カフェモンマルトル

text:高野雲

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原風景~横浜・本牧

      2015/12/19

honmoku

今聴いている音楽は、坂本龍一の『サマーナーヴス』のラストナンバー、『ニューロニアン・ネットワーク』。この曲のピアノのタッチは、少なくとも僕にとっては大変ノスタルジックである。小さい頃、まだ僕が横浜に住んでいた頃、よく行った本牧の市民公園を思い出す。

崖の上から臨む巨大な日石の白と赤に塗りわけられた煙突がモクモクと白い煙を吐き、周りには無数の石油の貯蔵タンク。そして、そのさらに奥を臨めばグレイの霧でかすんだ海の上にタンカーが停泊している。

巨大な煙突、貯蔵タンク、コンビナート……

小さな僕にとって、それは絶対的なパワーの象徴に見えた。僕の目の前に厳然と立ちはだかる、絶対に動かせない何か大きな静かなる力を内に秘めているようだった。
小さな僕の胸は何度、その圧力に負けて押しつぶされそうになったことか…。
今、思い返してみると、5才の頃までの僕にとっての「力の象徴」というものは、市民公園の崖の上から眺める日石のコンビナートの煙突だったのかもしれない。とにかく僕は日石のコンビナートには特別な思い入れがあり、この不思議で微妙な思いは筆舌に尽くし難い。

「ニューロニアン・ネットワーク」を聴くと、ちょうど市民公園の崖の上に立ったような感じがする。足がすくわれるようで、胸が圧迫されるようで、宙に浮いているような浮いていないような、上から押さえつけられるような…。
それでいて妙に落ち着くこの不思議な感じはなんだ。
巨大なんだけれども、無音。無言に、静かに煙りを黙々と吐く煙突。 本当に静かで、静かで……

18才のときの日記からの抜粋です(笑)。

部屋を整理したら昔の日記が出てきたのだが、面白いから読み返してしまった。

高校生の時分、「音楽日記」と名うって、色々な音楽をかけながら思いついたことを、ダラダラ書くという主旨の日記をしばらくつけていたことがある。

大嫌いだった勉強をさぼりつつも勉強をしているフリをする格好の逃げの手段だったのが、この「音楽日記」。

その中の一文の抜粋なんだけれども、うーん、若い俺って詩人だなぁ、よく分からないけど(笑)。

今となっては、当時の自分がなぜ坂本龍一のアルバムに収録された細野さん作曲のナンバーを聴いて幼い頃に焼き付いた風景を思い浮かべたのかはよく分からない。

ただ、実家の近所にある本牧市民公園と八聖殿をつなぐ小高い崖から眺める巨大な煙突と、遠くから聞こえるタンカーの汽笛は今でもリアルに思い浮かべることが出来る。

日石 八聖殿 本牧市民公園

私はあまり昔を懐かしんだりはしないタチだが、それでもノスタルジックな思いに浸れる数少ない風景のなかの一つだ。「原風景」といってもよいだろう。

日石のコンビナートの巨大な煙突や石油貯蔵タンク。

「彼ら」はいつも静かだった。

もっとも現場へ行けば騒音なのだろうが、少し離れた場所から眺める限りにおいは、非常に静かだ。

タンカーにしろ、煙突にしろ、貯蔵タンクにしろ、並はずれて巨大だ。ひとたび怒れば絶対に強いハズの彼らだが、牙をむくことなく、ただ淡々と、そして黙々と与えられた任務を遂行している。

