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ジャズと映画と本の日々:高野雲

織田信長、佐野史郎(冬彦さん)説

      2016/11/27

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君が好きだよ君が好きだよ/佐野史郎

もし私が映画や大河ドラマの脚本家や監督だったら、従来にないキャスティングと新しい歴史解釈で、これまでの信長像を覆してみたい。

NHKの大河ドラマ、『国盗り物語』以来(あるいはそれより前?)、織田信長という戦国武将の人物像は「マッチョ」、あるいは「ワイルド」で「豪放」なイメージが定着しているんじゃないかと思う。

最近だと反町隆演じた「ヤンキー臭い信長」や、マガジンに連載されているコミックが、「信長=マッチョ」なイメージに拍車をかけ、日本人が持っている一般的信長像を補強していたような感がある。

「反町信長」にしろ、「渡(哲也)信長」にしろ、どの信長も、喋り方にヘンなドスを効かせて、なんだかヤクザかチンピラの出来損ないのような感じだし、『信長の野望』というゲームに登場する信長のイメージは、特にパッケージアートがそうなのだが、池上遼一の劇画に出てくるような、強そうでイイ男、というかもはや日本人というよりあんた何人?って感じで、池上遼一チックな絵なだけあって、バックに“シュッ!シュッ!”とか“バッ!バッ!”といったスピード感のある擬音が出てきそうな感じだ。

つまり強そう、カッコイイ、常人離れした超人、強い、豪放、魔王、山賊の親玉。でも、頭もいい。ワイルドだが、きちんと貴族然した側面もあるにはある。要するに、スポーツ万能成績優秀でしかもガキ大将でヤクザの親分という、我々一般庶民が欲しい要素をすべて併せ持つ憧れの人物……、このあたりが、我々一般庶民の描く信長像なのではないだろうか?(なんだか本宮ひろ志の『俺の空』の主人公・安田一平が人気あるのも分かるような気がするよ)

ちなみに、清州城の銅像も強そうで、いかにも武人然としていますね。

nobunaga

しかし、私の持つ信長のイメージはぜんぜん違う。

むしろ、一般的日本人の描く平均的信長像の正反対のイメージではないかと思う。

まず、強さ。

信長が強かったのは、信長個人が強かったのではない。
信長配下の兵が強かったからでもない。

個人レベルの実力で強い兵だったら、むしろ尾張の隣の三河武士や武田の兵だろう。

実戦で強い武将といえば、(本当かどうかは分からないが)前線で馬にまたがり剣を振りかざすイメージの強い上杉謙信ではないだろうか。

信長、そして配下の家臣団とその兵が強かったのは、彼が作った「仕組み」が強かったからにほかならない。

個人個人の力量や技能が特別秀でていたというわけではないのだと思う。

兵農分離、恩賞の基準、画期的な人事と評価システム(秀吉を見よ)、領内の関所の廃止や堺との結びつきによる強力な経済基盤といった彼が作り上げたシステムが強固で新しかったからこそ、個人レベルではなく、団体レベルで強かったのだ。

団体レベルでの枠組みを築き上げ、実際それを運用してゆくのに必要な能力は、経営者としての能力、資質だ。

決して、自らが陣頭で刀を振り回して、「引くな、攻めろ」と怒鳴りつける資質ではない(ま、生涯120回近くの戦の中ではそのような場面もあっただろうけど)。

彼の強さは、すなわち「経済的な強さ」だったのだと言い換えても良い。

そして、このような「システム」を築き上げ、実際に運用し、ある程度の成功(経済的)を収めた信長は、非常に頭の良い人物ということになる。

システムを築き上げ、かつ運用し、さらに実績を収めている人物というと、私はどうしてもマイクロ・ソフトのビル・ゲイツや、日産のカルロス・ゴーンのようなタイプのCEO(chief executive officer/最高経営責任者)を連想してしまう。

つまり経営者タイプ。

実戦という現場において求められるタフさではなく、経営者としてのクレバーさだ。

部下のモチベーションをあげるためのシステムを作れる人。
兵を効率よく動かすための枠組みを考えられる人。

当時の常識や慣例からしてみれば、奇抜な発想を生み出すある種「変人っぽさ」をも兼ね備えた人。

かような条件を満たす信長を演じさせるには、役者では誰が良いだろう?

