース・ウィンド&ファイヤーだったそうです。

そして、中学生の頃に地元で組んだバンドはジャズではなくファンクバンド。しかも、演奏のアルバイトで得られる収入は、ジャズマンの父親の収入を上回っていたそうです。

そういう時代、状況だったことを認識する必要があります。

でも、父親のエリス・マルサリスの職業がジャズ・ピアニストだから、家ではジャズを耳にしていたはずだろうし、だから、やっぱりウィントンは幼い頃からジャズが染み込んでいたのでは?

そう思いますよね?

しかし、そうではなかったようなのです。

ウィントンが最初にジャズと「出会った」のは、テレビ番組の『スヌーピー』だったのだそうです。

ジャズピアニストで作曲家でもあるヴィンス・ガラルディが弾くスヌーピーの演奏をキッカケにジャズに興味を持ったそうで、お父さんのエリス・マルサリスのピアノがキッカケでは全然なかったようなのです。

おそらく、父親の職業がジャズだったからこそ、ウィントンは興味が湧かなかったのかもしれないと中山さんは指摘しています。

宮大工の息子が、必ずしも日本の建築様式に興味を抱くとは限りませんからね。

ウィントンが生まれ育ったニューオーリンズという場所と時代背景は、幼いウィントンの原風景に「ジャズ」をもたらさなかった。

このあたりは、なかなか興味深いお話なのですが、では、その後ウィントンは、どのようにしてトランぺッターとしてスターダムにのし上がっていくのか? それは本書をお読みになってください。

いずれにしても、60年代に生まれたウィントンは、一見「途絶えることなく脈々と受け継がれてきたかと思われていたジャズの歴史や伝統」から切り離された状態から「ジャズマン」というキャリアをスタートさせたのです。

このことは、ウィントンの音楽を読み解く際の重要な鍵になることを中山さんは示唆したかったのでしょう。

『「ジャズのない時代」に生まれたミュージシャン』という序章から幕を明ける本書は、我々の思い込みと先入観を解体してくれるに十分なインパクトで、「いったん終わってしまったジャズという音楽」からスタートした彼の「キャリア」が、ウィントンというジャズマンの表現の特異性と、従来までのジャズが湛えていた特有の「色」から切り離されていることを無理なく理解させてくれます。

そして、最終的に辿り着く「ウイントンはアメリカン・ミュージックをやろうとしている(そして、ジャズもアメリカ音楽の一つ。よって、ウイントンが演奏するのは「ジャズ」でならなければならない)」という結論に達するまで、読者の興味を惹き付けて離しません。

それにしても、ウィントンは、てっきりクリフォード・ブラウンを意識していたのかと思っていたのですが、ブラウンもリー・モーガンにもあまり関心なかったという記述には驚きましたね。

4ビートのジャズ、私も含めて多くの日本人が大好きなハードバップを彩るには必要不可欠なトランぺッターに関心がないどころか、ニューヨークにやってくるまでは「知らなかった」という事実からも、いかに、ウィントンはジャズの伝統から切り離された状態からキャリアをスタートさせたことがわかります。

ジャズは「常にそこにある音楽」ではなく、歴史や伝統も後天的な「学習」によって習得していったウィントン。

ウィントンがデビューする前からジャズを聴いているリスナーが、ウィントンに感じる「違和感」の原因は、ブラウニーもモーガンも知らなかったトランぺッターが、おそらくは彼らを上回る演奏力で「ジャズ」を軽々とやってのけてしまうところにあるのではないでしょうか。

高校生の頃は、すでにコルトレーンの《カウント・ダウン》の、あの音符だらけのアドリブ(シーツ・オブ・サウンズ)をトランペットで易々と吹いていたウィントン。

しかし、その時の彼の中には、クリフォード・ブラウンもリー・モーガンも流れていなかった。

ブルースやジャズのように「伝承性」の強い音楽は、楽理的な要素やテクニック的なもの以上に、演奏者のマインド、スピリッツを重視し、聴き手もその息づかいやフィーリングを感じ取れるか否かを重視する傾向があるように思います。

