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ジャズと映画と本の日々:高野雲

タコ満足 ~於:心構え(ザ・ベース道)

      2016/01/31

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tako

前回の「前提として」の補足だ。

自己満足で良いという人は、何も好き好んでベース道を歩む必要はない。

ベース道は、自己満足のみを良しとせず、「タコ満足(多己満足)」を前提としているからだ。

「自己満足」という言葉は、当然のことながら、“自分が満足する状態”をいう。“他人が満足する”というニュアンスは含まれていない。

「タコ(他己)満足」は、“自分以外の他者を満足させる状態”をさす。

「タコ満足」を求めるからには、自分と、その他大勢の聴衆を満足させることを目標にしなければならない。

アホな人は、そこですぐ「自分を殺す」だの「媚びる」だのと妄想を飛躍させたがるが、それは違う。

それは、「自己満足」なきところの「タコ満足」のことを指す。

その逆の「タコ満足」なきところの「自己満足」は、限りなく“騒音公害”に近い。

まずは自分を満足、納得させ、なおかつ自分以外の聴衆にも出来るだけ自分の思いを伝えるための技術を磨くことなのだ。

したがって、「自己満足+多己満足」こそが、「ベース道」の理想とする、最終状態と言うべきか。

たとえば、紙に鉛筆で(べつに筆でも万年筆でも良いが)文字を書くとする。

どんなに素晴らしい言葉を書いたとしても、自分一人にしか読めない文字ならば、その内容が相手に伝わる可能性は低い。

多くの人に読んでもらい、感動、納得させたければ、まずは“読める文字”、“読みやすい文字”を書くことが大事だろう。それ以上に、相手に読んでみたいという興味と好奇心を喚起させる“読みたいと思わせる文字”を書ければ最高だ。

「タコ満足」目指すところは、それと同じことだ。

だから、あなたは考えることが二つある。

一つは、紙に書く言葉の内容。

もう一つは、紙に書く内容を不特定多数に伝えるためには、どのような努力と工夫をするべきなのか。

「伝える」ための技術を模索し、磨くこと。これが「ベース道」なのだ。

だからといって、自己満足を否定するものでもない。

楽器を触ることが大好きな人、自分のためだけに楽器をつまびくことだけで満足な人もいるだろう。一人の世界で完結する楽しみとしての楽器演奏ならば、べつに、無理してタコ満足の境地を目指さなくても良いのだ。

ただし、他者に伝えることを前提としての自己満足は、“事故満足”につながるので、注意が必要だ。

剥き出しの自分そのままが、必ずしも聴衆に受け入れられるとは限らないということぐらいは念頭に置いておいた方がよい。そうは思わない人のことを、“傲慢”“世間知らず”あるいは“身の程知らず”という。

音楽はハートだ。音楽はエモーションだ。

しかし、タダでハートは伝わるとは限らない。

言いたいことだけをまくし立てるだけでは、伝わる以前に、騒音公害と罵られ、忌み嫌われるのがオチなのだ。

記:2002/02/11(from「ベース馬鹿見参!」) 

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