頑張れ、椎木里佳!

      2017/05/23

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慶應大学

少し前に小論文なんかの面倒を見ていた子が、今年度、めでたく慶應大学のSFC(湘南藤沢キャンパス)の環境情報学部に合格したんだけど、そんな彼女の将来の夢を聞くと、起業して社長になりたいっていうのね。

そんなこともあって、先日、彼女は環境情報学部の学生たちが集まる起業サークルのようなコミュニティの説明会に足を運んできたようで、そこで様々な刺激を受けてきたようです。

その子は、特に過剰に意識しているというわけではないようだけれども、同世代ということもあり、そして既に起業して社長をしている今話題の女子高生社長・椎木里佳さんのことはチェックしているようですね。

どうやら、このコミュニティの集まりでは、「椎木里佳も環境情報に来るらしい」という噂を聞いてきたみたいで、あ、そうか、椎木さんが通う高校は慶應女子だし、しかも今年卒業だし、さらに灘高校卒でSFC在籍の有名なプログラマー・Tehu氏も「彼女(椎木里佳)は弟子!」と何かで応えていたように、おそらくは彼女も環境情報に来るのかな?……なんて話をしていました。



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椎木里佳って誰?

知らない人のために、少しだけ椎木里佳さんのプロフィールを書くと、彼女はスマートフォン向けアプリの開発などの事業を展開している株式会社AMFの代表取締役社長で、少し前から「女子高生社長」ということで脚光を浴び、時々テレビでも女子高生のトレンド分析の特集などで取材を受けたりもしているので、記憶に残っている方も少なくないでしょう。

お父さんの椎木隆太氏は、『秘密結社鷹の爪』の制作などで知られている株式会社DLEの代表取締役社長です。

娘の里佳さんが起業を決意したのは、中学3年生のときに、「男遊び激しすぎ」みたいなことをフェイスブックで書かれ、それをバネにクリスマスの日に「よし!起業しよう!」と決意したのだそうです。

いいですねぇ、こういうエピソード。

こういうの大好き。

モチベーション

なかには、SNS上の誹謗中傷と起業に何の関係があるの?と疑問に思う人もいるかもしれませんが、モチベーションってもんは、だいたいがそんなもんでしょ?

崇高な理念のもと起業をされる立派な方も大勢いらっしゃると思うんですが、そうじゃないケースだってたくさんあるのです。

少しずつ会社の規模が大きくなるにつれて、理念も目標も業態も変わっていくほうが自然だし、誰もが最初から壮大なゴールや目標を持って起業をしているというわけではないと思うんですね。

たとえば、ソフトバンクの孫正義氏だって、起業する前は、「豆腐を売るようなビジネスをしたい」、つまり豆腐は一丁、二丁と数えることに引っ掛けて、一兆、二兆と、兆単位の商売をする会社の社長をしたいと考えていたようです。

しかし、そのときは、一体どういう業種で、どのような事業を立ち上げれば兆単位のビジネスを展開できるか皆目検討がつかなかったそうで、実際、どのようなビジネスモデルが儲けるかを見定めるために、リサーチ会社も立ち上げているほどですから。

これと似たような話で、現在はブラック企業の代名詞ともなってしまっている「和民」を立ち上げた渡邉美樹氏だって、子どもの頃から「死んでしまった社長の父親のカタキ打ちのために社長になる」というモチベーションが先行していましたからね。

で、学生時代に、どのビジネスモデルで会社を興そうか世界中を旅して回った末、サービス・飲食という結論に至ったそうですから、最初から「居酒屋やろう」というモチベーションありきではなかったようです。

初期のソフトバンクと今のソフトバンクでは、業態も事業もかなり違ってますし(昔は路上でやたらめったらモデムがはいった袋を配りまくっている会社というイメージだった)、和民だって今となっては居酒屋のイメージが強いけれども、草創期は、居酒屋よりもお好み焼き屋の店舗のほうが多かったぐらいだから。

だから、会社の規模の拡大や、世の中の動きに伴って会社の業態っていうのは変化していくものだし、これは別に会社だけではなく、歴史上の人物だって教科書に書かれているような最終的な業績を最初から目指していたわけではないと思う。

