「有名人になる」ということ/勝間和代

      2021/02/19

長い「まえがき」に人柄がよく出ている

私は、読者からいただいた2~3行程度の質問にたいして、その10倍以上の文字量で返すことがあるほどのオバカさんだ。

短い文字量程度の疑問なんだから、それに見合う文字量で返すことがスマートなんだろうけど、どうも私はそれが出来ないようで、書いているうちに、どんどん文字量が増えていってしまう。

これはあたかも、小腹が減っている人に、サンドウィッチやハンバーガーを差し出せば喜ばれるところ、わざわざ「ラーメン次郎」やフランス料理のフルコースに連れていくようなもので、ある意味相手が求めていることをトゥ・マッチで返してしまう行為だ。

で、失礼ながら勝間和代氏にもそのようなある意味「愚直なサービス精神」みたいなものがあると思う。

もちろん、私とはぜんぜんスケールが違う上に、レベルもぜんぜん違うんだけど。

この大変失礼ながら、「優秀なんだけど頭があんまり良くないところ」、いや、失礼、「クレバーだけどスマートじゃないところ」を、特に、この本や前著『結局、女はキレイが勝ち』に見るような気がする。

「有名人になる」ということ (ディスカヴァー携書)

結局、女はキレイが勝ち

中身を読まず、タイトルだけを見て、「お前何様だよ?!」ときっと多くの人に言われたことだろう。

しかし、人様が感じている疑問、世の中の多くの人が知りたいこと、それをベースに考えた結果、自分自身もどうしても言っておきたいこと、これらを顰蹙買うことを覚悟してでも、あえて1冊の本にして書いてしまい、世に出す姿勢は、皮肉ではなくて本当に賞賛に値すると思っている。

特に、勝間氏の「愚直」であるところは、『「有名人になる」ということ』の、ちょっと長めの「まえがき」によく現れている。

そんな、何から何まで全部話さなくても良いのに、中谷彰浩だったら、その十分の一程度の分量で、エッセンスだけをサラリと腹六分目程度の分量でさくっと書いてしまうところを、彼女の場合は、しっかり・こってりと書いている。

ある意味「トゥ・マッチ」に感じる人も出てくるかもしれないけれども、私は、この「まえがき」が結構好きだ。

ここにこそ勝間和代という人間が滲み出ているような気がする。

ま、めちゃくちゃ乱暴に要約すると、
「なぜ有名人になろうとしたのか?」
⇒「お金に困っていたから」
ということになるんだけど、社員たちに支払う給料のために「有名になる」という道を選択したこと、いや、選択肢に「有名人になる」という項目が設けられるところが面白い。

そして、有名になることにより得られるメリットを享受しつつも、それに反して思わぬデメリットもたくさん記述されている。
それこそが、本書のメインディッシュではあるのだけれども、まあ、その大半が予想のつくことばかり。

でも、やっぱりそういうことって頭で理解していることと、実際に味わってイヤな思いをするのとではぜんぜん違うんでしょうね。

さながら晩年のコルトレーン

「私はまだまだそんなに有名じゃないんだけど、それでも……」というサジェスチョンをいたるところに混ぜながら話を進行してゆく勝間和代氏の姿勢も、なんだか愚直で、きっとこの本を出したらまた叩かれたりするんだろうなと絶対に思いながら書いているに違いないんだけれども、「書かずにゃいられん」「出版せずにはいられん」という衝動、これだけアケスケに自分のことをたくさん書いているんだから、きちんと読んでくれた人には届くはず!という情念がグリグリ伝わってくる。

だから、私の場合は、本書に書かれてた内容云々よりも、コルトレーンが『アセンション』をレコーディングし、ラシッド・アリや奥さんのアリス・コルトレーンを擁して、ますますドツボにはまって行った(悪い見方をするとだけど)過程を興味深く見守るような気分で、この本を読むことが出来ました。

個人的にはいちばん「ツボ」というか、購入動機になったのは、本の下のほうにある西原理恵子の「あんた、そんな有名じゃないわよ」という突っ込みイラストですかね(笑)。

記:2013/10/16

関連記事

>>コルトレーンの失敗作?『アセンション』が愛おしい。
>>まじめの罠/勝間和代
>>勝間和代のビジネス頭を創る7つのフレームワーク力 ビジネス思考法の基本と実践
>>効率が10倍アップする新・知的生産術/勝間和代

 -