だからこそ、松坂さんのようにウィントンの表現に違和感を感じた人は、圧倒的なトランペットプレイの中心部には、ジャズの歴史上重要なトランぺッターの存在がぽっかりと抜け落ちていることを敏感に感じとっていたのでしょう。

ウィントンの経歴を丁寧に追いかけた本書を読み進むにつれて、自然とウィントンの音楽が本質的に持つ、従来のジャズからの「断絶」を理解することができます。

それだけでも読む価値アリです。

日本一の「マイルス者」は、日本一の「ウィントン者」でもあった

さて、巻末に、元『ジャズ批評』の原田和典氏が、こう記しています。

こんにちの一般的な見解では「中山といえばマイルス・デイヴィス」と思われるが、リアルタイムでSJを読んでいた私にとって、中山すなわち「キース・ジャレット」や「パット・メセニー」の人でもあり、決定的に「ウィントン」の人であった。
(中略)
その頃の中山の情熱がマイルス以上にウィントンに傾いていた、ということか。とにもかくにも、当時24歳のトランペット奏者は2号続けて雑誌(スウィングジャーナル)の顔になった。さらに中山はウィントンらアコースティック・ジャズを志す当時の若手ジャズメン群を“新伝承派”と名付け、スポークスマン的役割をも担った。
(中略)
が、中山退任後のSJからはウィントンに関する記事が目立って減っていく。冷静かつ常識的なトピック数になった。

この時期の私は、まだジャズの世界に足を踏み入れていない「坊や」だったので、中山さんが、これほどまでに熱を入れてウィントン・マルサリスという「新しい才能」を日本に紹介しようとしていたことは知りませんでした。

それこそ、中山さんは『マイルス・デイヴィス自叙伝』の人であり、『マイルスを聴け!』の人だと長年思っていたので、この原田さんの文章を読んで、はじめて、「なぜ、最後の著作がウィントンだったのか」という謎が解けたかのようです。

結局、ウィントンを通して最後に何を言いたかったのか

数年前に発売されて物議をかもした『かんちがい音楽評論』で、中山さんは「結局、日本に洋楽は根付かなかった」ということを主張しています。

>>中山康樹『かんちがい音楽評論』~活字世代とネット世代の価値感・行動様式の違いが浮き彫りになった本

これは、捉え方によっては、日本人は結局のところ洋楽を理解できる感受性がなかったと言っているようにも捉えることが出来るのは、穿ち過ぎでしょうか?

『ウィントン〜』のほうで中山さんは、ハッキリと言葉で言及しているわけではありませんが、この本で中山さんが言いたかったことは、結局、日本人のジャズの感受性は70年代どまりなんだよということなのでしょう。

それは、多くのジャズ評論がマイルスが発表した電化ジャズの『ビッチェズ・ブリュー』('68年)前後で止まっており、アルバム1枚単位における各論のディスク・レビューとしては、もちろんそれ以降の作品も評論はされてはいますが、体系的に70年以降のジャズ史を整理し、総括されたものが、ほとんど見当たらないことからも、分かることでしょう。

ウィントンの生い立ちから、デビュー、表現の変遷を丁寧に追いかけてゆくことで、この「天才」についていけるだけの感受性を持つことが出来ず、また「面白くない」「つまらない」という主観的な理由だけで、深化してゆくウィントンの音楽に対して判断停止を決め込んでしまった我々ニッポンのジャズリスナー、いや、それ以上にジャズのジャーナリズムに対しての静かな憤りと諦観が行間から伝わってくるのです。

いまいちど巻末の原田さんの言葉を引用してみましょう。

が、中山退任後のSJからはウィントンに関する記事が目立って減っていく。冷静かつ常識的なトピック数になった。

中山さんがSJ誌を去ってからのウィントンの紹介記事は減っていった。しかし、ウィントンの活動領域は、取り上げられる記事の数に反比例するかのように広がり、評価も不動のものになっていきます。

「リンカーン・センター・ジャズ・オーケストラ」の音楽監督への就任(91年)、『ブラッド・オン・ザ・フィールズ』でジャズ・ミュージシャン初のピューリッツァー賞を受賞(97年)、2000年には通算10度目のグラミー賞を受賞され、2005年には「全米芸術勲章」をブッシュ大統領から授与されるなど、ウィントンが快進撃とスケールアップを繰り返すほどに、むしろ日本のジャズジャーナリズムが取り上げるウィントンのトピックスを矮小化し、相も変わらず過去の名盤とジャズジャイアンツ再評価、再紹介とリサイクル業を繰り返していました。

