人生は野菜スープ in 沖縄

   

沖縄JAZZ CAFE

先日、沖縄のコザにて新しいジャズカフェが無事オープンした。

私も開店前日より店に入り、少しだけオープンのお手伝いをさせてもらった。

もっとも、私のしたことなんて微々たるもので、ウッドベースの弦を張り替え、ダンボールの中のCDをラックに整理し、あとはオープン後には選曲係をやったり、ジャムセッションでベースを弾いた程度。

しかし、他のスタッフさんたちは、とてもよく働いていた。

それこそ、店長にいたっては、ここしばらく自宅には帰らず、徹夜でオープンの準備を進めていたそうだ。
お疲れさまです。

ほか、オーナーや、オーナーの息子さんやアシスタント嬢も、とてもよく動いていたし、かなり疲れてはいるんだろうけれども、それは表には出さずに、イキイキとお店のオープンに尽力していた。

疲れた疲れたと愚痴を言う人は嫌いだが、疲れても文句を言わずに目標達成を目指して働く人の姿を見るのは好きだし、その姿は尊い。

おかげで、とても良い店が完成し、好調なスタートが切れたんじゃないかと思う。

疲れた数だけイイことがあって欲しいし、ボロボロになった数だけ幸せが訪れるものだと私は信じたい。

人生は野菜スープ

ところで、片岡義男の短編小説に『人生は野菜スープ』という作品がある。

さびしくて、頼りなくて、しかし、限りない優しさに溢れた男女の物語だ。

そういえば過去にもこの作品の感想文書いてました。

>>都会に住む男女の淋しさと優しさに溢れた片岡義男の『人生は野菜スープ』

私はこれを高校生のときに読んだ。

なにがいいのか、さっぱり分からなかった。

当たり前だ。

青臭いティーンエイジャーに、わかる世界ではない。

ようやく、この淡々としたストーリーの中に込められた限りない愛情に気がついたのは、30歳を過ぎた頃だ。

悪いが、この物語を理解するには、人間修業が必要だと思う。

「年をとればわかるよ」な世界ではない。

年をとってもボンクラな生き方しかしていない人には、一生わからないのではないか?

そうなるまでには、ドロドロな大恋愛と、「男女の修羅場」を何度か経験する必要がある。

色恋沙汰だけでなく、仕事でボロボロになり、自分のチカラのなさに打ちひしがれる必要もある。

情けないことを幾度か経て、オトコを磨いてゆく過程で、少しずつ、じわりと染みるラヴストーリーを臓腑で受け止められるようになるのだと思う。

このような大人の男になるための「通過儀礼」をスルーしてこそ、ようやく『人生は野菜スープ』というストーリーが秘めた、限りなき優しさに触れることが出来るのだ。

アフターアワーズの野菜スープ

新しく出来たジャズカフェのオーナーのアシスタントに若い女の子がいる。
もう、オーナーの手足と言ってもよいぐらい、本当に気がきくし、とてもよく働く女の子だ。

先日、閉店間際の深夜のこと。

セッションを終えてカウンターで一息ついた私に、彼女は「昨日から煮込んでいるから、野菜が柔らかくなってるけど、食べる?」と野菜スープを出してくれた。

あっさり味の野菜スープが染みた。

「薄味だけど大丈夫?」と心配していたが、そんなことはない。

染みた。

店の閉店間際、バックヤードで精算をしていた店長にも、彼女は野菜スープをふるまった。

「飲む? はい、どうぞ」

さきほど私が飲んだ野菜スープのような、あっさりとした物腰だったが、そこには彼女なりの愛情がこもっていたに違いない。

この野菜スープを一口すすった店長は、取りつかれたように、ズルズルと無言に啜りはじめた。

いつのまにかメガネのレンズが曇っている。

バックヤードが静かだが、穏やかな空気に包まれた。

オープン前は、何日も徹夜で店に泊まり込み、食べると眠くなるからという理由でほとんど食事をしていなかった店長にとって、この一杯の野菜スープは、どんな御馳走よりも染みたことだろう。

彼は店のメニューになる予定の野菜スープを飲むたびに、開店日の深夜に飲んだ野菜スープのことを思い出すに違いない。

私は思う。

オトコってのは、
どんなにエラそうなことを言い、
どんなに大きなプロジェクトを任され、
どんなに大きな成功を成し遂げたとしても、
なんだかんだいっても、オンナの作った一杯の野菜スープにはかなわない。

オンナは、仕事に疲れたオトコを癒すために野菜スープを作るのではない。

そうではなくて、オトコは、優しいオンナが作る一杯の野菜スープを啜るために、戦い、傷つき、それでも頑張るのだ。

開店日の翌朝、朝食として彼女からふるまわれた野菜スープを呑みながら、きっとそうに違いないと確信した。

オヤジくさい?

とんでもない。

これがわからない人は、まだコドモなだけだ。

マクリーンの《センチメンタル・ジャーニー》

ところで、このとき私が聴きたくなったジャズは、ジャッキー・マクリーンの《センチメンタル・ジャーニー》。

プレスティッジの『4,5&6』に収録されているバージョンだ。

4,5&64,5&6

ジャズの面白いところのひとつに、年を重ねるごとに聞こえ方が変わってくることがある。

マクリーンが「普通に」吹く《センチメンタル・ジャーニー》は、はじめ陽気に、次第にほろ苦く。

やがて年を経るごとに、ため息が深くなる、マクリーン流メランコリックな 《センチメンタル・ジャーニー》、今のあなたは、どう聞こえますか?

記:2008/04/11

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