カフェモンマルトル

text:高野雲

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短眠幻想

      2015/05/31

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tanmin

睡眠に関しての本は、酒井洋の『ナポレオン睡眠』を皮切りに、小学生の頃から数えきれないほど読んできた。

睡眠時間を削れば、時間が増える。

時間が増えたら、色々なことをたくさんやれる。

だから、少ない睡眠時間で健康と体力を維持でき、なおかつ眠気のない状態が続けば、それはとてもラッキーなことだと思って。

お金は無いよりはたくさんあったほうが、欲しいものがたくさん手にはいる。これと同様に、時間も無いよりはたくさんあったほうが、やりたいことがたくさん出来るとに違いないという幻想があったのだ。

いや、実際、無いよりはあったほうが、多くのことが出来ることは事実なのだが、お金も時間も、無尽蔵にあったところで、使う側に確固たる「哲学」や「目的」がないと、結局は放蕩、無駄遣いに終わってしまうことに気づいていなかったのだ、若い頃の私は。

事実、高給取りだった頃の私は、ではそのお金を何に使っていたのかというと、その多くが連日の夜遊びと帰りのタクシー代に消え、高額なベースをはじめとした楽器や、CDやプラモやフィギュアや雑誌、書籍やおもちゃの大人買いに消えていった。

ま、別にこれらの散財は無駄だったとは思ってはいないけれども、少なくともあまり生産的なことには投資していなかったのかもしれない。

同様に、4時間睡眠だった頃の私は、大量の余った時間を何に遣っていたのかというと、学生の頃は、まずはボーっとしている時間が多かった。あるいはゲームをやっている時間に費やしていたような気がする。

たとえば『ロマンシング・サガ』だったら、登場する全キャラを主人公としてゲームをクリアしたし、『信長の野望』にいたっては、思い出すだけでも、それぞれ蠣崎、津軽、南部、伊達、上杉、北条、武田、姉小路、本願寺、畠山、浅井、織田、徳川、尼子、長宗我部、大友、島津らの戦国武将で天下統一を果たしているので(織田、武田、上杉、島津では1度ならず3~4回天下統一をしている)、今考えてみると、滅茶苦茶膨大な時間をゲームに費やしていたと思う。

ほかにもシューティング系や格闘技系のゲームであれば、友達の家に引きこもり、一日中ジャズを聴きながら大学の講義にも出ずに、連日徹夜で数えきれないほどのゲームをこなし、制覇していた。

なんだか、少ない睡眠時間から捻出した大量の時間も、かような「無駄」な時間で浪費していたわけだ。

とはいえ、短眠が役に立っていたこともある。

雑誌編集者時代は、多くの「短眠本」で得た方法論を総動員して、比較的少ない睡眠時間で充実した生活をおくることが出来ていたと思う。といっても、今振り返ってみると、どうも夜呑んでいる時間が長かっただけな気がしないでもないが……。

しかし、40を過ぎた今となっては、べつに無理して睡眠時間を削る必要もないじゃん、と思うようになってきた。

こう考えるキッカケとなったのは、以前、寺島靖国さんの番組にゲスト出演したときに、ゲストの岩浪洋三氏が打ち合わせの時に呟いた言葉だ。

「僕は徹夜したことなんてない。どんなに忙しいときも、締め切りが迫っているときも、食べることと寝ることだけは欠かしたことがない。この2つが仕事よりも大事。」

うーん、大人物・岩浪さんらしい言葉だと思った(笑)。

そうなんだ。岩浪氏といえば、元『スイング・ジャーナル』の編集長だった方だ。
雑誌の編集者の方でも、徹夜しなくてもやっていけたんだ!!!

これって、私にとっては滅茶苦茶目からウロコだった(笑)。

そうだよ、べつに無理して徹夜しなくても何とかなっちゃうものだったのかもしれない、自分の仕事っぷりを振り返ってみれば。

もっとも、あと30分入稿が遅れたら、完全に今月号は出ません! と印刷所から通告され、営業が、万が一発売が間に合わなかったときのための取次やコンビニなどの流通対策をスタンバイさせていたという危機的窮地に立たされて、滅茶苦茶薄氷を踏む思いをしたことが過去に1度だけあった。

しかし、考えてみたら、このような状況って、何十冊と作ってきて、たった1度っきりだったわけだから、ま、多くの場合は段取りと、印刷所、DTP屋さん、校正屋さん、ライター、編プロ、部下のコントロールさえきっちりと出来ていれば、なんとか上手くいってしまうものなのかもな、と岩浪さんの言葉で気づいたものだ。

そう、私、段取り屋さんのデスク(進行管理)も兼ねていたので……。

そう、ダメなときは寝ちまえ、だ。

そんなシンプルで男前な発想が、岩浪さんの一言で、「そういう考えもあるんだ。いや、そのほうが岩浪さんのように長生き出来、毎月元気に多くのジャズのライブに自ら足を運べる元気老人(失礼!)になれるんだろうな」と思って以来、私はなるべく寝たいときに寝たいだけ寝るようにしている。

どうせ眠くないときは、どうしたって寝られないわけだから、寝たい時に寝ればそれがいちばん健康にも精神衛生上も良いと悟りを開く、ってほど大袈裟ではないが、そういう境地に至るようになった。

ああ、それまで、必死に睡眠時間を短くしようと読みまくってきた何十冊もの睡眠関係の本はなんだったんだ!? まあいいや。これらの本たちは、私がかような考えに至るまでに必要な過程だったのだ、と思うようにしよう。

昔の私だったら、8時間以上眠ってしまったら「しまった、寝過ぎた! なんてことをしてしまったんだ、俺は!」と自責の念にかられたが、今の私は違う。

「この10時間は必然だったんだ。この10時間はくれてやらぁ」と心の底から自然に思えるようになった。

「くれてやらぁ」って一体誰にくれてやるのかは分からないが、捨ててしまったものに未練はないぜ、というようなニュアンスです。

そして、10時間という時間は失われてしまったけれども、大事なのは失われた時間を嘆くことではなく、残りの14時間をどう懸命かつ賢明に生きようかと模索することに力点を置くようになった。

いたずらに睡眠時間を削ることを考えるよりも、残されたわずかな時間の中で、どれだけ多くのことをこなし、充実した時間を過ごせるか。このような発想のほうが前向きで、健康で、ストレスがなく、ケチケチしたミミっちさもない、むしろ制約の中での工夫が知恵を生むし、じつに爽やかで男らしい考えではないか。

なんていうと大袈裟過ぎ?

でも、いいですよ。「寝過ぎてしまった!」という罪悪感が消えるだけでも、心身ともに爽やかな気分になれること請け合い。

たくさん寝てしまったときは、身体が疲れている証拠。

入院すると寝てばっかりでしょ? やっぱり寝ることは健康回復には必要なことなんだよ。

寝過ぎたときは、体調回復のため自宅で「リトル入院」していたと思えばよいのだ。

もちろん必要に迫られての短眠ならば、今でも戻れる自信はあるが、特に必要に迫られていないときの「短眠のための短眠」は、今の私にとってはあまり興味のないことになった。

記:2010/12/02

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