私は、佐野史郎がバッチリ適役だと思う。

そう、『ずっとあなたが好きだった』の冬彦さん役で一世を風靡した、個性派の俳優ですね。

ずっとあなたが好きだった DVD-BOXずっとあなたが好きだった DVD-BOX

彼は公家顔だが、信長自身もルイス・フロイスの記述によると色白で声が高くて癇癪持ちだったという。

間違っても信長の野望のパッケージイラストのような、マッチョなタイプではない。

色白、神経質そう、陰湿な表情を垣間見せるところ(冬彦さんのイメージを引きずっているが)、突然甲高い奇声をあげたりする癇癪持ちのうりざね顔。まさに、佐野史郎が適役ではないですか。

教科書に出てくる信長の肖像画を見ればわかると思うが、そこで描かれている彼は、マッチョ系でもワイルドなイメージは微塵もない。

むしろ、神経質で気難しそうな表情をしているように見えまいか?どう見ても、その肖像画からはヤクザの若親分的なイメージは見出せない。

だから、まさに佐野史郎。

さらに、もし私が監督となり、信長の生涯を描くとしたら、彼と鉄砲とのかかわりを検証し、従来の「鉄砲に強く、運用に長けた大名」というイメージを覆したい。

なにせ、彼ほど鉄砲に苦しめられた大名もいないんだから。

彼を鉄砲で苦しめた本願寺が雇った傭兵集団、雑賀衆も丁寧にジックリと描きたい。
ドラマや小説では、あまり詳しく書かれることのない、本願寺との10年戦争(1570年の石山本願寺挙兵から1580年の平定までの10年間)も綿密に描き出したい。

教科書で浄土真宗を信心する農民の南無阿弥陀仏集団(=一揆)に10年間も手こずったようなことが書かれているが、鍬や鋤を持った農民相手に、武装したプロの兵が、10年間も手こずるわけがない。

彼は本願寺が雇った鉄砲の運用に長けた傭兵集団に、手こずったからこそ10年近くも一揆と争っていたのだ。

そういう伏線があればこその、比叡山焼き討ちだったりするわけで、なにも突然「親方様は気がふれられた」とドラマや小説の明智光秀が言うような展開、つまり権力を手中にすると人間おかしくなる、といったような描き方はしたくない。

どう考えても、それは不自然だからだ。

そういえば、比叡山の焼き討ちも、突然行ったわけではなく、何度も何度も信長は降伏の勧告を出している。にもかかわらず、本願寺の坊主だちは、オレたちを攻められっこないと高をくくっていたのだそうだから、堕落した僧と、莫大な富と権力を手中にした本願寺側も丁寧に描きたい(この争いだけを描くだけでも一本の作品が出来そうだ)。

ビートたけしが新撰組の土方歳三役というすごいキャスティングの映画もあるぐらいなのだから(『御法度』/監督:大島渚)、佐野史郎が信長を演じるぐらいの、ちょっとしたミスマッチぐらい許されるんじゃないかと思う。いや、むしろそのほうが史実に忠実だったりして。

そういえば、新選組。

新撰組といえば、今年の大河ドラマの『新選組!』を御覧なさいよ。

ある意味、武士ではないが武士になりたかった農民が、時代のハザマのゴタゴタのドサクサにまぎれて、武士モドキな振る舞いを出来るキッカケと口実として機能した団体、というよりは、見方によってはある意味「ゲシュタポ」「特高警察」「狂気の殺人集団」とも受け取れる新撰組なる集団が、脚本家次第では、コミカルでユーモラスで、イイ男の集団に描かれてしまったりしているのだから、それに比べれば、佐野史郎が信長を演じることぐらいどうってことないだろう。

どうでもいいけど、私は『新選組!』の“!”が嫌いだ。

軽やかさの表出のつもりだろうが、個人的には“!”をつける神経がとてもこまっしゃくれていて、理由なき嫌悪感を感じる。

あと、「返り血浴びると、帰りにそのまま飲みに行けなくてヤなんですよね」といったようなセリフを吐かせるセンスにも嫌悪感。

※注
私は新撰組そのものは嫌いではありません。むしろ、京の壬生寺にお参りに行ったり、池田屋騒動跡や蛤御門などの史跡を訪ね、司馬遼太郎の『燃えよ剣』に震え、さらには「新撰組」というバンドをやっていたほどの新撰組好きであります。
好感をもてないのは、三谷某が描く“フィクションドラマ”に登場する、架空の「!」のつく団体であります。

記:2004/01/22
 

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