カフェモンマルトル

text:高野雲

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故郷 横浜 本牧

      2017/05/31

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横浜→根岸

4月のある晴れた日のこと。

ちょっとした用事を思い出したので、昼過ぎに横浜へ向かった。

ところが、あまりにも天気が良かったので、生まれ故郷の本牧近辺を散策してみようと思い立ち、横浜駅では降りず、そのまま京浜東北線に乗り続けた。

関内、まだまだ。石川町。降りてもいいけど、もう少し。

山手駅。

ここで降りると、山手の駅周辺は坂だらけなので、本牧に出るためには、いったん坂を登ってから下らなければならない。だから次の根岸駅まで乗り続け、根岸駅で降りた。

その日の私はミリタリーブーツを履いていた。

これを履いていると足がどんどん前に出て行く感触がある。見た目よりも軽量で、足への密着度が高いので、ひざから下がとても軽く感じるのだ。

根岸の駅から本牧に向かって足取り軽くテクテクと歩く。

普段ならタクシーを使うところなのだが、4月の陽射しと、ほどよく冷たい空気が心地よく、タクシーに乗るのはもったいないと感じたので、外の空気を肌に感じながら歩くことを選択した。

時折、公園や空き地に植えてある桜の花を眺めたり写真を撮影したりしながら横浜の春の空気を楽しみながら歩いた。



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ホームグラウンド

歩く。歩く。

本牧市民公園、八聖殿、三渓園……。

本牧のこの一帯は私の故郷でもある。

私は、横浜の元町の病院で生まれ(その産婦人科、今はもうなくなっている)、市民公園や三渓園が近くの本牧三之谷(三之谷は旧地名)で生まれ育った。

といっても、そこに住んでいたのは5歳の時まで。

父の仕事の関係で、父、母、妹と私は名古屋に引っ越した。

小学校にはいると、今度は兵庫県の西宮に引越し。ただし、祖母と祖父はそのまま横浜の三之谷の家に残り生活していた。

夏休みや冬休みにると、私と妹は横浜の祖父と祖母が住む家に戻り、毎日、三渓園や市民公園、八聖殿の周辺を散策して遊んでいた。

そんなこともあり、私にとっての「ホームグラウンド」は、横浜の三之谷で、その横浜の家が「本当の家」で、名古屋や西宮の家、そして小学校4年生になって引っ越した先の葛飾区の堀切菖蒲園、さらに中学生になってから引っ越した江東区の亀戸などは「仮の住まい」という感覚だった。

そして現在

十五年前に祖父が他界し、三溪園の入口近くにある本牧の家は、祖母一人が引き続き住み続けていた。

しかし、その祖母も昨年亡くなり、横浜の本牧の家は誰も住む人間がいなくなったため、現在は取り壊され、外国人が住む二世帯住宅に生まれ変わった。

自分の意識の中に常にあり続けた「帰る場所(=本牧本牧三之谷の家)」は消滅し、しばらくは何ともいえない喪失感が続いていたが(今でも軽く続いている)、いつまでもこのままではいけないと思っている。

過去を引きずっても仕方ない、もっと前へ前へ、未来に向かって力強く踏み出そうと自分の中のポジティヴな意識は理性のレベルで常に自分自身に語りかけるのだが、本能のレベルだと、まだまだ横浜の空気に触れてしまうと、その土地の空気や風(微妙に潮と土の香りが混ざった風)が細胞レベルに働きかけてきて、なかなか振り切れるものではない。

人間の細胞は7年だったか10年だったか忘れたけれども、それぐらいの周期でまったく入れ替わってしまうという話を聞く。

だとすると、横浜に住んでいたときの私と今の私とでは、まったく別の人間になっているはずだ。

それも、5回も6回も別な人間に生まれ変わっているはずだ。

しかし脳の中にある記憶までは書き換わらないわけで、本牧市民公園の崖の切り肌や、八聖殿近くのフグの像から眺める日石の製油所から風に乗って聞こえてくる静かな低音を聞くだけで、もう本牧に住んでいた頃の記憶が細胞レベルで蘇ってきてしまうのだ。(ちなみにこのページのヘッダ画像は、市民公園と八聖殿の中間地帯にある小高い林から撮影した日石の工場です)

やはり、そう簡単にその土地が持つ土や空気の記憶までは消し去ることが出来ないと改めて思った。もちろん無理して消し去るつもりはないのだけれども。

自分の原点

自分にとって帰るべき「ホーム」は無くなってしまってはいるけれども、本牧の三之谷周辺が持つ独特の空気は、やはり自分の原点なのだなと、この地を訪れるたびに思う。

懐かしさとはちょっと違う感触だと思う。私が子供の頃の電車通りは外国人居留地が金網で区切られていたが、やがてその広大な土地はマイカル本牧に変わり、そのマイカル本牧も今はなくなってしまっているように、かなり町の景観は変わってしまっている。

だから、変わってしまった景色を見たところで懐かしさは生まれようもない。

しかし、その土地が持つ独特の匂い?磁力?空気?そういった目に見えない要素と、私の身体の内奥にある何かが共振する感触は、この地を訪れるたびに感じるのだ。

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きっとそれは、自分自身という存在の出発点であり、ゼロメートル地点なのだということの体感なのかもしれない。

だから、もう立ち寄る家は無くなってしまったものの、それでも折に触れて本牧には立ち寄ろうと思う。

この地域一帯の空気を吸うために。
自分の原点を確認するために。

記:2014/04/08

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