得るものと失うもの~息子への手紙

      2016/03/04

kamome

まだ5歳の君には、むずかしい話かもしれないね。

でも、とてもたいせつな話なので、いまはわからなくても、いつかきっと、わかるときがくることを父上は信じています。

こんかいは、お金の話です。

いや、お金だけではなくて、“もの”とか“いいきぶん”といった、おおくの人間がほしがるものについての話です。

かんたんに言ってしまうと、「得ることは、失うこと」だということです。

お金でも、モノでも、なんでもいいんだけれども、なにかを得るということは、そのいっぽうでなにかを失くすことなのです。

なにかを失うことで、なにかを手にいれる、と言いかえることもできます。

なにも失わずに、なにかを手にいれることは、ふつうありえません。

たとえば、オモチャの話をしようか。

君が欲しいオモチャがあったとします。

おさいふを持ってオモチャ屋さんに行きます。

欲しいオモチャをもってレジに行きます。

レジでどうする?

お金を払うよね?

つまり、君のおさいふからはお金がへるんです。

君は、オモチャを手に入れることができた。

ひとつモノがふえました。

でも、さいふの中のお金は?

へっているよね?

これが、もっともかんたんな、「得ることと、失うこと」のかんけいなのです。

お金だけじゃないよ。

父上は、夜おそく家にかえります。

しごとでおそくなることもあるけれども、お酒を飲んで、いい気分になってかえってくることもあります。

お酒を飲むと、いいきぶんになります。

たのしいきぶんで、家にかえります。

でも、家に帰ると、もうねる時間です。

父上は、ほんとうは、家にかえったら、本もよみたいし、えいがもみたいし、ジャズとかのげんこうも書きたいのです。

でも、飲んでかえると、ねむいので、やりたいことができません。

お酒をのむと、とてもいいきぶんになりますが、そのぶん、“やりたいことができないということを支払っていいきぶんを手にいれているのです。

ただでいいきぶんになっているのではありません。

“時間”をしはらって、いい気分になっているのです。

あと、とうぜんお金もはらってます。

だから、いいきぶんを手にいれるいっぽうで、時間とお金を失っているのです。

その逆もあります。

先に失って、あとで得ることもあります。

たとえば、父上は、休みの日、家で楽器をおしえています。

楽器をおしえると、お金をもらえます。

ただでお金をもらっているんじゃないよ。

父上は学生じだいに、たくさんの時間とお金をつかっていたのです。

たくさんの時間をつかって楽器のれんしゅうやライブをし、たくさんのお金を楽器のせんせいに払っていたのです。

学生のときにぼうだいな時間とお金を使ったからこそ、いま、人に楽器のひき方をおしえることができるし、げっしゃをもらうことができるのです。

先に失ったぶん、あとから得ているのです。

いくつか例をあげたけれど、つまりこういうことです。

失うもの(無くなるもの)と、得るもの(手にいれるもの)は、つねに表裏一体の関係なのです。

これは、よくおぼえておいてね。

10をほしいと思ったら、自分の中から10を失う(払う)かくごがないといけない。

100を得ようと思ったら、100を失う(払う)かくごをもたなければいけない。

このバランスがとれているかぎりは、そんなに大きなトラブルもなく、まあなんとか、ふつうに暮らしてゆくことができます。

“みのほどしらず”にならなくなります。

じぶんのよくぼうをコントロールすることもできるし、欲しいものを手にいれるために支払う対価や、けいかくを逆算することができます。

けっして、大きな夢や欲望をもつなと言っているんじゃないからね。

むしろ、もつべきです。

でも、それを得るために、失うものや払うべきことをイメージできるようになりましょう、ということです。

たぶん、もう少し大きくなったら君のまわりにもそういう友だちが出てくるかもしれないけれども、なんのどりょくもしていないのに、こんきょのない自信だけで、オレはエラくなる、とか、オレは大丈夫だ、みたいなことを言う人。こういう人は、たくさんいます。

父上もむかしはそうでした(笑)。

でも、思いこみだけで、欲しいものはぜったいに手にはいりません。

もちろん、自信をもつことは悪いことではありません。

でも、なにかを得るためには、自分は何をどれだけ失えば、自分の中のどれほどをぎせいにすれば手にはいるのだろう、というイメージを持つことはたいせつです。

なにも得ることがなく、失ってばかり。

得てばかりで、なにも失ってない。

このじょうたいは、疑ったほうがよいです。

バランスが悪いです。

失わずに得てばかりの人は、あとで、大きなツケがまわってくるかもしれません。

お金持ちになったら不幸になった。有名になったら不幸になった。仕事では成功しているけど、家族が病気になった。こういう人って、じつはとても多いのです。先に大きなものを得たぶん、あとで、大きな支払いせいきゅうしょがまわってきているのです。