たとえば、豊臣秀吉も徳川家康も、信長に仕えている頃や配下であった時代は、政権を手中に収めることなど夢にも考えていなかっただろうし、織田信長だって、ドラマやマンガなんかでは、吉法師(子どもの頃の幼名)の頃から「俺はこの国をひとつにまとめる!イクサのない世の中にするんだ!天下統一じゃ!」なんてシーンがあたりまえのように出てくるけど、実際に信長が天下統一を視野に入れはじめたのは、美濃攻略後のことでしょう。

それまでは、織田家内部の家督をめぐる争いがあったし、それ以上に強大な斎藤家や今川家に隣接する尾張の弱小大名のセガレが、天下統一までをイメージすることはなかったと考えるほうが自然です。

目標や事業っていうのは、立っているステージによって変化するほうが当たり前なのです。

それはそうと、話もどして、椎木さんがSNSの悪口から起業をしようと思い立ったというエピソードを知ったとき、私は以前、神田昌典氏の何かの本でが書かれていた内容を思い出しました。

氏は企業コンサルタントじゃないですか? だから、多くの社長に会っているわけですよ。

で、色々な社長に、社長になろうと思った動機や理由を尋ねてみると、多くの社長は、その大きな原動力は「コンプレックス」にあるみたいなんですね。

背が低い、貧乏だったから金持ちになりたい、女にモテないから社長になって女にモテたい、俺をイジめたあいつを見返したい、俺をふった女への復讐……。

なんだか、そのような理由が多くを占めていたのだそうです。

でも、いいじゃないですか、コンプレックスから生まれるマイナスの感情のエネルギーって結構大きいらしいし(私はコンプレックスあまりないので実感湧かないけど)、マイナスであろうがプラスであろうが、このエネルギーがガソリンになるからこそ、人一倍行動するし、人一倍頑張るし、だからこそ人の上に立てる人間になれるのでしょう。

フォースの暗黒面を転用して、立派に「雇用」と「納税」という社会貢献が出来る立場になっているのだから、結果がよければ動機なんてどうでもいいんです。

動機が純粋とか不純とか、そんなことで、アカの他人がアカの他人を非難する資格なんてないんじゃないかな。

これよりスケールが小さい話になってしまうけれども、学生時代の私の友人にも、好きな子に振り向いて欲しいという、その一心から必死にクラリネットを練習していた微笑ましい奴もいたし(そのエピソードは、こちらにも書いています)

父親のバックアップ

椎木里佳さんも例に漏れずで、彼女の場合はSNSに悪口を書かれたことで、中学3年生のクリスマスの日に起業を決意したそうです。

そして、お父さんの強力なバックアップもあって、晴れて女子高生社長に。

素晴らしいお父さんをお持ちじゃないですか。
娘のやりたいことをちゃんと叶えてあげるだけの「心」と「力」を持っていて。

世の中の大半のお父さんは、「心」はあっても、たぶん「力」までは持っていないと思う。

だから、起業する意志とエネルギーがある娘と、それを実現させてあげられる父親の組み合わせというのは、とても稀有な例だと思います。

稀有な例だからこそ、多くの人にとっては非日常、つまり興味が湧く。

だからこそ、本のネタになるわけですよ。

で、実際本となって出版されたのが、こちらです。

女子高生社長、経営を学ぶ女子高生社長、経営を学ぶ

非難したがる人々

でもね、椎木さんのこの本、アマゾンのレビューを見ると、酷評の連続。

「えっ!?」とビックリするほど、一つ星が多い。

女子高生社長、経営を学ぶ

この五つ星の少なさと、一つ星の多さの比率は、金谷ひとみの『アッシュ・ベイビー』のレビューを見たとき以来かもしれない。

私は、けっこうこの作品、評価しているんですけどね。

アッシュベイビー (集英社文庫)アッシュベイビー/金谷ひとみ

好きか?と問われれば、決して好きとは言い難い内容ではあるけれど、金谷文学特有の「ヒリヒリした感じ」「むらむらしたイラ立ち」が、ものすごいパワーでゾクゾクと皮膚感覚で伝わってくる。

これこそが文学じゃないの?って思うんだけど(私は本来、純度の高いホンモノのジャズや文学というもは「危険なもの」だと思っているので)、いまどき、これほどチクチク心にトゲを刺すような作品を書ける人ってどんだけいるの?って思ってしまうわけですよ。

