カフェモンマルトル

text:高野雲

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AKB総選挙、指原莉乃1位に思うこと。

      2017/05/31

クイック・ジャパン 103クイック・ジャパン 103

総選挙1位

先日、日産スタジアムで行われた「AKB48 32ndシングル選抜総選挙」の開票結果。指原莉乃がまさかの1位で、私はその模様の生中継をテレビで見ていたのですが、なかなか面白かったです。

まっとうな予想では、大島優子が1位というのが、まあ妥当な線だったのですが、まさかの2位。

アイドル 偶有性

この、指原の逆転劇で思うことは、やっぱり、アイドルに大事なことは「偶有性」だよなぁってこと。

人間って、好き嫌い問わず、とにかく「気になるもの」からは目が離せない生き物なんですね。
それは、音楽も、人も、会社のような組織でも、気になるものをついつい追いかけてしまうのが、我々人間の習性のようです。

「ハラハラさせてくれる、だから目が離せない」あるいは、「頭にくる、嫌い、だけど目が離せない」。だから、気になる対象のことを追いかけてしまうのです。

たとえば会社を例に挙げるとすると、昔はソニー、今はアップルやグーグルが、その代表例なのかもしれません。

なにか面白いことやってくれそうだ。
次の新商品が楽しみだ。

アップルのように、次から次へと新しい製品を発表していく会社に対して、そのような期待感を持つユーザーって、少なくないと思うんですよね。

たとえ新製品がコケたしたとしても、もしかしたら、次の新製品で挽回してくれるかもしれない。そう消費者に期待させ、結果、その企業に注目せざるをえない状態になってしまう。

しかし、ファンも多いが、その反面アンチも多い。
安定感とは真逆のハラハラ感を常に湛えている。
芸能人という職業にも多分にこのような要素が求められるのかもしれません。

そして、この偶有性の「ある・なし」は、努力で獲得できるものでもなく、きっと天性のものなのでしょう(だからアイドル=才能なのでしょう)。

あくまで私の分析ですが、大島優子の場合は、安定感はあるけれども、その反面、ハラハラ感は(個人的には)感じられません。
良くも悪くも優等生なんです。スペック高く、バランスが取れていると思う。

そして、その逆が今回の指原莉乃なのです。



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週刊文春 スキャンダル

昨年は『週刊文春』が暴いたスキャンダル、それに伴うHKTへの移籍など、 いろいろな波乱があったけれども、その波乱そのものが物語となり、関心ある人からしてみれば、「一体、どうなるのだろう?」というハラハラ感と、期待感がある。それは、ファン、アンチ含めて。

さしこのことが嫌いな人でも、今回の総選挙にいたるまでの物語を脳内で勝手に紡ぎだしてしまう(まさに私のことかもしれない)。

そういえば、AKBを卒業した前田敦子にも、そのような偶有性がありましたよね。それは、指原莉乃以上でした。

私はあまり前田敦子のことは好きではなかったのですが、好きな人は猛烈に彼女のことが好きでした。
彼らファンの「あっちゃんをバカにするな!」のパワーがすごいんですよ。

アンチも多いぶん、そのアンチのパワーを押し返すだけのファンのパワーも凄い。
この対立の図式そのものがイベントであり、物語になる。

「大島優子、唯一の欠点は“嫌われる才能がない”」というような内容を『AKB48白熱論争』という本で読んだ記憶がありますが、まさにそのとおりだと思います。

AKB48白熱論争 (幻冬舎新書)AKB48白熱論争 (幻冬舎新書)

たとえ、バラエティではヒョウキンな性格を遺憾なく発揮したとしても、その安定して笑いを取れるということも含めて、それが彼女は「ソツが無い」という印象に繋がっているのかもしれません。

祭り 刑罰

学校や会社組織においては、欠点がなく、ソツなく物事をこなせる人のほうが重宝されるのでしょうが、芸能界の場合は、必ずしもそうでないわけで、だからこそ、スポーツや試験と違って「努力=結果」に即結びつかない様々な「変数」をはらんでいるところが、面白いといえば面白いのです。

しかし、この「面白い」は、、野次馬根性で見ている傍観者だからこそ言えること。当事者たち(AKB48のメンバー)からしてみれば、「たまったものではない!」ことなはずです。

だって、総選挙中の順位の発表を待っている彼女たちの表情、見ました?

待と不安とプレッシャー、汗と涙と心臓の動機、これら全てがゴチャマゼになって襲いかかってきたようなあの重圧に押し潰されそうな表情。

10代、20代の少女たちをその「たまったもんじゃない」現実に直面させ、その姿、表情をそのまま日本全国に「さらし者」にしてしまう、ある種の残酷さ。これが総選挙に多くの人たちが夢中になる根底にある要因なのではないかと思うのです。

昔は、刑罰を受ける罪人がさらし者にされたり、処刑場でも人だかりが出来た。
もともと人間って、そのような残酷な好奇心がある動物だと思うのです。

私は、一時期、江戸時代や中世の刑罰や拷問に興味を持っていた時期があり、色々な文献を読み漁ったことがあるのですが、人間って、よくもまぁこうも色々な方法を考えるなぁと思ったものです。

日本刑罰風俗図史日本刑罰風俗図史

しかし「AKBの総選挙」の場合は、とりあえず人は死なないし殺されないし(汗)、ヒトが潜在的に持つ残酷な好奇心や覗き見趣味を覆い隠すだけの娯楽性が全面に出た、「儀式」というよりは「祭り」のニュアンスのほうが前面に出ています。

人々が潜在的に抱いている残酷な好奇心も、「応援」という善意の感情に置換されるため、すごく健全なかたちで「民衆」がカタルシスを得ることが出来るシステムだと思います。

だからこそ「総選挙」というシステムを考え出した秋元康氏は、やっぱりスゲぇ人だと思う次第なのであります。

ローマ帝国のコロッセオで行われた決闘以上に大勢の民衆を巻きこみ、熱狂させ、ストレスを発散させ、しかも誰も血を流したり生贄になることがないのだから。

そう考えると、AKB48グループの選抜総選挙というイベントは、資本主義社会の本質(CDを買わなきゃ投票できないという経済原理も働いている)を、きわめて肯定的にエンターテインメントに昇華させた、高度に進化した祭り、あるいは儀式の形態なのかもしれません。

記:2013/06/10

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