私は典型的な転校生だった。父の仕事の関係で名古屋、大阪、東京と各都市を転々とし、結局4つの小学校に通った。

祖父と祖母の住む横浜の実家で暮らしたのは5才の幼稚園の時まで。

正月や夏休みになるたびに横浜の家へ遊びに行っていたのだが、必ず横浜の家へ行くと市民公園と八聖殿をつなぐ小高い崖の上へ向かった。

八聖殿とは空海・釈迦・日蓮・孔子・聖徳太子などといった八人の聖人の木造が展示されていたり、横浜市内の民俗文化財や資料が展示されている資料館だ。

辿り着くまでの木で覆われた暗くて長い坂を登り、ようやく視界が開けたところにまるで法隆寺の夢殿のような八角形の建物・八聖殿が陰鬱な佇まいで建っている。

八聖殿を通りすぎ、さらに小高い崖の上へ登ると、急に視界が開けて日石のコンビナートと、その奥に広がる鈍い色彩の海を望める。

「音楽日記」に記した通り、その風景はひどく私の胸を圧迫し、それでいて妙な心地よさと不思議な浮遊感をいつも感じさせた。

視界の拓けたところに出現する巨大な建造物。

これが、一つの私の原風景なのかもしれない。

honmoku

港の見える丘公園

そういえば幼い頃の私にとって懐かしい風景が、あと二つある。

一つは「港の見える丘公園」。

通っていた幼稚園の近くということもあり、たまに遊びに行っていた場所だ。

横浜埠頭と「港の見える丘公園」をつなぐ四季折々の草木に囲まれたフランス公園。

この公園内の急な坂道を登り詰めたところが「港の見える丘公園」だ。そこから臨む、なんとなく草臥(くたび)れた海と、停泊している赤錆だらけの小舟、そしてクレーン。この風景が幼心に好きだった。

そしてもう一つは、桜木町の駅前。

今でこそ「みなと未来」が出来たので、この駅の周辺はかつて栄えた元町や伊勢佐木町をしのぐ賑わいの場所となってしまったが、私が幼少の頃の桜木町駅の周辺は本当に何もないところだった。

ホームから見渡す駅の周辺は広大な空き地。たしか土管や鉄骨といった資材置き場だった。だだっ広い空き地にポツンと寂しげに置かれているブルドーザー。

巨大なクレーン。

荒涼と、そして殺伐とした風景は、仮面ライダーとショッカーはいつもこういう場所で闘っているんだなぁと当時は本気で思っていたほどだ。

電車が来るのを待っている間にホームから見渡すこの風景は、何故だかとても怖かったし、別次元の世界との境目のようにも見えた。不安な気持ちと何故だかとても懐かしい気持ちにいつも襲われた。

本牧市民公園の崖の上から臨む日石のコンビナート。
港の見える丘公園から臨む港。
桜木町のホームから見下ろす空き地。

この3つの風景が今になっても私にとっては非常にノスタルジックな原風景といえる。

不思議なことに、3つとも自然ではなく人工の建造物だ。

だからといって、幼い頃の私は自然に恵まれない環境で育ったというワケでもない。

むしろ逆だ。

毎日、近所の庭園を散策することが日課だったのだから。

三渓園

横浜の家から歩いて数分のところには「三渓園」という庭園がある。

物心つく頃から、毎朝近所のおじさんに連れられて三渓園の中を散歩するのが日課だった。

このおじさんは自宅で学習塾を営んでいた人で、いつも浴衣に下駄という出で立ち。

今思えば、なかなかの自由人っぽい人だったのだが、このおじさんがゆっくりと、そして悠々と歩いているのにくっついて歩くのが小さい頃の私の楽しみだった。

三渓園へ行けば四季折々の花や草木が咲き乱れている。

池には白鳥やアヒルや鴨、そして大きなニシキゴイがたくさんいて、毎日彼らに餌を与えるのが楽しかった。

小高い山の上にある三重塔まで登ったり、売店で一休みしながらおでんやお菓子をご馳走になるのが何よりの楽しみだった。

また、まれに売店でおもちゃも買ってもらえることもあったので、それが子供の私にとってのひそやかな楽しみだった。

が、不思議なことにあまりこの三渓園の風景というのは私の心には響いてこない。

やはり何かの折りにふと思い出す懐かしく、胸の締め付けられる風景というのは巨大な煙突や、錆びて草臥れた巨大な建造物なのだ。

再び坂本龍一の『サマー・ナーヴス』をかけてみた。

非常に心地よく落ち着けるサウンドだ。

だがしかし、永遠に落ち着ける「悠久なサウンド」というわけではない。

“一時的に一息つける場所”といった趣きでもある。

ここで一息ついた人々は、またそれぞれの自分の仕事や日常に戻ってゆく……。

幼い私は、息を切らせて暗い坂道を延々と登っていた。

昼間でも頭上の木々が太陽の光を遮るので暗くて陰鬱な坂だ。

急に視界が拓ける。安堵感を感じる。

そしてその安堵感と同時に目の前に映った巨大で無骨な建造物群が、やさしく静かに私を迎えてくれたのかもしれない。

そして、ひとしきり彼らと無言で対峙した後、いつもの日常に戻って行く私がいた。

記:2001/02/25

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