だから評価している。

でも、世間様はどうもそうではないらしく、「正論」を高らかに掲げて非難しているんだよね。

ウンザリっすよ、本当に。

で、「椎木本」に関しても、「金谷本」と同様に皆さん一生懸命非難しているんだよね。

金谷ひとみ批判と同質のものを感じます。

なにも私は、椎木里佳や金谷ひとみが大好きで、可愛いから擁護したくなっちゃった、とか、そういう気持ちじゃないのね。

また、今注目を浴びている女子高生社長(今年春からは女子大生だけど)に媚を売って、もしかしたら、このテキストを見てくれることを期待して、あわよくばお友達になっちゃおうとか、そういう気持ちもないし。

たしかにTwitterなどで見る彼女は、平均的な女子高生よりはルックス的には可愛いかもしれないけど、個人的にはタイプではないし、本に書かれている内容も、個人的には「ちょっと違うかなぁ」と思うこともある。

だから、彼女のことを擁護して、彼女を「上げよう」という意図ではなく、逆に、彼女のことを「下げよう」と躍起になっているアマゾンのレビューに多さと、その内容にウンザリしていることを書きたいんですね。

「ギフト」無き者たちの嫉妬

多くのレビュアーが、彼女の著書、というよりも、彼女の生き様に関して揶揄していることの一つが「親の七光りで社長ごっこしてんじゃねーよ」ということでしょう。

いいじゃないですか、七光りでも。

女子高生が親の七光りで会社はじめたことが、何かあなたに不都合でも?

起業したり、会社を運営したり拡張するには資金が必要。

そのお金は、通常、銀行から融資を受けたりするものだけれども、たまたま近くに銀行ならぬ、お金持ちのパパがいた(さらに経営者で経営のノウハウも知っている)。

それだけの違いじゃないですか。

銀行はOKで、身近なスポンサーからはNGなんですかね?

最近私は「ギフト」という言葉をよく使っているんだけど、神様から与えられた「ギフト」、つまり生まれながらにして身に付けている才能や能力、あるいは生まれながらにして恵まれている境遇は、積極的に使うべきだと考えているのね。

たとえば、生まれつきルックスが良くてスタイルがよければ、アイドルのオーディションを受ければいいし、ミスユニバースに立候補すればいい。

誰もがなれるものではないのだし、せっかくエントリーできる美貌を授かったのであれば、ヘンに周囲を気遣って「私、みんなと一緒だから、そんな大それたこと出来ません」なんて遠慮する必要なんてないわけですよ。

むしろ、ヘンに「皆と一緒」だからみたいなことを言うほうがイヤミだし。

人間、生まれたときの環境や能力は千差万別です。

このスタートラインからついてまわる「差」や「アドバンテージ」に関しては、努力で変えられるものではありません。

努力で埋めることは出来るかもしれないけど。

ま、高度に平準化が進んだ日本においては、極端に貧乏な家庭だったり、めちゃくちゃ大金持ちな家庭で生まれるという可能性は少ないのですが、授かる能力や才能、身体的な特徴は人によってまったく違うことは言うまでもありません。

反射神経が「10」で生まれてくる子もいれば、「4」しかない子もいる。

音感や数学的な閃き、体力、筋肉のタイプ、身長、体型、動体視力、アレルギーの有無など、それこそ数え切れないほどのスペックが、生まれた時点で個人個人にランダムにプログラムされているわけです。

どの生物も、いちおうは平均的な枠内に収まるようにバランスよくプログラミングされているのだろうけど、時には突然変異種も出てくるように、人間においても、「突出した才能」を持った人間は、何万人に一人かの確率で生まれてくるものです。

これが「ギフト」。

人より能力的に抜きん出たものを持っている人、それを自覚している人は、せっかく「ギフト」を授かっているんだから、どんどん使うべし。

自分のためにでもいいし、それがゆくゆくは社会貢献に繋がるのであれば、なお良し。

残念ながら「ギフト」を授かっていない私からしてみれば、それを使わないのは「宝の持ち腐れ」だと思うんですよ。

昔は、日本に限らず欧米諸国でも「魔女狩り」だったり「生贄」だったり「村八分」だったりと、平凡な人間が集まるコミュニティの中に、なにか突出した能力の持ち主があらわれると、それを恐れ、コミュニティの「和」を乱す禍々しいものとみなされて、処刑されたり隔離されたりしたものだけれども、今は、そういう時代ではないでしょ?

