夢は叶う。というより、いつの間にか叶っていることが多い

   

10年以上前に思い描いた生活をしている

私が30代の頃は、30代前半は広告の仕事、後半は雑誌編集の仕事で、それこそ忙しい時は(雑誌の場合校了の前の数日は)、家に帰れない日が続くほど「自分の時間」を確保できない日々でした。

もちろん、24時間365日、仕事でガンジガラメだったわけではなく、スキマ時間を見つけてはチョクチョク家に帰って束の間の時間を息子と遊んだり、現在は離婚してしまいましたが、当時は妻と息子と3人でよく食事に行き、その後は再び仕事に戻るという生活を延々と繰り返してはいました。

家族とだけではなく、人付き合いも、仕事の性質上、夜の9~10時頃から明け方近くまでは、ポッカリと空き時間が出来ることもあったので、その隙を塗って仕事を抜け出し、六本木や西麻布に行って飲んだり楽器を弾いたりして、再びタクシーで編集部に戻るというような生活もしていたので、完全に仕事漬けの日々だったというわけではありません。

ただ、そのような「細切れな時間」を隙あらば愉しむことに費やしていたのですが、「まとまった時間」を取れることが少なかったんですね。

ちょうどこの記事を書いた頃だったと思います。

>>ガブスレイ!久々のガンプラに驚き。

日付を見ると2006年の1月になっていますから、じつに今から12年前のことですね。

久々にガンダムのプラモデル(通称ガンプラ)を作ったのですが、その時に考えたことは、「あ~、1日中ガンプラを作れるようになりたい!……とまでは言わないけど、せめて、1ヵ月に1個くらいのペースでガンプラを作れるだけの時間と余裕のある生活になりたい」。

そんなことを強く思ったことがあったということを、さっき思い出した(笑)。

そうしたら、なんだ、叶ってるじゃん。

私は、2年ほど前から、ガンプラに再びハマりはじめ、せっせと作っては、その製作途中の過程をネットにアップしています。

いつの間にか、10年以上前の願望が既に2年前に叶っていたわけです。

叶った自覚がないことが多い

こういうことって、結構たくさんあります。

ただ、叶ってしまうと、すでに過去に「こうなりたい」「あれが欲しい」と思ったことを忘れてしまっていることが多いので、「叶った!」という自覚がないだけです。

皆さんもそういうことありませんか?
きっとあるはずです。

もうひとつだけ例を出すと、ジャズの話です。

私、ジャズを聴き始めの頃は、ジャズマニアの人たちって、すごく怖かったんですよ。

こちらの記事(そうだ、ジャズを書こう!)の「怖~いマニアな人たち」にも書いたことなので、重複は避けますが、要するに高校生の頃の私は、「怖いジャズマニア」の人たちと対等に話せるようになりたい、そのためには(彼らに認めてもらうためには)、雑誌に記事を書いたり、無理だろうけど本を出すぐらいなことをしないとダメだろうと、なぜかその時はそう思ったんですね。

そして、これも以前本を出してしばらくしてから、お風呂に入っているときにふと気が付いたんですが、高校生の時分にふと思ったことが既に叶っているじゃないか。

ジャズの本も出したし、たまに雑誌にも寄稿している。それどころか、だいぶ前ですが、2年もの間、週一でジャズの番組をFM局で持たせてもいただいた。

映画やドラマやマンガなどでは、主人公が夢や目標を抱いて、それに向かって苦節ウン年の努力をして、夢がかなった瞬間に「やったぜ!」と笑顔を涙と感謝のハッピーエンドというパターンが多いのかもしれません。しかし、現実世界では、そういうことって試験やスポーツの競技などの「決められた日にリアルに結果が出るイベント」以外は、「叶った」という実感を得ることは少ないのではないでしょうか。

例を「あとひとつだけ」と書いておきながら、書きながら芋づる式にどんどん思い出してきたので、もう少し書いてみます。

私は、高校生の時に漠然としたテキトーな人生目標めいたものを日記に書いた記憶があるのです。
その内容は、「25~27歳で結婚、28~29歳で家を買い、30までには父親になっている」。

そして実際は「27歳で結婚し、29歳で家を買い(といってもマンションの一室ですが)、31歳になる2か月前に長男誕生」。
ピタリと一致しているわけではありませんが、大筋は外れていない。

別にそれに向かって努力したわけでもありませんし、むしろ大学に入った後や、社会人になって仕事に追われるようになってからは、そんなことを考えていたことなんて忘れてました。

