大盛りラーメンの喰ひ方

   

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私は、大盛りのラーメンや、一杯のドンブリに2玉とか3玉の麺が入っているラーメンを好んで喰う。

ラーメン通から見れば、麺がノビノビになっちまうような、バランスを欠いた盛りつけでラーメンを喰うなんざ、ラーメンの本当の旨さを分かっていない大馬鹿野郎な喰い方なのかもしれないが、ドンブリ、いや洗面器のような容器に「これでもか!」と暴力的なまでに盛りつけられたのラーメンを見ると、無性に「よっしゃ、喰ってやらぁ」と闘志が沸いてきちゃうのだ。

だから、量の多いラーメンを出している店を見つけると、ついついチャレンジしてしまうことが多い。

ラーメンの旨さを味わうことも好きだが、それとは別に、ものすごい量が入っているドンブリの中身を空っぽにする快感を覚えてしまうと、結構病みつきになってしまうものだ。

大食いラーメンを最後まで残さず食べるコツは、とにかく出来るだけ早く喰っちまう、これに尽きる。

のんびり喰っていると、どんどん麺が伸びてきて、喰っても喰っても逆に麺が増えてきているような錯覚に陥ってしまうからだ。

そうなると、気分的にもゲンナリしてくる。喰うのがイヤになってしまう。

だから、早く喰う。

しかし、ただガムシャラにガツガツ早く喰うだけってのもなんだか勿体無い。出来れば、苦しまずに、楽しんで喰いたい。

なので、私の場合は、ドンブリの中を「戦場」、喰うことを「戦闘」と見立てて喰っている (アホ)。

航空機が発明されて以来、戦局を左右するほどに大事なことは、制空権を握ることだ。とにかく、制空権が失いと、せっかくの兵力も存分に戦場では生かせない。

だから、制空権を握る。

敵の戦闘機をバタバタと落とす。地対空ミサイルを黙らせる。

ラーメンにおいても同様だ。

ますは、ドンブリという戦闘区域の制空権を握る。いや、制“汁”権を握るというべきか。

戦闘空域を、いや、戦闘“汁”域を我が物顔で飛びまわっている、いや泳ぎ回っている戦闘機を、いや、麺を、ことごとく撃墜しまくる、いや、喰いまくる。

敵の所有する麺の数は、相当な数に登る。

しかし、麺は、敵の主力兵器でもある。

つまり、量は多いが、主力兵器をひとまず叩いてしまえば、相手はほとんど丸腰状態になるのだ。想像をしてみたまえ。ドンブリの中から麺だけが無くなった状態を。

すでにラーメンとはいえまい。なんだかマヌケな「具汁」になってしまう。

そして、その「具汁」な状態こそ、丸腰になった敵の姿なのだ。

栄光の機動部隊を失った大戦末期の帝國海軍のようなものだ。そして、制空権と制海権を握る主力機動部隊を失った軍は、まだまだ残存戦力が控えていたとしても、もはや戦局を覆すだけの力はすでに無いのだ。羽をもがれたトンボやハエのようなものだ。

そう、制“汁”権争いが、この戦争におけるメインの戦いとなるので、是非ともここは耐えて欲しい。

激しい消耗戦と持久戦になるかもしれない。精神戦とでも言うべきか。

しかし!

こらえる。こらえるのだ。

一本でも多くの麺を胃袋の中に撃墜してゆく。

この制空(汁)権をめぐっての凄まじい攻防戦は、きっと太平洋戦争中のラバウル上空で日夜繰り広げられた日米両軍の、航空兵力の巨大な消耗戦を思い出すことだろう。

アメリカの航空機は最新型がどんどん実戦に投入された。パイロットも決められた数の空戦を行ったら、本国に戻り、ゆっくりと休養、再び英気を養って戦線に復帰したので、士気も高い。

しかるに、我が帝國海軍のパイロットは、初期の戦闘においては、多くのベテラン・パイロットが大空で大活躍をしていたものの、連日続く激しい空での戦いで、一人、二人と少しずつ貴重なパイロットが戦死してゆき、人員や物資の補充もアメリカのようにはいかず、じりじりと追い詰められてゆき、結局は、「♪さらばラバウル、また来る日まで」という歌にまでなってしまう事態に陥ってしまったことは、誰もが知るところではある(え?知らない?)。

日本軍にとっての航空戦は、ゴールの見えない全力疾走だったのだろう。なにせ、撃墜しても撃墜しても、相手は、どんどん新しい物資が補給されている。
それどころか、どんどんパワーアップして押し寄せてくるのだ。こちらの疲労と消耗と反比例するかのように。

たまったものではない。いくら志気が高くとも、いくら戦闘機の腕が一流でも、人間である以上、いつかは必ず疲弊することは目に見えている。精神力でカバー出来る問題ではない。

それに比べれば、ラーメン大食いのなんたる簡単なことよ。

ドンブリの中を我が物顔で泳ぎ回っているラーメンの麺は、一度口の中にいれてしまえば、二度と増えることはない。

そう、敵の制“汁”エリアは、補給を絶たれて孤立した部隊がいるだけの戦域なのだ。

お腹一杯になりかけたとき、ラーメン喰うのに飽き始めたとき、リタイアをすればラクになるだろうという甘い考えが頭をよぎったら、「ラバウル台南航空隊の苦労を思えば、俺はなんて恵まれているんだろう」と考えるようにする。

すると、不思議、不思議、麺がスルスルと、どんどん口の中に入ってゆくではないか。

そう、私は撃墜王なのだ。トップガンだかベストガイだかは分からないが、まぁそんなものなのだろう。そうだ、俺はこんなもんじゃないんだ!喰うぞぉ~!!!