自分に与えられたアドバンテージは遠慮なく使うべきです。

ネット上に誹謗中傷を書かれるかもしれんけど、そんなもの見なければいいし、相手にしなければいい(かつての俺にもそーいうことあったが、一切見ることをやめたら、酒も食べ物もおいしい日常に戻れたw)。

近代社会が形成される前時代のように処刑されたり私刑(リンチ)されたりするわけでもないし、せいぜい飛んでくる火の粉は、死に直結するような物理的かつ具体的な攻撃ではなく、せいぜいが電脳空間上のジェラスワードでしょ?

んなもん、スルースルー(笑)。

「ギフト」は使いまくるべし

さらに、生まれ持った才能のほかに、生まれた時の「環境」の良し悪しっていうのもあります。

もし家がお金持ちで教育に関心のある家だったら、ヴァイオリンにしろ、歌舞伎にしろ、ゴルフにしろ、テニスにしろやらせてもらえば良いんですよ。

他の人はやってないからって遠慮する必要はまったくないと思う。

それだって「ギフト」なんだから、徹底的に活用し、それを活かし、ゆくゆくは、そこで培った内容を世の中に還元できれば、とても素晴らしいことではないですか。

そういう一部の素晴らしい「ギフト」を持った人が、スポーツにしろ芸能にしろ、昔から世の中の人を楽しませてくれてきているのですから。

もちろん努力も必須ですし、努力を否定するものではありません。

いや、むしろ「ギフト」は原石ですから、原石だけでは単なる石ころです。努力という名の研磨により、「ギフト」を光り輝くものにする過程は必要不可欠でしょう。

たとえば、18歳という若さでブルーノートからデビューしたトランペッターのリー・モーガンにしたって、トランペットを手にしてからデビューまでの間は、1日8時間は練習していたそうですから。

>>リー・モーガン・インディード!/リー・モーガン

リー・モーガンのトランペットには独特の不良っぽさと色気があり、このテイストは誰もが努力だけでは身につけることが出来ない領域、つまりは「ギフト」を持っていた人です。

しかし、「ギフト」だけでは、とても人々を魅了できるトランペッターにはなれなかったでしょう。

やはり原石を磨く期間、つまり「努力」「練習」があったからこその賜物なんですね。

「ギフト」を授かった人ですら努力をしているんだから、その他大勢の凡人こそ、彼ら彼女らの何十倍も努力しなければいけないのではないのかな?

「みんな一緒」が大好きな日本人

しかし、どうも「巨人の星・日本人」は、「努力」や「ド根性」のほうのみを賛美したがる傾向があるんだなということを、アマゾンのレビューを読むにつれ、ますますその思いが強くなりましたね。

最初から「持っている人」が成果を出すエピソードは不快に感じ、「持っていない人」が努力をして成果を獲得する軌跡と過程を賛美する。
今は手の届かぬところに行ってしまったかもしれないけれども、スタートの時点においては「自分たちと同じ人だった」ということに安心したいのかもしれません。

たとえば、オリンピックで優勝をしたアスリートがいたとして、彼(彼女)の優勝コメントが「自分の才能あってこそです」なんて言おうものなら、袋叩きにあいかねませんからね。

模範解答は「応援してくださったみなさんのお陰です」。

自分の才能に関しては言及せず、ひたすら「皆さんのお陰」と当事者でもなんでもない人たちに感謝をし、「まさか、私ごときがこんなに栄えある賞をいただき」と自分を卑下してみせなければ、納得してもらえない。

それが「八墓村・ニッポン」という国に住む人々の国民性なんですね。

「あの人は謙虚で良いね」となる。

謙虚な姿勢は大事ではありますが、日本人が喜ぶ「謙虚さ」ってちょっと違う。

「たまたま私は10になっちゃいましたけど、全然そんなことないんです、本当は皆さんと同じ5なんです、皆さんと一緒なんですよ」という意思表示に「そうだよね、アナタもワタシも一緒なんだよね」と安心したいから、謙虚な姿勢を賛美するんじゃないのかな。

皆同じ、ゆえに同じじゃない奴は許せないし、足をひっぱって足並をそろえてもらわないと気が済まない。

このような横並び精神がものすごく強い国民性ゆえに、社長をやっている女子高生の存在を知ると、俺らと違う、足並みそろえてもらわんと困るという「非常スイッチ」がオンになるのかもしれませんね。

