デューク・エリントン・プレゼンツ/デューク・エリントン

   


Duke Ellington Presents

偉大な人、しかし馴染めなかった

「敬して遠ざける」。

まさに、私にとってのエリントンがそうだった。

もしかしたら、今でもそうなのかもしれない。

多くのジャズマンが、エリントンに絶大なる賛辞を送っていることからも、エリントンという人は、とても偉大な人なんだということは「言葉の知識」としては分かっているつもりだ。

活字の知識では、「とっても偉大な偉い人」「ジャズの貢献者」というイメージなのだが、いざ、肝心のエリントンの音楽そのものを楽しめているのか、理解出来ているのかというと、必ずしもそうではない状態が長い間続いていた。

不思議なことに、エリントンの影響を受けたと公言している人の音楽は楽しめるのだが、当の本人の音楽は、どうしても馴染めなかったのだ。

そんな自分っておかしいのかな?まだまだジャズの聴き込みが甘いのだろうな、と思っていた(実際そうなのだろう)。

なぜエリントンを楽しめなかったのだろうか。

最初に聴いたアルバムの影響なのかもしれない。

『ポピュラー・デューク・エリントン』。

おそらくは、これが原因だ。

むんむん《サマータイム》

《サマータイム》が大好きな友人がいた。

彼はこの曲の入っているアルバムを色々と集めていたが、ある日突然、このCDを「いらないから、やるよ」と私にくれた。

いらなくなった理由が、「このアルバムの《サマータイム》は嫌いだから」。

デューク・エリントンもそろそろ聴かなければと思っていた私は、喜んでそのCDをもらった。

家に帰ってCDを再生してみると、友人の嫌いな理由がなんとなく分かるような気がした。

濃いのだ。

重いのだ。

あっだっるっとっ!なのだ。

仰々しいのだ。

まったりとしているのだ。

一曲目の《サマータイム》、出だしの3音が、まるで、ベートーベンの「運命」を上回るほどの重厚な響きで、重っ苦しい雰囲気が部屋中を覆い尽くした。

濃いアンサンブル

二曲目の《ローラ》も、テナー・サックスのビブラートが大げさ過ぎるような気がした。ムーディな演出なのは分かるが、「濃いぃ~」ムードにメマイがしそうだった。

そして、アルバム全体を通して分厚いサウンドのオンパレード。

むんむんと、濃い煙と湿気に覆われ、呼吸困難になりそうなほどの、重い気分のアンサンブル(実は、これこそがエリントンの持ち味だと随分後になって気がつくのだが…)。

同じビッグ・バンドでも、ベイシー楽団のような軽やかなノリがまったく感じられない、どこまでも重厚でまったりとした演奏。

学生時代の、当時は二十歳そこそこの私にとっては、ちょっと早過ぎた「大人のムード」だったのかもしれない。

加えて、ジャケットがあまり好みではなかったことも大きい。

青に黄色味が加わった、濁った青色の背景に、エリントンの顔のドアップ。

うっ、濃い!

私は、朝の満員電車の中などで、時々鼻についてしまう中年のオジさんが発する「バター臭い息の匂い」が大嫌いなのだが、このジャケットのドアップのエリントンの顔と、全体の色調から、それに近いムンムンとした濃いテイストを強烈に感じてしまったのだ。

友人がギブアップするのも無理ないなと思い、それ以来、エリントンというのは、「まったり」「重たい」「アダルト」「むんむん」というキーワードが頭の中に定着してしまい、興味の対象から遠ざかってしまった。

絶大なる影響力

しかし、エリントンを避けてジャズを聴いていても、一流のジャズマンは、多かれ少なかれ、どこかしらエリントンの影を引きずっているものだ。

マイルスは彼の死後、《ヒー・ラヴド・ヒム・マッドリー》を追悼録音した。

ミンガスもモンクもセシル・テイラーも、エリントンから多大な影響を受けている。というよりも、彼らの目指したことは、エリントンの音楽のスモール・コンボ化のような気がしてならない。

