カフェモンマルトル

text:高野雲

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腹の中の子供に「らいおん」と名づけ、会話をしていた私。生まれる前から仲良しだったのだ。

      2016/02/16

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はじめて生まれたての息子に出会ったときの感覚は、オフ会で、メールでのやり取りを重ねていた人と初めて会ったときの感覚に近かったのかもしれません。

メールや掲示板でのやり取りは重ねているから、前もって、一応どんなキャラクターなのかは、なんとなく把握しているつもりではある。

しかし、面と向かって直に会うのは初めてだから、本当はいったいどんな人物なんだろう?という期待と不安を抱いてオフ会に向かいます。

そこで会ったときは、「ああ、やっぱりこういう人だったんだ」ということもあれば、「あらら、イメージとはちょっと違うぞ」ということもあります。

息子が生まれたという連絡を受け、急いで病院にかけつけた私。病室で女房が抱いている小さな赤子を見たときは、正直、初対面という気はまったくしませんでした。

「やあ、久しぶり」

「やっぱり、君は思ったとおりだ」

「でも、思っていたより小さいな」

心の中で、こう話しかけました。

私は、息子が女房の体内からこの世に出てくる前も、さんざんおなかの中の息子と会話をしていたのです。

自分と女房の出会いから、仕事の話。歴史や音楽の話や、いま自分が興味を持っていること、それに生まれてきたら、何をして遊ぼうという相談、などなど、いろいろなことを話しました。

べつに、胎教のつもりでやっていたのではありません。

女房のおなかの中の動く物体が、ただ、面白くて、色々話しをしたかったからなのです。

傍から見れば、ヤバい人が妊婦のお腹に向かってブツブツと独り言を言っているように見えたでしょう。

ところが、私は独り言を言っているつもりはまったくありませんでした。

なぜなら、私の一言一言に、いちいちリアクションをしてくれるからです。

お腹に手を押さえて喋っていると、様々な内部からの動きや感情が伝わってくるのです。

ドンドンと内側から蹴っ飛ばす反応もあれば、ゆっくりと寝返りをうつような反応もあります。

そして、このリアクションのタイミングが、まるで私の話に相槌を打つようなのです。

面白いので、色々な話をしました。

特に、当時は井上ひさしの『東京セブンローズ』を読んでいたこともあり、昭和20年3月10日の東京大空襲はいかに非人道的な民間人の計画的な大量虐殺をアメリカ軍はやったのかということを、憤りを持って爆撃の詳細を語ったところ、女房の腹の内側からは怒りのこもった蹴りが返ってきました。

偶然なタイミングなんだろうけれども、そして、私の勝手な解釈なんだろうけれども、このとき、私は、「おお、こいつは話の分かるヤツだ」と一人で喜んでました。

アホですね(笑)。

息子が生まれる前は、名前は考えていませんでした。

しかし、名前がないと呼ぶときに不便です。

だから、私は、とりあえずの名前として「らいおん」と名づけました。

なんだか大きくて強そうな気がしたからです。

さらに、どこかしらリアクションのタイミングが、いちいちユーモラス。

だから、カタカナのライオンではなく、ひらがなのらいおん だったのですね。

「おい、らいおん、今日の調子はどうだ?」

みたいな感じで話しかけていた私。

アホですね(笑)。

でも、らいおん、らいおん、と呼んでいるうちに、本当にお腹の中の子がらいおんのような気がしてきて、生後、本当の名前を命名するときには、らいおんのイメージを払拭するのに苦労しました。

というわけで、今、息子は、6歳ですが、6年以上、生活をしているような気がするのです。

それは、生まれる前から、腹を介して会話するという奇妙なコミュニケーションを取り続けたからなんだなぁと思っています。

●お腹の中の息子と会話をし始めた頃に読んでいた『東京セブンローズ』。分厚いが、面白いので一気に読んでしまいました。

東京セブンローズ東京セブンローズ

記:2005/11/16

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