日本とアメリカにおける、ウィントン・マルサリスに対する評価の二極化は、ウィントンが新作を発表するたびに加速していき、アメリカでは最大の評価を得る一方、日本ではまったく顧みられないという正反対の減少となって顕在化する。

「本書」より

自らが編集長の時代は、新人の頃のウィントンを猛烈にプッシュしていた中山さんのこと、自分が退いた後のSJ誌は、「いったい何をやっていたんだ?」という思いがあったに違いありません。

そして、ジャズジャーナリズムに対しての憤りとともに、もう一つ。

私も含む多くの保守的な「ジャズ聴き」に対しての憤り。

誤解を恐れずに言えば「ジャズ喫茶体質の日本人の多くが抱く感性の限界」への苛立ちも、長年中山さんが抱き続けていたのではないでしょうか。

中山本を追いかけ続けると

中山さんの「苛立ち」と「憤り」。

それは、何に対してなのか?

中山さんの著作を追いかけていきましょう。

古くは、『ジャズ地獄への招待状』で、評論家の岩浪洋三氏がスポーツ新聞のピンク記事に目を通し、今日も惰性でお決まりの内容のジャズ評論を書いているというようなことをユーモラスな文体で書いています。

もちろん、かつての中山さんより前の世代のSJ誌の編集長である岩浪氏についての論評なので、先輩に対しての配慮と気遣いも忘れず、おそらく岩浪さんが読んだら苦笑いをするようなソフトな表現にはなっていますが、行間からは、日本のジャズ評論家を代表する人物をやり玉に挙げることによって、マンネリと惰性に陥っている日本のジャズ評論のムードに対して軽蔑の目線を投げかけているかのようです。

「ちゃんと音楽を聴いているのか?」

この無言の問いかけは、自分はきちんと深く音を聴いているという自負から生まれてきているのでしょう。

この真摯に音楽に対峙する姿勢は、中山さんが中学生の頃から自然に育まれてきたものなのでしょう。このことは中山さんの自叙伝でもある『スウィングジャーナル青春録』の「大阪編」を読めばよく分かります。

中山さんの「音楽漬け」だった青春時代がとても微笑ましく、しかも読み応えのある素晴らしい著書ですので、音楽が大好きな人は必読の書でしょう。

このように、ノートにメモを取りながらストイックに音楽に向かい合う中山さんの姿勢は、おそらく年を重ねるにつれて伸張してきたに違いありません。

音楽に対しては、ひたむきなほどに真摯な姿勢で対峙する中山さんからしてみれば、仕事をしているようでしていない「ギョーカイ人」ヅラした音楽ジャーナリズムの人々は嫌悪の対象だったのでしょう。

『ジャズを聴くバカ、聴かぬバカ』では、音楽ファンと音楽業界人の「トホホ」な実態を、「です、ます文体」でユーモラスかつ皮肉っぽく書かれています。

面白おかしく書かれているので、一気に読めてしまう本なのですが、この本は、音楽本の体を装いながらも、「まるまる一冊ギョーカイ暴露本」です。

軽妙な語り口の底に流れているのは、ジャズ業界に対しての深い諦観です。

しょーもないギョーカイ、しょーもない人たち。

もはや、笑いに昇華させるしかなかったのでしょう。

ジャズブロガー、ジャズミュージシャンへの目線

主にジャズ業界やプロの評論家に向けられた憤りや失望の念は、今度は「プロ」ではない人々にも向けられるようになってきます。

ブロガーです。

今までは評論家や業界に向けられていた「怠惰」「惰性」「進歩なきマンネリ行為の無限連鎖」への軽蔑と諦めの目線が、今度は「ブロガー」に向けられるようになります。

『ジャズ構造改革』の第一章では、「ジャズ評論家ごっこ」を無邪気に繰り返す「ジャズブロガー」をバッサリと斬ります。

>>アタマにくるJAZZ本『ジャズ構造改革~熱血トリオ座談会』後藤雅洋+中山康樹+村井康司

ジャズ喫茶「いーぐる」マスターの後藤さんと、ジャズ評論家の村井康司さん3人による鼎談形式の本ではあるのですが、「ブロガー斬り」の話題をふり、話題を先導しているのは、よく読めば(よく読まなくても)あきらかに中山さんです。

