カフェモンマルトル

text:高野雲

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勝ち組、負け組、上流社会、下流社会… なんじゃそりゃ?

      2015/05/31

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zombie_cupple

負け犬。

勝ち組or負け組。

最近では、

上流社会とか、下流社会とか。

このような言葉を嫌いな方は多いと思います。

私も、強いていえば「嫌い」な部類に属しますが、もっと正確に言うと、はっきり言って、これらの言葉にはまったく関心がありません。

というかピンときません。

なにと競争して勝ったり負けたり?

なにをもって「上」とか「下」なわけ?

いや、さきほど、これらの言葉に関心がないと書きましたが、訂正。

関心あります。

言葉そのものにではありません。

これらの言葉が蔓延り、気にする人が多いという、今の世の中の風潮に興味があります。

年収、マイホーム、結婚or非婚……。

幸福の価値観が、他者との「相対比較」でしか測れない人間が多いということに興味があります。

もちろん、私も若い頃は、いや、つい最近ぐらいまでは、自分と誰かを比較して、ヘコんだり、優越感に浸ったりということは何度も繰り返していたので、あまりエラそうなことはいえないのですが、自分の状態に尺度や座標軸を求めること自体、生き方や自分の方向性が固まってない証拠ですよね。

ある日、そういう過去の自分の姿に気づいて、ものすごく恥ずかしくなってしまった。

なんだよ、オレ、子供じゃん、ガキじゃん、みっともないじゃん、アホじゃん、馬鹿じゃん、何気にしてるんだよ、と思ったわけです。

自分はどうあるべきか、
自分はなにものであるべきか、
そんなことは、本来ならば、自分自身で決めるはずのこと。

迷って、考えて、悩んで、最終的に、自分はなんなのかを自分自身で決めることが出来る人こそ、成熟した大人というべきでしょう。

「幸福のモデルケース」なんてものは、本来ないのです。

いや、あるとしたら、自分自身の心の中にしかありません。

つまり、100人いたら、100通りの「幸福のモデルケース」があるわけで、テレビ、雑誌などのメディアが描き提示するものとは限らないのです。

しかし、これは私の甘い期待なのかもしれませんが、これからは、社会の成熟とともない、「相対比較な価値観優先」が少しずつ崩れてゆき、「自身の感覚優先」な社会に移行してゆくんじゃないかと思います。

今の日本は情報が多すぎる、やることが多すぎる。

だから、目先の処理で手一杯、自分の本当に好きなこと、やりたいことなど考えたり追求できる暇などない。

こう仰る気持ちも分かりますが、それは本末転倒ですよね。

だって、情報は、あくまで、自分の目的、意図、目論み、好奇心を満たし、実現するためのツールであって、情報のための自分自身ではないのですから。

少なくとも、私はそう考えているし、メディアの提示する、気まぐれで一過性な価値観に翻弄されないだけの「正気」は保ちたいと思います。

そして、これは親として息子に伝えなければならない大切なことだと思っています。

そのためにも、息子が大きくなっても、出来る限り、会話は絶やさないようにしたいと思います。

▼ま、いちおう読んではみましたが、だからなんなの?
下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)

▼一にも二にも、ネーミングの勝利。それ以上のものはない。
負け犬の遠吠え負け犬の遠吠え

記:2006/01/29(from「趣味?ジャズと子育てです」)

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