過去を振らないマイルスと、振り返れないワタシ - カフェモンマルトル

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ジャズと映画とプラモの日々:高野雲

過去を振らないマイルスと、振り返れないワタシ

   

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過去を振り返れない

マイルスは過去を振り返らなかった。

過去を振り返った唯一の例外は死の2ヵ月前のモントルーのライヴだけだった。

この例外を除けばマイルスは常に前進を続けたアーティストと称され讃えられ続けている。

過去を振り返らず、常にに未来を見続けた男。
まさにストイックなアーティスト像といえよう。

しかし、本当にマイルスは新しい創造に邁進するだけのために過去を振り返らなかったのだろうか?

既に鬼籍にはいってしまったマイルス氏に直接伺う術はない。

しかし、もちろん私はかの不世出のアーティストであるマイルス・デイヴィス氏と自分をなぞらえるつもりはまったくないのだが(それは滅茶苦茶「僭越」かつ「不遜」だ)、少しだけマイルスの気持ち、というか、いや、マインド面というよりは、身体の感覚がなんとなくわかるような気がするのだ。

いや、もちろん違うのかもしれないけれども、自分の「症状」を自覚するにつれ、もしかしたらマイルスもそうだった」のかな?なんて思ってしまうのだ。

その「症状」とは、いや、「症状」と書くと大袈裟なのかもしれないが、要するに過去を思い出すと呼吸困難になる。私の場合は。

呼吸が苦しくなる

特に風呂場で自分が10代や20代の頃の記憶がふと蘇り、その記憶のパーツを引き延ばそうとすると、呼吸が苦しくなる。

あわてて別のことを考えて、息苦しさから逃れようとしている自分がいる。

なぜなんだろう。

十代の楽しい思い出がふと思い浮かぶと、「そういえばそういうこともあったよな」と懐かしい気分になり、その出来事に至るまでの経緯や、その出来事の内容をより詳細に思い出そうとすると、なんだかとてつもなく息苦しくなってしまうのだ。

特に、この症状は2年ほど前から顕著だ。

昔は昔、今は今。
美化された(されているに違いない)想い出なんかにひたる暇があったら今を生きろということなのだろうか?

とにかく頭の中で思い出を無理やり引き延ばしてノスタルジックかつセンチメンタルな気分に没入しようとする自分を私の潜在意識のようなものがストップをかけているように感じるのだ。

昔に戻りたいわけではない

しかし、不思議なことに文字を書いている時、つまり、今まさにパソコンのモニターに向かってテキストをキーボードに打っている時のような状態の時は、そのようなストッパーは外れ、頭、ではなく指がパチパチとキーボードを打ちながら、どんどん昔の映像がモニターの5センチほど手前に投影されるのだ。

このサイトの読者だったらとうにお気づきのように、私はけっこう過去のこと、特に学生時代のことをよく書いている。

最近だと、爆風スランプや中森明菜のことなどね。

参考記事
>>BEST/中森明菜
>>ハイランダー/爆風スランプ

高校時代、学生時代の頃が充実して楽しい思いをしていたことに反して、今はしょぼくれたツマらない日常を送っているため、ついつい過去の自分に逃避しているのかというと、まったくそのようなことはない。

私はむしろ今の方が充実していると思う。

よく学生時代や高校時代に戻れるものなら戻ってやり直したいという40代、50代男性が多いことに私はむしろ驚いているのだ。

だって、私、もし人生やり直させてもらえるという神様が目の前にあらわれても、決して学生時代や20代や30代の頃に戻りたいとは思わないのだ。

もちろん楽しい思い出は数えきれないほどある。

しかし、もう既に一回体験しているんだから、なにもわざわざ逆戻りしてもう一度同じ思いをしようとまでは思わない。

今の頭の中身の状態で、10代や20代の頃と同じ体験をしたとしても、頭の中の情報量や経験値がまったく異なるわけだらか、おそらくまったく楽しめない可能性のほうが高い。

空っぽで、未体験のことが多いからこそ、ワクワクして楽しかったのだと思う。

それに1つの楽しいことの裏には10個の面倒臭いことや苦しいことがあったことも覚えている。

楽しいことが一瞬の「点」だとすると、その点の輝きに至るまでには、おそろしく退屈で無味乾燥な線が横たわっていたのだということも忘れてはならない。

だいいち、毎日律儀に同じ時間に起きて、電車に乗って学校に通っていたんだよ。
財布の中だって、お粗末なもので、それほど贅沢な買い物や飲食は出来なかった。
喉が渇いても、お腹がすいても、お金があまりないから、我慢していたことも多かったように思う。

好きな時に、あるいはやりたいと思ったその瞬間にやりたいことをやれる自由さと力のようなものは、若い頃の私にはなかった。

だから、数日に一回、自分がやりたいと思ったことや、欲しいものが手にはいった瞬間の喜びがとてつもなく大きなものとして記憶されているのだろう。

たしかに何かを成し遂げたとき、手に入れたときの喜びや達成感はあった。

しかし、今考えてみれば、そのスケールの小さなことよ。

もちろん、スケールの多寡を問わず、その当時の自分のキャパやレベルでは「大したこと」なのだろうけれども、今の自分のレベルやキャパからしてみれば、べつだん「大したこと」でも「スゴいこと」でもない。

無意識ストッパー

感覚が麻痺しているわけというではないと思。

過去の私の満足レベルと、現在の私の満足レベルが異なるだけだ。

要するに贅沢になったのかもしれないし、求めるものの規模が大きくなったのかもしれないし、欲しいものの質が変わったのかもしれない。

だからこそ、おそらく今の自分が今の脳味噌のままで過去に戻ったとしても、きっと現在の自分が美化しようとしているほど大したイベントではなかったのかもしれない。

だからこそ、私が思い出にひたろうとして、過去の経験を引き延ばしてノスタルジックな思いにひたろうとする気持ちを潜在意識がストップをかけているのかもしれない。

過去に逃げるな、お前の過去はお前が思いたいほど大したものではないのだよ、それより今だ、明日だ、今日をいかに生きるか、今日を面白おかしく生きるにはどうしたら良いのか、そういうことを考えるほうが健全ではないのか?
過去を振り返るなんざ、ジジーになってからでも遅くないではないか。
今からそんな過去の思い出にひたって何になる?

きっとそういう心の底の見えない力が、過去にひきずられて惚けてしまうかもしれない自分にストップをかけているのかもしれない。

生き様なのか、生理的問題なのか

そこで、ふと思い出したのがマイルス。

マイルスも、自分のレコードを聴き返すことはほとんどなかったという。

もしかしたら、過去を振り返るまいと自分に厳しく課していたのではなく、単純に、昔のことを無理やり現在と同列に並べると私のように呼吸が苦しくなっていたのかもしれない。

生き方のスタイル以前の問題として、要は単に生理的な問題。

もちろん、私はマイルスではないし、凡人が不世出のアーティストの内面を推し量ろうなんざおこがましいにもホドがあるのかもしれないが、過去を振り返ろうとすると身体がストップをかける今日この頃、ひょっとしたらマイルスも体質的にそのようなものがあったのかな?などと邪推してしまう今日この頃なのであった。

記:2018/10/25

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