だんだんと志気が回復してくる。

スープの上のメンマや野菜などの具。彼らは陸上部隊だ。

何はともあれ制“汁”権を確保することが先決なのだが、最近の陸上部隊は地対空ミサイルや優秀な対空砲を持っているので侮れない。

まったく放置するわけにもいかない。だから、麺を口に運ぶ回数を4としたら1ぐらいの割合でじわじわと地上部隊の「具」も叩いてゆく(口に入れてゆく)。

主力とはいえないし、単なる後方支援部隊かもしれないが、侮るなかれ、いつ何時、手痛い目に会うかもしれない。

あ~満腹だぁこれ以上喰えない、となったときに、メンマやチャーシューがスープの上をぷかぷかと浮かんでいる悔しさといったらない。そうならないように、将来的に脅威となるやもしれぬ芽は早いうちに、少しずつ摘んでおくことに越したことはない。

さあ、麺を喰い終わった。

不思議とドンブリの中の麺がなくなってしまうと、ほとんどラーメンを食べてしまった気になっているので、気持ちの負担もかなり軽くなる。

しかし油断は禁物だ。スープの上には、メンマやチャーシューや野菜などの陸上戦力が、まだまだ息巻いているのだ。

いよいよ、地上部隊の投入だ。残存兵力の掃討戦に入ることにする。

スープの上に漂う陸戦部隊をどんどん攻撃してゆく。片っ端から口に入れてゆく。

手強かった航空兵力(=麺)に比すれば、彼らの掃討はたやすい。

ドンブリの中も、最初の頃と比べればだいぶ温度が冷めてきているだろうから、口の中にどんどん具を運んでも熱くはないだろう。

目に映るすべてのものは容赦なく、破壊せよ、じゃなくて、口にいれよ。そう、まるでソ連軍のベルリン侵攻のように。

制空権はすでに握っている。あとは、焼け爛れた市街地の中に潜む、一部の抵抗戦力を排除すればよいだけの問題だ。我軍の兵力は圧倒的、敵は潰滅寸前なのだ。

しかし、油断してはいけない。特に市街地の中での戦いは、不意打ちを食らわしてくるゲリラやブービートラップに注意を払わないと、いつ何時やられるか分からない。

大きなドンブリを持ち上げる。スープを飲みはじめる。おっと、まだドンブリの中には味付け卵を縦半分にカットしたものが残っていたではないか。

これは、敵地の放送局だ。放送局を制圧すれば、もう勝利したも同然だ。臆せずに卵を丸ごと口の中に放りこむ。

いったんドンブリをテーブルの上におき、中身をしげしげと見つめる。もはや敵は丸裸だ。ドンブリの中の面積を占める一番の物体が麺、ついでチャーシューや卵。

これらすべてを破壊、もしくは占拠、制圧した今、ドンブリの中に残るはスープのみだ。ドンブリの中の面積を占めるものが無くなると、もうほとんど気分は喰ったぜ!状態となる。勝利は目前だ。

再びドンブリを持ち上げてスープを飲み始める。

おっと!ゲリラ部隊発見。

おい、野菜よ、よくもまぁ残り少ないスープの中に隠れ潜んでいたなぁ。迷わず掃討。

そう、たとえ、スープがもう少しでドンブリの底に達しようたときも、短くなった麺や野菜などは意外と多く残っているものなのだ。

彼らはパルチザン部隊だ。見つけた瞬間に掃討戦を展開しなければならない。

各個撃破を面倒に思えば、火炎放射やエアボムやナパームを使用して、一気に掃討してしまうのも一つの手だろう。

すなわち、レンゲを使えということだ。

レンゲで一気にスープの中の細かい具をすくってしまい、一気に口の中にいれてしまう。そうすれば、いちいち箸で細かい残りかすを掴む手間も省けようものだ。このときほど、レンゲという文明の利器を頼もしく思うことはない。

最後の一口、スープを「ガブッ!!!」と一気飲み。

ドンブリの中はカラ。

大盛りラーメン制圧完了。

最後にキメ言葉を用意しておくと、カッコ良くキマル。

テレビドラマの『フード・ファイト』では、「オレの胃袋は宇宙なんだよ」がキメ言葉だったが、私は「ミッション・コンプリート!!」と叫ぶことにしている。いや、恥かしいから呟くことにしている。

これは、映画『ガンヘッド』のラストシーンに、島を脱出した高嶋政宏にガンヘッドから送られてくる通信文をイメージしたものだ。

正確には、
“The Gunhead Battalion has completed it's mission”
なんだけど、長くて覚えるの面倒くさいから適当に縮めて「ミッション・コンプリート」ってことにしている。

スーパー・ファミコン版の『エリア88』も、面をクリアするごとに、この言葉が出てきたと思った。しかし、これを呟くときの私の心はガンヘッド、そして背後のBGMは本多俊之の打ち込みサウンドだ。(阿呆)。

2~3人前の大盛りラーメンも、こういうことを考えながら食べれば、苦痛を伴わずに、楽しく食べられます。(え?楽しくないって!?)

ただし、果敢に挑戦したはいいが、玉砕したとしても、筆者は責任を負わないので、そのつもりでね。

記:2001/11/01

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