石井信平さん、安らかに!

      2022/07/05

鎌倉「酔鯨館」

先日、鎌倉に行ってきました。
駅からタクシーで10分前後走ってもらうと、泉水橋を越えた明王院近くに、芸術家・石丸雅通氏の自宅兼アトリエの「Salon de 酔鯨館」があります。

ここで行われた、石井信平さんを偲ぶ会に出席してきました。

ダンディで粋な人

石井信平さんは、私が雑誌編集部在籍時代に担当していたメディア・アナリスト、コラムニスト、随筆家です。

私の親父と同じ年の昭和18年生まれですが、とても年齢を感じさせないほど若く、ダンディで、滅茶苦茶カッコいい人でした。

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私も、結構背は高いほうだと思うのですが(181cmぐらい)、石井さんは私より、さらに背が高く、和装をして帽子をかぶり、杖をつきながら歩く姿は、まるで大正時代の文人、あるいは高等遊民?

そして、この世の快楽を味わい尽くしたエピキュリアンさながらの超然とした風情すら湛えており、私も大きくなったら(?)このような粋でダンディな紳士になりたいと思っていたものです。

私が雑誌編集部を辞めた後も、何度も電話で連絡を取り合っており、互いの近況報告をしあっていたのですが、今年の7月16日に、石井信平氏、永眠されました。

亡くなられた日に着信が

この日、私の携帯に着信があったのですよ。

この日、私は別の野暮用で忙しく、電話をかけまくっていたので着信に気がつかなかったのです。

気が付かなかったこと、今でも後悔しています。

奥さんから連絡があったときは、しばらくは信じられず、信じられないというか事実を事実として素直に受け入れられないまま、ズルズルと3カ月が経過し、よく分からない気持ちのまま鎌倉の「酔鯨館」までやってきたのですが、アトリエに飾られた大きく引き伸ばされた石井さんの大きな暖かい眼差しの写真、そして帽子と杖を見て、はじめて、「いない」という事実が、腹の底までストンと落ちたのです。

そして、本当、はじめて悲しくなってきた。

もう亡くなられてから3カ月近くも経っているのに、人が人の死を受け入れるのは、場合によっては時間がかかることもあるのだな、と改めて。

あなたの声、ラジオ向きですよ

粋でダンディな石井さんは、赤ワインをこよなく愛し、どんなに相手が年下でも、決して馴れ馴れしい言葉遣いをせず、常に相手を気遣う優しさがありながらも、結構エロで(笑)、でも下品さを感じさせない上品なエロさがこれまたカッコ良く、原稿は舌鋒鋭い分析ながらも必ずどこかにユーモアの要素を入れることも忘れなかった。

しかも、渋い声の持ち主なので「湘南ビーチFM」でDJもやっていて……、

そんなDJの石井さんが、生前に、そう、たしか、今から5年ぐらいも前に、突然私にラジオのDJを勧めてくれたんですよね。

「ラジオ向きですよ、あなた」って。

そのときの私は、とにかく毎日が追われるような忙しさだったので、ラジオはおろかテレビすらも見れない、見たとしても、ハードディスクレコーダーに録画した番組を1.5倍速でザッピングをするような生活でした。

ラジオの「ラ」の字もない生活なうえ、自分は活字方面の人間だと思っていたので、まさか文字ではなく声を発信するメディアのことなど、露ほど考えたこともありませんでした。

そのような私に、信平さんから
「あなたの声と喋り方は独特です。なぜラジオのDJをやられないのですか?」
と言われたときは、
「へ?ラジオっすか??」
と晴天の霹靂状態だったのですが、気がつくとラジオ番組を持つようになったという不思議さよ。

番組をはじめて半年ほど経った頃、フとしたことで石井さんの言葉を思い出したので、ラジオ番組をやっている旨を連絡。

何本か番組を聴いてくださった石井さんから、興奮した口調で電話がかかってきたこと、昨日のように覚えています。

私の番組を褒めてくださった

ちょっと気恥ずかしいんですが、というか自画自賛っぽくなってしまうのはご勘弁いただくとして、言われたことをそのまま書くと、「番組、拝聴しました。すばらしい! ジャズの番組というと、某評論家のラジオ番組はよく聴くのですが、あなたの場合は、彼と違って上から目線でモノを言わない。リスナーと等身大なところがとてもいい。誰もが楽しめるような気配りをしているうえに、ジャズを知らない人にもジャズを伝えようとする熱量がある上に、とても話が分かりやすくて、大変楽しめました」とベタ褒めされてしまいました。

「ジェットストリーム」の声をやってもいいような、渋い声の先輩DJ、石井さんにそのようなベタ褒めをされてしまうと、もう返す言葉もなく、「いやぁ~、そんな、あはは、ありがとうございます」と頭をポリポリとカキカキするしかなかったのですが、ものすごく嬉しかった上に、ガンバロ~っと!とやる気が出てきたことを覚えています。

そんな石井さんから、ほぼ同時期に、「じつは癌にかかっているようでして……」と電話がかかってきて、この電話にも私、うまく返す言葉が見つからなくて。

それでも、「今、こういう治療をしています」という連絡は折にふれてありまして、そのたびに電話の向こうの声は、いつと変わらないので、「まだ大丈夫だな」と思っていたのですが、まさか、7月に亡くなられるとは……。

うちの女房も息子も、昨年の正月に鎌倉の石井亭に招かれ、石井さんの暖かい人柄に触れているので、石井さんの訃報に接したときはショックを隠せないようでした。

ご夫妻の素敵な後姿

そして、先日の「酔鯨館」。

ここではじめて私は、石井さんの死を受け入れることが出来た気がします。

本当は、もっと話たいことがあったし、教えてもらいたいことがあった。

特に、ナンパのテクニックなど(笑)。

真面目な顔して武勇伝語っていたからな~、石井さん(笑)。

なにしろ、うちの親父と同い年なのに、父親と同世代の人という感じがまったくしなかった。

呑みに行ったときも、気さくな先輩と軽い気持ちで呑んでいるぐらいの感覚だったし。

ほんと、もっとたくさんたくさん信平さんからは教わりたいことがあったのですが、今となってはそれも叶わぬことで、ただただご冥福をお祈りするしかありません。

もう、石井さんのこと、このまま際限なく書き続けそうな気がするので、そろそろこのへんでストップしようと思いますが、私(と私の家族)が最後に石井さんにお会いしたときの写真を最後に掲載しておきましょう。

昨年の正月に鎌倉に遊びに行った際、材木座の海岸で撮影した、石井さんと奥さんのスナップです。

この後ろ姿、とってもいい感じだと思いませんか?

ishiisan

奥さんは、とってもお若い方。

とっても絵になるカップルだと思いながらシャッターを切りました。

記:2009/10/05

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