カフェモンマルトル

text:高野雲

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音を視る、時を聴く-哲学講義/坂本龍一・大森荘蔵

      2017/04/15

音楽は「音」のレイアウト

先日、デザイナーの友人に、「雲さんは、ビジュアル派でしょ? 視覚でモノゴトをとらえてるでしょ?」と言われたが、まったくもってそのとおりだと思う。

音楽も私はレイアウトでとらえている節があり、音楽は要は、サウンドデザインだと思っている。

だから、高校時代や大学時代には、シンセサイザーでたくさんの曲を作って多重録音をしていたが、録音したテープのクレジットには、「作曲」とは書かずに、「デザイン」と書いていた。

「レイアウティッド・バイ~」とスカして表記していたこともあった。

デザイナーがフォントを選ぶように、私は、シンセの音源を選んだ。

デザイナーが余白とレイアウトを考えるように、私は、音のバランスを考えながら音をつけ足したり、抜いたりした。

デザイナーが配色を決めるように、私は、シンセで音色を作った。

デザイナーが強調したい文字やイラストを際立たせる方法を考えるように、私は、強調したい音色を生かすための他の音色の配列を考えた。

デザイナーにとってのキャッチコピー、テキストは、私にとっては、メロディ。

テキストの内容はデザイナーの領域ではないように、私もメロディにはあまり関心がなかった。
出来すぎたメロディは、むしろ、ダサいとすら思っていた。

そう、音のデザインにばかり気を取られていた私にとっては、メロディというものが、じつは一番、どうでもいい存在だったのだ。

べつに、旋律なくとも、ノイズに規則性を与え、そのセンスさえ良ければ、カッコいい音楽だと思っていたし、実際サンプリングだけで作った曲もたくさんある。

B-2 unit

音楽に対して、なぜこのような考え方になったのかというと、やはり坂本龍一の『B-2 unit』の影響がものすごく大きいと思う。

たぶん、現在のところ生涯のベスト3に入るアルバムだと思う。

それぐらい好きだし、ものすごくよく聴いた。
じつは、思い出したように、昨晩から朝にかけて、ずっとこれをリピートしていた。
飽きないねぇ(笑)。

このアルバムは、まさにセンスの塊。

もちろん、小さい頃はそこまで意識していなかったが、音楽というよりも、デザインのカタマリとして、いつしか私は捉えていたのだと思う。

ジャケットデザインも、ロシア構成主義の作品のモロパクリではあるが、やっぱり秀逸なデザインだと思うし、アルバムの中身の「音」も、これまた、センスのよい音のレイアウトの集積。

アルバムの存在自体がデザインとレイアウトの権化のような『B-2 unit』が多感な時期に染み込んでしまったことが、どうやら今の私の感性を決定ずけているようだ。

音のデザインアルバム

それを補足するかのように、その後に続々リリースされていった、YMOの『BGM』や『テクノデリック』、立花ハジメの『H』や、『テッキー君とキップルちゃん』、それに細野晴臣の『フィルハーモニー』などのアルバムは、『B-2 unit』よりは音楽的ではあったにせよ、私の音=デザイン心を補強するに十分だった。

もし、この後に、スティーヴ・ライヒに出会っていたら、きっと今の私はミニマル&アンビエント野郎になっていたことだろうが、そうはならなかったのは、その前にジャズに出会っていたからだと思う。

ジャズのリフナンバー

ジャズは、大人の音楽、難解な音楽だという先入観が最初はあったが、
スタンダードナンバーの時折「うわっ!」と鼻をつまんでしまうほどの、ベタベタで大甘なメロディに接すると、ぜんぜん難解でも大人でもないじゃん!と感じたことを覚えている。

むしろ、私が親しみを感じたのは、リフナンバーと呼ばれる、ジャズマンが既定のコード進行に基づいて作曲したナンバーのほうだった。

《コンファメーション》とか、《ドナ・リー》とか、《ココ》とかね。

これらのリフナンバーは、複雑なメロディラインかもしれないが、複雑なりによく考えられた「複雑美」とでもいうべき機能的な美しさが内包されていて、私はむしろ、これらのリフナンバーよりも、単純でベタな旋律のスタンダードナンバーのほうに慣れるほうに時間がかかったぐらいだ。

だから、今の私の好みは、もちろんスタンダードも好きにはなったが、どちらかというと、音のデザイン美に彩られているアルバムや演奏が好きだ。

エリック・ドルフィーの『アウト・トゥ・ランチ』とか、『スプリング』 トニー・ウィリアムスとかね。

これらは、ジャケットもデザイン心にあふれているので、中身の音とともに、トータルで好きなアルバムだ。

モンクナンバー

セロニアス・モンクが好きなのも、音のデザイン心にあふれているから。

もちろん、《リフレクションズ》や《ルビー・マイ・ディア》のような、甘くしみじみとしたメロディも書くモンクだが、《エピストロフィ》や《ミステリオーソ》、《ウェル・ユー・ニードント》のような、音の機能を追求したような楽しい実験作のような曲のほうが私は好きだ。

これらの曲は、メロディの譜面に並ぶオタマジャクシも幾何学的でデザイン的。
美しい。

よって、モンクのアルバムでは、幾何学率の高いキャリア初期のブルーノートの録音なんか大好きですね。

音を視る

そういえば、また最初の話に戻るけど、「音を視覚で捉えている」、「ビジュアル派」、などという言葉を頭の中で転がしているうちに、「音を視る」という言葉に行きついた。

まさに、私の捉え方はそうだと思った。

と同時に、昔読んだ坂本龍一と大森荘蔵の対談本を思い出した。

音を視る、時を聴く。
うん、今さらながら良いタイトルだ。

当時(高校生のころ)は、チンプンカンプンで足りない脳みそを絞りながら読んだ記憶があるが、今となっては、ここに書かれていたいくつかのことが無意識に刷り込まれていたのかもしれない。

小学校の頃、ピアノの先生から口酸っぱく音楽は「時間の芸術」であると言われていたことを思い出した。

●関連記事
>>B-2 unit/坂本龍一

>>アウト・トゥ・ランチ/エリック・ドルフィー

>>スプリング/トニー・ウィリアムス

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