はんたいに、得ることなく、失ってばかりの人は、今は大変かもしれないけれども、将来、とてもよいことがあるかもしれません。

このつらさをバネにせいしんてきに強くなるかもしれないし、つらい体験をとおしてみにつけたことを、仕事にいかせるときがくるかもしれません。

得ることと失うことは、つねにプラスマイナス・ゼロなのです。

得るものと失うもののバランスに注意しながら生きていけば、きっと、大きな失敗や人生を踏み外すことはないと思います。

危険なのは、失うこともなしに、ある日突然、たくさんのモノを得ることです。

たとえば、宝くじや、ギャンブルで勝ったときのお金なんかがそうです。

そういうのを「あぶく銭」っていうんだけれども、不思議なことに、ほんとうに、自分の努力なしに転がりこんだたくさんのお金はみにつきません。

ま、あたりまえといえばあたりまえなんだけどね。

5千円の価値しかない人間に、5万円のお金がはいってきても、使いこなせるわけもなければ、身につけることもできません。

よい例が、ジュースとコップです。

小さなコップに、1リットルのペットボトルのジュースを注いでも、すぐにこぼれちゃうでしょ?

それと同じです。

コップぐらいの器の人が、自分の器にはいらないものを手にいれようとしても、必ずこぼれてしまうのです。

欲しいものが大きなものだったら、じぶんの器も大きくならなければなりません。

そして、不思議なことに、器が大きくなればなるほど、それにあわせたかのように、大量の水が自分の中に注がれるようになってくるのです。

このまえ銀座に行ったときに、たくさんの人が並んでいたよね。

あれは、宝くじを買う人たちです。

宝くじを買うと、労少なくして、たくさんのお金が手にはいる可能性があります。

失うものといえば、せいぜい自分のおこづかいていどのお金と、寒い冬のろじょうで何時間も立ってならぶことぐらいです。

たったこれだけの労力で、もし何千万円ものお金が当たったとしたら、とてもバランスが悪いです。

だから、宝くじが当たって不幸になる人って多いらしいです。

宝くじにかぎらず、自分の器には不相応な大金がころがりこんで、生活がおかしくなった人はいっぱいいます。

良い例が、子供のタレントの親なんかがそうですね。

じぶんの子供がはいゆうや歌手になって人気がでたとします。

たくさんのギャラが手にはいります。

自分たちが稼いでいるお金の何倍、何十倍ものお金がいっきに手にはいります。

けっかは……。

このお金をめぐってケンカをしたり、りこんしたり、という話がおおいです。

いさん相続の争いなんかもそうだよね。

自分はなにも失わずに、いっきにたくさんのものをもらおうとするから、こういうことがおきるのです。

お金さえあれば幸せというわけじゃないんです。

お金をつかいこなせて、はじめて幸せなのです。

お金をつかいこなすためには、やっぱりその人の器の大きさがひつようなのです。

それに、ちしきやちえも必要になってきます。

とくに、お金がたくさんある人は、そのお金や自分のせいかつを守るために収入のなんパーセントかは、自分の生活と財産を守ることに使う必要もでてきます。

たとえば、今、君に父上が3億円あげたら、君はどうする?

ま、父上にはそんな大金は、もちろんもってないけどさ(笑)、でも、君は、このお金をかしこく使いこなせるかな?

このお金をもったがために不幸にならずに、幸せになれる自信ってある?

今の君には、たぶん無いと思うよ。

だから、勉強するのです。いろいろな経験をつむのです。

いろんな人と仲良くなって、学んだり教えたりをくりかえすのです。

そうやって、だんだん器が大きくなってくるんだよ。

話をもとにもどします。

10が欲しければ、10を失うかくごをする。

100を得たければ、100を支払うだけのものが自分にあるのかを考える。なければ100を手にするまでがんばる。

これが健全な精神です。

もちろん、100を90とか80ぐらいに短縮したりショートカットするテクニックはあるかもしれないけれども、やっぱり、100は1や5程度では得られません。

このことをつねに考えながら生きていきましょう。

そうすれば、少なくとも怪しげな勧誘や、ヘンな商売や宗教にだまされることはなくなります。

ヘンな団体にしょぞくしたり、ヘンなモノを買ったり会員になった程度では、自分じしんを幸福にすることはできないのです。そんなヒマと、そんなものに払うお金があるのなら、自分でがんばりましょう。

自分ががんばらなければ何も得られないんだということを知ってください。

それに、がんばって欲しいものを手にしたときは、とてもうれしい気分になれるよ。

記:2004/12/29(from「趣味?ジャズと子育てです」)

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