カフェモンマルトル

text:高野雲

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フェンダーオールド礼賛

      2016/01/30

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57 precision

フェンダーのオールド派だ。

オールドでなくばベースにあらず、とまでは言わないが、一度オールドの魅力に取り憑かれてしまえば、もう後戻りが出来ない。

少なくとも、私はそうだ。

オールドにはベーシストを魅了してやまない魅力がある。

その魅力とは一にも二にも「音」だ。

「音色」ではない。

音色というのは人それぞれ好みや感じ方の違いがあるので、「普遍的に良い音色」というものは存在しないと思う。あくまで「音」が良いのがオールドなのだ。

とにかく弦を弾(はじ)いてみる。自分の弾いた感触が100%音となって跳ね返ってくる。

いや、自分の弾くときのイメージを10だとすると、12ぐらいの予想だにしない手応えが音となって跳ね返ってくるのだ。そして、ズン!とした身体に響く手応え、振動!

音色以前の音の固まり、粒子のようなものが心地よく全身を刺激する。

私は初めて楽器屋でオールドを試奏した時は、そのレスポンスの早さと、こちらの気持ちの「アヤ」までをも読みとった反応に心底驚いたものだ。

試奏する前までは当然ヒヤカシのつもりだった。チマタで「良い」と言われているオールドってのはどんなもんだろう程度の気持ちでしかなかったのだが、その反応の良さと音の存在感には驚いてしまった。

しかしオールドは高価だ。素晴らしいベースだということはよく分かったが、高いモノだと100万に手が届く、いや、それ以上の値段のモノもザラにあるのだ。

欲しくても気安く買える値段ではない。噂にたがわず、オールドって凄いんだということを確認できて良かったと思うことにして、楽器屋を後にした。

ところが、翌日に私はオールドを買ってしまう。

何故かというと夢に出てきたからだ。

オカルトではない。

寝ている間に身体がオールドを弾いているのだ。

身体の記憶とは恐ろしいもので、楽器屋で試奏した数十分の出来事を指先が細かく記憶していて、私が寝ている間にその素晴らしい楽器の反応を指が勝手に再生しているのだ。ネックの握り具合、弦を軽くはじいた時のゴン!という反応、予想以上に軽かったボディの重量感…
ほんの些細なオールドの手触りまでを私の身体がすべて記憶していて、オールドの感触を一生懸命再現しようとしていたのだ。翌日も電車に乗った時や、トイレに入っているときなど、ちょっとしたところで指先がオールドの感触を懐かしんでいる。

アタマでは、高いから買うまいと思っていても、カラダは正直で嘘をつかない。この先、オールド禁断症状に悩ませられたらどうしよう、という不安がよぎり、結局楽器屋に取り置き予約の電話を入れた。

オールドを手に入れた翌日は、会社を休んで弾きまくりに弾きまくった。楽器屋で弾いた時と同様、自宅の安いアンプにつなげても反応の良さは抜群で、とにかく指板に吸い付けられた指がなかなか喜んで離れてくれない。気が付くと、朝から晩まで寝食を忘れて猿のように弾きまくっていた。

また、アマチュアだが百戦錬磨のジャズの強者が集まる店のジャムセッションに出演し、持参したオールドで数曲参加したところ、こちらはボリュームを絞り気味にしていたにも関わらず、店の二階の客席にも音の輪郭が良く通って聞こえたと言われたことと、初対面のなかなかの腕前のギタリストから是非一緒にバンドをやりましょう、と声をかけられたりもした。

オールドを手に入れたことによって、大袈裟だが自分のベース人生が大きく変わってきたのではないかと錯覚したくらいだ。

しかし、後になって振り返ってみると、その時の私は斬れ味の良すぎる刃物を持った気分だったのではないのだろうか。斬れ味の良すぎる刀を持ったがために、ついつい試し斬りや辻斬りをしてしまう武士。
性能の良すぎる「道具」ゆえに、そういう気分になってしまうのだ。

しかし、所詮道具は道具にすぎない。人間が道具に振り回されているようでは、それこそ本末転倒だ。

武士の社会では、人を殺める道具・刀を持つことが許される代わりに、己を律する厳しいモラルがいつしか出来あがった。それがすなわち「武士道」だ。

私も以前から冗談半分で「ベース道」なるものを唱えていたが、あながち的外れではなかったような気がする。

とにかく、多少のベースの心得がある人がオールドを弾けば期待以上のサウンドとなって跳ね返ってくるので、「何でも弾ける気分」になりやすく、「自分は凄いベーシストだ」という錯覚に陥りやすい。

ところが、これは大きな落とし穴で、自分がウマイのではなくて、楽器の性能に助けられているにすぎない。

「機動戦士ガンダム」でアムロに敗れたランバ・ラルがグフから脱出する際に「小僧!貴様が勝てたのはガンダムの性能のお陰だ!」と捨てセリフを吐くが、まさにその通りのことがオールドにもいえる。

真に乗りこなすためには、たゆまぬ訓練と努力が必要だ。

また、自分が表現したいサウンドを常にイメージし、少しでも近づこうとすること。これらは楽器奏者にとってはあたりまえな心構えではあるのだが、ついつい忘れがちなこともまた事実。

身銭をきってオールドを手に入れて得た一番大事なことは、この当たり前な事実に気が付いたことだったのかもしれない。

メリットはまだある。

高いがゆえに、根が貧乏性な私は一生懸命モトを取ろうとしたので、練習時間が増えた。練習時間が増えれば、練習しないよりは技術面が向上する。技術向上の手応えがあれば、今度は人前で演奏する機会を増やそうとする。

ライブ出演の頻度が増し、自然と場数が増え、自信がついてくる。

たしに高価なオールドを手に入れるには、それ相応の決断が必要だが、手に入れさえすれば、「高い買い物をした」という事実以上に、そこから新たに自分を取り巻くベース環境が変わってくることの効用が大きい。

興味ある方は是非、楽器屋でオールドを試奏してみましょう。

そこで、あなたの人生が狂ってしまっても私は保証しませんので、念のため。

ちなみに私が現在所有しているオールドは、65年前期のハカランダ指板のジャズベースと、57年のプレシジョンです。

記:1999/07/04(from「ベース馬鹿見参!」)
加筆:1999/11/12 

追記

ウッドベースを買ったのと同時に、‘57年のプレシジョンは売ってしまった。

オールドショップの店員に、「本当にいいんですかぁ?」と、何度も何度も念を押された。しかし、毎日、常に触るベースは2本でも多すぎると思った私、エレキが1本、ウッドが1本あればいいやと思い、て売りに出したわけなので、悔いはなかった。

したがって、現在所有しているオールドは一本のみだ。

記:2001/12/29(from「ベース馬鹿見参!」)

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