私もこの章を読んだ時は「ヒドいこと言うな〜」と思って、その旨をブログにアップしたのですが、翌日、中山さんから早速メールが届いていました。

「あなたは違う」と。

その時は、「あの中山さんに認められている」という嬉しい気持ちもありましたが、「あの中山さんが、俺のブログチェックしてるぞ!」という緊張感と、必要以上に過激なことを書いてしまったことの反省など、複雑な気分になったことを覚えています。

そして、『かんちがい音楽評論』。

この本では、中山さんの目線がいよいよミュージシャンに向けられています。

ミュージシャンであれば間違えたことを書いても許される、SNSなどネットを介して気軽に自身の音楽についてを発進する日本人音楽家(ジャズマン)についての「かんちがい」を指摘しています。

この本が出版される前後より繰り広げられていた『ジャズジャパン』誌上において、ピアニスト・山中千尋さんとのバトルはご存知の方も多いでしょう。

山中さんも『ジャズジャパン』で連載していた原稿を単行本にまとめる際に、中山さんに言及したテキストの一部分を修正し、より攻撃的な内容に修正したことに対して、今度は中山さんがWeb上で反撃していた「中山山中バトル」は記憶に新しいですね。

>>かわいい山中千尋さん:その1
>>かわいい山中千尋さん:その2
>>かわいい山中千尋さん:その3

このバトルもなんとはなしに一段落し、次の「お相手」はwho? where?と気になっていたところ、今度はマイルス、ジミヘン、ギル・エヴァンスについての本『マイルス・デイヴィスとジミ・ヘンドリックス 風に消えたメアリー』を発表。

そして、最後の著書となった『ウィントン・マルサリスは本当にジャズを殺したのか?』に行き着きます。

孤独な一匹狼

中山さんの著作を振り返ると、もちろんすべての著作にではありませんが、一定の比率でジャズリスナーや、ジャズ業界、ジャズにかかわる人たちに抱く中山さんの憤りのようなものが、ある時はソフトに、あるときは露骨に顕われていることがわかります。

そう、中山さんは「闘う人」だったのです。

とにかく、ユルくてナマヌルく、進歩も発展もない、ジャズを取り巻く日本的気質のサムシング、これらすべてと中山さんは一人で闘っていたようにさえ感じられます。

「中山山中バトル」以降、目立ったバトルは見受けられませんでしたが、最後の著書『ウィントン・マルサリスは本当にジャズを殺したのか?』では、新たな「槍玉にあがる対象」がソフトに見え隠れしています。

この本の編集者である富永虔一郎氏に、中山さんは「もう一冊、どうしても」と持ち出した企画が「ウィントン・マルサリス」。

中山さんはウィントンを通して何を「どうしても」世に問いたかったのでしょう?

もちろん、自らが編集長時代に猛烈にプッシュしたウィントン・マルサリスそのものを解析したいという思いもあったでしょう。

それに加え、小川隆夫さんによる「ウィントン思い出話」の本は出版されているにせよ、ウィントンの「音楽そのもの」について本質的なことが、ほとんど何も語られていない日本のジャズ評論の現状に対して、「どうしても」自分が総括しておきたいという思いもあったのでしょう。

↓たっぷりとウイントンの素晴らしさを解説してくれる小川さん。

小川さんのような例外を除くにしても、ウィントン・マルサリスという存在に「判断停止」を決め込み続けた日本のジャズジャーナリズムに対して、中山さんは自らが本を出版することでチクリと一刺ししておきたかったのかもしれません。

さらに、既に本稿前半で言及しましたが、日本人のジャズ受容能力の低さ。

おそらく、本書の230ページから231ページかけて、そして本書の最後を締めくくる261ページが「ウィントン」を通して中山さんが言いたかったことなのではないかと思います。

問題の根源は、ウィントンの音楽や思考にあるのではなく、日本人のジャズの聴き方にあるのではないかという気がしてくる。そして日本のジャズファンの反応がウィントン以後の世代のミュージシャンに対して一様に「冷たい」ように映るのもまた、ジャズの「聴き方」につながる、受容側の許容力に起因するものではないか。つまり、突き放した言い方をすれば、日本人には、ウィントン・マルサリスに代表される、アメリカの新しい世代のジャズが理解できないということになる。

「本書」より

日本人には新しい世代のジャズが理解できない。

それは、なぜか?

