時間にルーズな人

      2016/03/25

仕事で約束を交わす際に、「4時“ぐらい”にお伺いします」と、具体的な時刻の前 に“ぐらい”や“ごろ”をつける人は、往々にして時間にルーズだ。

遅刻する人が多い。

こういう言葉を使う神経に、時間に対するその人の考え方が無意識に、そして如実に 現れている。

「4時にお伺いします」というように、時間のあとに“ぐらい”をつけない人は、た いがい時間に正確だ。

だいたい約束の時間の数分前には目的地に到着している。

また、遅れそうなときは、いち早く連絡を入れてくる。

たかだか3分の遅れでも、その3分の間には色々なことが出来るものだ。

たとえば文庫本なら、軽く10ページ近くは読めてしまう時間でもある。

欧米では、時間に遅れる人のことを「タイム・スティーラー(時間泥棒)」と呼ぶ。

遅刻とは、相手の人生の中においての貴重な時間を奪ってしまう泥棒行為なのだ。

お金の場合は埋め合わせをすることが不可能ではないが、失った時間を取り戻すこと は出来ない。

他人の時間を奪う権限など自分にはないのだという自覚を、遅刻の常習者はもっと持 つべきだろう。

細かいことにセカセカしなさんな、もっとノンビリ行こうぜ、それでも地球は回って る。

そうお考えの御仁もいらっしゃることだろう。

ルーズさを許容してもらえるプライベートな人間関係内においては、その考え方も有 効だろう。もちろん否定はしない。

私だって、プライベートにおいてはむしろそのような考えだし、無駄に時間を浪費す ることこそが最高の贅沢だと思っている。

しかし、仕事などの、こと“公”における場で、この考えは通用しない。

通用すると思っている人間は、ガキだ。

言うまでもなく、約束した時間に遅れることは、約束を破ることだ。

そして、約束を破る人間のことを、我々は「嘘つき」と呼ぶ。

昔からよく言われていることだが、「嘘つき」は、「ドロボー」の始まりだ。

時間に遅れてやってきた「ドロボー」に対して、にこやかに接することは至難の技だ。

そういえば、『モモと時間泥棒』という本、昔読んだことがあるなぁ。

記:2002/10/11

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