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ジャズと映画と本の日々:高野雲

謙虚になろう!~ザ・ベース道

      2016/03/03

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勉強にも、仕事にも言えることだが、ダメならダメなりの理由がある。

楽器においても同じことで、上達しない、伸び悩む時期は必ずあるし、多くの場合、それにはそれ相応の理由がある。

まず虚心坦懐に自らの姿勢を見直す必要も時にはある。

このことを肝に銘じておこう。

うまくいかない原因を見つめなおそうとしな限り、何も解決しない。

最悪なのは、開きなおること。

「これが俺のサウンドだから、ええやん」

ハイハイ、あなたがそう思うのならそれでも構いませんよ。

しかし、あなたは良くとも、最悪なサウンドを聴かされる周囲はいい迷惑ですわな。

「ジャイアン現象」とでも呼ぶべきか。

そして、「俺は俺なんだからいいではないか」と思った瞬間、成長は止まる。

それどころか、誰も自分のサウンドに耳を傾けてくれなくなる。

聴衆不在の自己満足は、自分が裸だということに気が付かずに極北まで突っ走る裸の王様のようで、笑えない喜劇だ。

自分のどこがダメなのか、どこが至らないのか。出来るだけ謙虚に自分自身と向き合うこと。

エモーションだけに頼らないこと。

もちろん、エモーションは大事だが、伝えるスキルは常に磨くことも大事だ。両方揃って始めて人様に伝わる“かもしれない”という次元に至るのだ。

「音楽をやりたい」という表現欲求、そして、それを裏付けるテクニックの鍛錬。

両者は等価だ。

エモーションとテクニック。

どちらか一方を否定して、どちらか一方だけで成り立つものではない。

ましてや対立するものでもない。両方とも無くてはならない大切な要因だ。

頭の悪い人、ヘタクソな人ほど、やたらにテクニックを否定し、エモーションだのハートだのとやかましいが、それは違う。

どんなに表現欲求が強くても、この内的欲求やバイブレーションをコントロールし、周囲にきちんと伝え、感動のレベルまでに昇華させるためには、やはりテクニック的な裏付けが必要となるわけだ。

これがないと、単なる騒々しい右翼の街宣車になってしまう。ウルサイだけだ。いや、迷惑ですらある。

もっとも、彼らだって、何かを伝えたいという欲求があるのだろう。しかし、欲求だけ。

ああいうただ単に拡声器でがなり立てるだけの伝達方法では、よっぽどの物好きでない限り、誰も耳を傾けてくれないことは当たり前のことだ。

レベルの高い人は、必ずロジックを持っている。

どのように聴衆と距離を置き、どのような表現をするのか。自分をどう魅せるのか。曲の聴かせドコロはどこなのか。最低限、自分は音で何を表現したいのか。そして、どのように盛り上げ、どのように盛り下げるのか。

もちろん無意識にそれらのポイントや勘ドコロを押さえている人もいるだろうし、意識的に組み立てている人もいるだろう。

ただ、無意識にせよ、自覚的にせよ、一流の表現者には必ず演奏に取り組む際の姿勢や自分なりのシステムを構築しているはずなのだ。

もちろん、いきなり、そうなれるわけではない。

多くの場合は数々の人前での演奏経験を通して自然に備わってくる能力だと思う。

つまり、時間がかかる。

しかし、目指してみる価値はある。

もちろん、自分のエモーショナルな部分を御しきれないプロの表現者もいるのだと思う。

だから、プロデューサーという存在があるわけで。

自分でも自覚していない、自身の最良の部分を引き出そうと考えてくれる存在。

中にはそうでもないプロデューサーもいるかもしれないが、多くのビッグネームとなったアーティストの成功の影には名プロデューサーの尽力が大きく作用していことが多い。

しかし、アマチュアな我々には当然のことながらプロデューサー的な存在はいない。

自分自身がプロデューサーになるしかないのだ。

そのためには、常に謙虚な気持ちで自己チェックを怠らないことだ。

自分が苦手なこと。自分が得意なこと。今、自分がやりたいこと。そのやりたいことは、今の技量で可能なのか、不可能なのか。不可能だとしたら、一体何をどうすれば良いのか。

たいていの人は、自己評価が20パーセント増しなのだという。

つまり、実際の自分のレベルよりも少し上のレベルだと錯覚しているということだ。

まぁ、要するに人は皆、多かれ少なかれ自惚れているところがあるということだ。

このことを念頭に入れれば、少しは自己評価の誤差も少なくなろうというものだ。

そして、一番有効なのは、やはり人の意見を聞くことなのだと思う。

たいていの場合、自己評価よりも、人様の評価のほうが手厳しいし、的を得ている場合が多い。自分にとっては思いも寄らぬ盲点をズバリ指摘されることだってある。

その際、素直に忠告やアドバイスを受け入れられるか、受け入れられないか。

謙虚に耳を傾けられるか、それとも「いいじゃん、俺は俺なんだから。」と開き直って啖呵を切り、たかがしれている「自分らしさ」とやらだけに拘泥しつづけるのか。

そのときの態度いかんで、今後の上達具合が決まるのだろう。

謙虚になろう。謙虚に自身と向かい合おう。謙虚にベースと話し合おう。

ヘタクソが、ギャーギャーご託を並べて開き直っている様が、いちばんみっともないし、醜い。

そうはなりたくないでしょ?

だからこそ、謙虚に日々是精進。

実るほど頭を垂れる稲穂かな。
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この姿勢は、ベースに限らず、仕事など、日常生活すべてのことに言えることでもある。

記:2002/02/09(from「ベース馬鹿見参!」)

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