ミンガスにいたってはエリントンと共演したときに、「足が震えた」という。

武満徹は、エリントンに師事したいと申し出たら、冗談だろう、と鼻で笑われた。

大西順子の衝撃のデビュー作では、エリントンの曲を取り上げている。

しかも、ピアノ・トリオという小編成で、あの独特の重たくムンムンした感じを再現しようという表現意図が、とてもよく伝わってくる。

……などなど、様々なジャズを聴けば聴くほど、エリントンの影が見え隠れすることが多くなってきた。

周辺から確信に近づく

また、よく考えてみると、《サテン・ドール》や《A列車で行こう》など、私が好きなナンバーは、エリントン楽団のビリー・ストレイホーンの作曲だし、エリントン楽団の18番だ。

これらの曲は楽しいし、ノリも良い曲だ。

もしかしたら、最初に聴いたエリントンのアルバムが強烈過ぎたのかもしれないな、と思いなおし、『ポピュラー・エリントン』や『極東組曲』などの名盤と評価されているアルバムを買って聴いてみた。

すると、たしかに、重厚なアンサンブルは『デューク・エリントン・プレゼンツ』とは変わらないものの、もう少しリズミックな要素が強くなっているためか、比較的聴き易い内容だった。

立て続けに、今度はミンガスとマックス・ローチのトリオ、『マネー・ジャングル』も聴いてみたが、「おっ!ほとんどモンクじゃないか!」と思った。

もちろん、順序は逆で、モンクのピアノや作曲スタイルが、エリントンの影響を受けているのだが……。

モンクが好きな私の耳には、すんなりとエリントンのピアノが入ってきた。

エリントンのアルバムを何枚か聴くことによって、そして、彼を崇拝するジャズマンの演奏をたくさん聴くことによって、ようやく彼の持ち味、表現意図が分かってきたような気がする。

一言で言えば、アクの強い分厚いアンサンブル、ということか。

濁りの成分を敢えて設けているようなアレンジは、慣れてくれば、なかなかクセになる。

そう、最初は飲めなかった強い酒に、少しずつ体が慣れてゆくように……。

結局、『デューク・エリントン・プレゼンツ』で、強烈な一撃を喰らったがために、エリントンを迂回してジャズを聴いていた私だったが、多くの回り道と道草を経て、ようやく、エリントンに近づいてきている今日この頃な感じがする。

まだまだ年季が必要か

と、ここまで書いて、『デューク・エリントン・プレゼンツ』を聴いてみる。
うーむ、やっぱり濃い。

むわぁ~っとした湿気を多く含んだ重たい空気が、こちらに押し寄せてくる。

このアルバムに限っていえば、心の底から素晴らしいと言えるようになるには、まだまだ年季が必要なのかもしれない……。

そして、このアルバムを素晴らしいと思えたときこそ、本当にエリントンの美学が理解出来たことになるのだろう。

だが、これだけは言える。

エリントンは決して難しくないし、避ける必要もないジャズマンだ、と。

そして、これからエリントンを聴こうと思っている方には、こうアドバイスも出来る。

「最初に聴くアルバムは、『デューク・エリントン・プレゼンツ』以外のアルバムのほうが良いですよ」と。

ジョン・コルトレーンは素晴らしいジャズマンだが、これからコルトレーンを聴こうとしている人には、いきなり『アセンション』や『ライブ・イン・ジャパン』を勧めるコルトレーン・ファンはいないと思う。

それと同じ理由だ。

一流の表現者の表現は、一流ではない我々聴衆が、すんなりと直感的に理解出来るものばかりだとは限らない。

デューク・エリントンを聴くたびに、その思いを強くする私だ。

記:2002/06/21

album data

DUKE ELLINGTON PRESENTS (Bethlehem)
- Duke Ellington

1.Summertime
2.Laura
3.I Can't Get Started
4.My Funny Valentine
5.Everything But You
6.Frustration
7.Cotton Tail
8.Day Dream
9.Deep Purple
10.Indian Summer
11.Blues

Duke Ellington (p)
"Cat" Anderson (tp)
Clark Terry (tp)
Willie Cook (tp)
Ray Nance (tp,vln,vo)
Britt Woodman (tb)
John Sanders (tb)
Quentin Jackson (tb)
Johny Hodges (as)
Russell Procope (as,cl)
Paul Gonsalves (ts)
Jimmy Hamilton (ts,cl)
Harry Carney (bs,bcl)
Jimmy Woode (b)
Sam Woodyard (ds)
Jimmy Grissom (vo)

1956年2月

 - ジャズ