次なる「仮想敵」はジャズ喫茶だった?

ジャズ評論家、音楽業界、ジャズブロガー、ジャズミュージシャンと中山さんが向ける「対象」は次々と変遷を遂げていきましたが、次なる「仮想敵」は、おそらくジャズ喫茶だったのではないでしょうか?

いや、「ジャズ喫茶そのもの」というよりは、ジャズ喫茶育ちの「感性」。

本書ではジャズ喫茶的ジャズ鑑と記されていますが、私も含め、ジャズ喫茶で育ち、ジャズ的感受性を育んで来たジャズリスナーの「限界」を、中山さんはウィントンを通して浮き彫りにしようとしていたのかもしれません。

もちろん、本書ではそのことに深く言及していません。

分量にしていえば、231ページの中のほんの数行にしか過ぎませんし、ジャズ喫茶(的感性)に関して、はっきり「良い」とも「悪い」とも結論を下してはいません(はっきりとは下していませんが、結論はご想像の通りです)。

しかし、だからこそ、さり気なく放たれた僅かなテキストの中に私は中山さんの内に秘め続けた苛立ちを垣間みる思いなのです。

「リッスン」そして「聴け!」

私は、中山さんが作家としてデビューした頃と、ほぼ同時期にジャズを聴き始めていることもあり、中山さんの著作は貴重な教科書であると同時に、その筆致の軽妙さとユーモア、そして深い洞察力から、大の中山さんのファンでした。

著作はリアルタイムでほぼ読んでいます。

初期の『マイルスを聴け!』のようにユーモア溢れる文体のものもあれば、『ビッチェズ・ブリュー―エレクトリック・マイルスのすべて』のように硬い文体のものもあります。

また、「氷で禁煙」や「サザンのクワタ」をテーマにしたジャズとは無関係な著作もあります。

取り上げるテーマや、伝えたい内容によって文体を使い分けていた中山さんですが、多くの著書の中で一貫して感じ取れることがあります。

それは、「音楽を誰よりも深く聴いているという自負と挟持」と、「惰性な論評に堕しているジャズジャーナリズムおよびリスナーへの呆れ(憤り)」です。

これが評論家・中山康樹が猛烈な勢いで著作を発表しつづけてきたパワーの源泉なのでしょう。

クール、かつ物腰穏やかで、常に紳士的な話し方をする中山氏のこと、「俺はちゃんと聴いてるぜ、考えてるぜ。お前ら、真剣に音楽聴いているのかよ?」というような下品なことは言いません。

しかし、多くの著書の中、一貫して流れている「中山イズム」は、上記のごとく「もっとお前ら、ちゃんと音楽聴けよ」ということなのでしょう。

中山さんの著作の『リッスン』、そして『マイルスを聴け!』に始まる「エヴァンス」、「ジョン・レノン」、「ローリング・ストーンズ」に「キース・ジャレット」などの著書のタイトルに冠せられた「聴け!」という言葉。

常に中山さんは、我々リスナーに対して、「リッスン?(聴いてるの?)」と問いかけ、「聴け!」と鞭打ち続けてきました。

私たち音楽好きは、逝ってしまった中山さんの「リッスン?」の問いに対して、自信を持って「イエス!」と言える日が来るのでしょうか?

「聴け!」という呼びかけに、「聴いてるぞ!」と胸をはって応えられる日がやってくるのは、いつのことなのでしょうか?

天国の中山さんは、今日も我々ジャズ聴きを見下ろしながら苦笑いを浮かべているのかもしれません。

偉大なる評論家・中山康樹氏に、改めて哀悼の意を表します。

記:2015/08/07
追記:2015/08/11

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