ピアノやシンセサイザーに一辺倒だった私が、大学にはいってからベースを弾くようになったのも、高校生の頃に見た夢が関係しているのかもしれません。
アンスラックスのベーシストのフランク・ベロがステージに立てなくなったため、急遽、スコット・イアンにトラ(エキストラ/代役)を頼まれ、黒いベースを肩からかけてアンスラックスのステージで《アマング・ザ・リヴィング》や《コート・イン・ア・モッシュ》を頭をフリフリしながら弾くという夢を見たんですね。
当時の私は、ベースという楽器は触ったことすらなかったのに、なぜか夢の中ではラクラクと弾けていて、すごく楽しかった。
数年後、楽器屋で最初に買ったベースは黒のベース。
そして、黒いボディの端っこに白い塗料で「So What」と書いたのですが、この文字と位置、どこかで見覚えがあるなと思って数日後にメタルの雑誌『メタリオン』をめくっていたら、メタリカのジェイムズ・ヘットフィールドが、同じような位置に「So What」という文字を書いているギターを弾いている写真を見つけた。
と同時に、私が落書きした黒くてヘッドが尖ったベースって、これ、夢の中でアンスラックスと共演したときのベースそっくりじゃんということにも気が付いた。
もっとも、今現在、私はアンスラックスと共演はしておりませんが(当然ですが)。

また、以前ある女性と付き合っていたのですが、一時期、私、ある女優さんのファンでして、お風呂にはいりながら、漠然と「あの女優さんのような人とお付き合いできたら嬉しいだろうな」と考えていたことを別れて数か月してから思い出した(苦笑)。

書きながらまた新たに思い出したことがあるので続けます。
中村獅童と竹内結子が結婚するキッカケとなった『いま、会いにゆきます』という映画を観た時、その映画に登場した佑司くんという中村獅童の息子役の男の子が印象的でした。劇中では小さい男の子だったのですが、月日が流れたラストでは立派な青年に成長していました(演じていたのは平岡祐太)。
このシーンを見た私は、当時小さかった息子を見て、「将来は、こいつもデッカくなるんだろうな、平岡祐太のようなイケメンになるかどうかは分からないけれども、こいつが大きくなったら、親子で酒を飲みながら仲良くざっくばらんにあれこれ語り合いたいな」と、なんとなく思ったんですね。
そしたら、それも気が付いたら叶っているという。
だって、我々親子は、週に2~3回の頻度で近所の居酒屋で語り合ってますから(笑)。

あ、もちろん息子は未成年なので酒は飲んでませんけど、私が思い描いた「父と成長した息子が居酒屋のようなところで語り合うシーン」は、そっくりそのまま実現しているということに、さっき気が付いた(笑)。おまけに、身長もグングン伸びて、今では私を追い越しそうです。
また「平岡祐太のようなイケメンになるかどうかは分からないけれども」のクダリも、実際自分の息子のことなので客観的にはなれないのですが、息子は外ではイケメンと呼ばれているようです。高校にはいってからは、街中で何度もタレント事務所にスカウトされているようですし、バレンタインや誕生日の日などは、帰宅すると両手に持ちきれないほどのプレゼントを持っていて、玄関のドアを開けるときも、いったん紙袋や花を地面に置いてからドアを開けるほどですし、複数の外国人の女性と付き合ったりもしていたため、英語(というより英会話)に関しては自信があるようです。

これも、私が思い描いたほんの数秒のビジョンが、思い返せば実現していたという一例です。

他にも、本当に挙げれば小さなことまで含めると枚挙に暇がないのですが、これらの共通した特徴は、「叶っても叶ったことの自覚がない」ということです。
数日後、いや数か月後や数年後に「そういえば叶っていたじゃん!」と驚くことのほうが圧倒的に多いのです。

以前、神田昌典氏が『非常識な成功法則』という本で、「脳は高性能なレーダーで、一度ロックオンした標的には延々と追いかけ続ける」というような内容を書かれていましたが、まさにそれかもしれません。

お風呂に入りながら、なんとはなしに、「あんなこといいな、出来たらいいな」みたいなことをゆる~く考え、意識の表面上ではすぐに忘れてしまっても、意識下では、その目標が実現するまでは願望実現に関係する情報に対してアンテナを張り続けているのかもしれません。

今思い描く未来の願望

だとすると、もしタイムマシンがあって過去に行けるのであれば、私は昔の自分に会って殴ってやりたい。
「おいお前! なんて小さな願望ばかりを思い描いているんだ。もっとデカい夢を想い描けよ!そうすれば、俺は今頃……」

いや、待てよ。
過去の自分に依存するのではなく、今、欲しいもの、叶えたいことがあれば、今からでも遅くない、たった今から思い描け良いではないか。
たとえ、叶うのが何年か何十年後になるかもしれなくても。

では、今の私の望みは? 叶えたい願望は?
そうだね、息子、父親、母親、妹(とその家族)、弟(とその家族)など自分の家族がいつまでも健康で元気でいて欲しい。病気とか怪我で入院されたりするとお見舞いに行くのが面倒だし、何だかんだで費用がかかるしね(笑)。
それと、年に一回、正月に親族が集まって食事をしたりするんだけど、こういう短いながらも楽しい時間が、この先何年もずっと続いて欲しいと思う。

なんだ、真っ先に出てきた願望は、「自分のこと」ではなかったぞ。
オイラも少しは成長したかな?

記:2018/02/27

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