これこそが、日本人特有の長年島国の中で培われてきたホメオスタシス(恒常性維持機能)なのでしょう。

もちろん、この恒常性維持のメンタリティが良い意味で作用することもあるでしょうし、日本という国家が長らく存続しえた理由の一つであることは間違いないとは思うし、富裕層と貧困層の貧富格差240倍以上と凄いことになっているお隣の中国などにくらべると、「高度均質化社会・ニッポン」という国の住民は、少なくとも衣食住の面においては、かなり恵まれていることは確かでしょう。

物質面においてはね。
メンタル面のほうはどうだから知らんけど。

それにしても、日本国内においてはグローバル化、グローバル化と、かれこれ十数年も前から叫ばれていますけど、「違いを容認できる心」を持たないかぎり、東京オリンピックの2020年を過ぎても、おそらく現状はさほど変わっていないんじゃないかな?

自分たちと少しばかり境遇の違う人(=社長をやってる女子高生)を叩いている程度のメンタリティの持ち主ばかりの国民ばかりだとしたら、そんな国が国際化なんて笑えるよ、できるわけがない。

同じ温度のぬるま湯に浸っている状態が一番心地よいのだから、今後どんどん流入してくる異なる文化、価値観を持った人々のことを理解しようという気持ちには中々なれないんじゃないかな?(それとも、ペリーやマッカーサーに対してのように外国人に対しては「へぇこら」するのかな?)

だから、アマゾンのレビューで、彼女の本の内容、というよりは、彼女の「在り様そのもの」を否定している人たちの多くは、もっともらしい正論を錦の御旗のごとく並べてはいるけれども、結局は、「異端児排除」的な、先述した「魔女狩り」「生贄探し」の発想で、突出したものに対する危機感と、それを排除することによる安心感を得ようとしているのでしょう。

醜い日本人(笑)。

高校生相手に何エキサイトしてるんだよ

たしかに、彼女の著書には、Amazonレビューで指摘されているような「甘さ」も多々ある。

でもね、相手は高校生だよ?

高校生の女子を相手に、何、そんなにムキになってるの?って感じだよね。

文章が稚拙とか、世の中ナメてる的な感想も少なくないけど、おいおい、17や18の女子高生に、いったいどれだけのクオリティ求めてるんッスか?

この程度じゃ将来が心配だ的なレビューもあるけど、おいおい、きっと著者本人は、そんなどこの誰だかも分からん人に心配されるだけアリガタ迷惑だと思ってますぜ(笑)。

世の中そんなに甘いモンじゃない、オジさんが世の中のキビしさを教えてやらんと!
だからAmazonレビュー書くんスか?(笑)

なんだか、商品としての彼女の「本」というよりも、彼女の生き様批判をしている人たちの生き様のほうが、私は心配です。

それこそ、彼女がTwitterで「大の大人が何ムキになってんの?」的なツイートをしたそうですが、私も同感。

大の大人がムキになるのはいいけれど、あるいは「人生の先輩」として説教のひとつもぶちたくなるのは分かるけど、そういう人に限って、風俗に行ったら、ちゃっかりヤルことだけはしっかりやった後に「君、こういう仕事はやめたほうがイイよ」と説教したりするんだろうね(笑)。

人のことを心配するよりも、ご自分のことをご心配されたほうがヨロシイのではないでしょうか?と私は思ってしまいます。

まあ「出る杭は打たれる」っていうけれど、まさにその構図が、Amazonの『女子高生社長、経営を学ぶ』の商品ページの中に形作られているかのようではあります。

もちろん、彼女の存在を不愉快に思う人にとって、「椎木里佳=杭」なのでしょうけど、昔、誰かが言ってたな、「出る杭は打たれるけど、出すぎた杭は崇められる」と。

だから、どんどん出て出て出まくって出すぎた杭になって欲しいし、ゆくゆくは罵詈雑言レビューを書いた雑魚たちをひれ伏せさせるほどの存在になって欲しいものであります。

だから、今の私の気持ちは、ちょっと上から目線チックなタイトルどおり「頑張れ、椎木里佳!」なのであります。

とはいえ、この「頑張れ」というのは、積極的に応援するぞ~という気持ちよりも、誹謗中傷に負けずに頑張ってくださいというニュアンスのほうが強いかな。

どうも昔から私は、アカの他人の境遇に嫉妬しているような人や、嫉妬だけならいいんだけど何かを頑張ろうとしている人、新しいことにチャレンジしようとしている人の足を引っ張ろうとしている人を見ると、頭に血がのぼっちゃう性質のようです(笑)。

記:2016/03/05

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