カフェモンマルトル

text:高野雲

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遺言書きました。

      2015/05/27

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sand_cyanyon

遺言書きました。

といっても、残念ながら(?)、今の私は、余命○ヶ月の病気でも、借金取りのような怖い人たちに追われていて捕まったら東京湾に沈められることをした、とか、自殺の予定があるとか、そういうわけではありません。

近い将来死ぬことがイメージできるようなことは何にもないのですが、だからといって、近い将来死なないとも限りません。

私が突然死んだ場合、家族が困ります。

というよりも、私だって困ります(笑)。

私は、自分で言うのもヘンですが、結構充実した毎日を送っていると思います。

恵まれていると思います。

この恵まれた境遇にすごく感謝しています。

だから、たとえ、突然クルマに轢かれて即死しても、きっと、この世に大きな未練は残さないで、スッキリと成仏することでしょう。(唯一の未練としては、たぶん、成長した息子の姿が見れないことになるでしょう)

でも、やっぱり、やりかけのことや、家族に伝えておきたいこと、知っておいて欲しいことを知らせないまま死ぬのはイヤだ。

もし、余命が数ヶ月と医師に宣告されれば、それに合わせて、女房や息子などに「人生の引継ぎ」が出来ます。

しかし、「人生の引継ぎ」を果たせぬまま、突然、事故などで死んでしまった場合、死んでも死にきれません。

ホームページやメルマガ、連載の閉鎖&終了の手続きなどは、女房にやってもらわなければ関係者に迷惑がかかるし、作りかけのプラモも息子に完成させてもらわなければ困るわけです(笑)。

仕事に関しても、やりかけのこと、進行中のことなど、ほかの社員に知らせておいてあげないと、彼らは困って途方に暮れてしまうことでしょう。

これらのことが知らされないまま、いきなりあの世に私が逝ってしまったら、誰も進行中の私の仕事のことや、私の仕事の後始末をしてくれないことでしょう。

仕方なく、私は幽霊になって、生きていたことの後始末をしにこの世に戻ってこなければなりません。

その姿を見られて、「わー、お化けだぁ!あっち行けシッシッ!」と煙たがられたら、悲しいじゃないですか。

だから、そうならないためにも、私が突然死んでも、遺された人たちが大丈夫なように、遺言を書いてみたのです。

当初は、こまごまと色々書く予定でした。

ところが、いざ書いてみると、そんなに書くことって無いんですね。

いまのところ、ワードで打って、ペラ2枚ぐらい。

でも、思っていること、引き継いで欲しいこと、特に息子宛てには、今後の生きてゆくための心構えを書いたら、すごく気持ちがスッキリしました。

あとは、思いついたときに、どんどん更新してゆけば良いのです。

で、書き終わったら、すごく気分がスッキリしました。

家の近所のお洒落な喫茶店で書いたのですが、書き終えた瞬間、意味もなく、「ドーンと来いやぁ!」と独り言を言ってしまい、周囲の客から変態扱いな目で見られました(笑)。

この心の奥底から沸き起こった「ドーンと来いやぁ」な気持ちは、これで何の気兼ねもなく、素っ裸な心で物事にぶつかっていける!という自信なのだと思います。

これで、自分のことをヘンに庇ったり、かわいがったりすることなく、物事に挑めるぞ!という爽やかな気持ちです。

遺言というと、重くて構えてしまいますが(つい昨日までの私がそうでした)、常日頃、死を意識して、というよりは、自分が死んだ後のことを意識して行動することって大事なことのような気がしてきました。

常に死を意識するからこそ、生きていることの有り難さが実感できるし、キチンと毎日を生きてゆこうという気持ちが、ムクムクと芽生えてくるのです。

これは、今までにない感触です。

死を意識することは、生を強く考えることなんだなぁと感じました。

と、なんだか立派なことを書いてしまってますが、ちなみに、私は無宗教です(笑)。

記:2005/11/28(from『趣味?ジャズと子育てです』)

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