良質な小話「時間よ、とまれ」機動戦士ガンダムの第14話

      2019/12/08

映画ではカットされたエピソード

アマゾンプライムでファーストガンダムの全話が無料で観れるようになっていたので、
現在、全話観直し中。

中学生の時以来だから、もう何年振り、いや何十年ぶりなんだろう。

で、改めて見直してみると、映画版ではカットされていた何でもない話がけっこう面白かったりもする。

ストーリーの大きな流れには影響のないちょっとした小さな(?)エピソードの話ね。

たとえば、第14話の「時間よ、とまれ」なんか面白いよね。

戦闘シーンもあるけれども、今回はどちらかというと話のメインは「爆弾処理」のお話。

こういうカウントダウンの中で「早くしないと大変なことになるゾ」とハラハラさせるエピソードって、『サンダーバード』を思い出しますね。

人間味豊かな敵兵士たち

敵はモビルスーツでも航空機でもなく、歩兵。

それもモビルスーツを1機しか保有していない弱小パトロール部隊とガンダムとの、いや、ホワイトベースのクルーたちとの戦い。

このエピソードの主役でもあるクワラン曹長のパトロール部隊は、武装が充実していないことを逆手にとって、歩兵ならではの小回りの良さを生かして、小型飛行メカ・ワップを駆使したチームプレイで、ガンダムの各所に時限爆弾を取り付けるんですよ。

いままでの相手は、巨大なMS(モビルスーツ)や、マゼラアタックのようなデカい戦車、それにガウのような巨大な攻撃空母と戦っていた18mのガンダムが、今回は小さな人間相手に戦うという話なんだけど、様々なサイズの敵と、それに応じた戦い方に変化をもたらすことで、単調なエピソードの積み重ねにしないぞという、送り手側の意欲が見えますね。

もちろん、ラストシーンのガンダムの足の裏が、バレエシューズを履いた人間のように尖っていたりと、作画の荒さは目立つけれども、まあ気にしない、気にしない。話のバリエーションとしては、こういう話が挿入されているとメリハリがあって楽しめるというものです。

敵のジオン兵も、ホワイトベースのクルー同様、同じ人間であることを強調した見せ方も良いですね。
さりげなく「虫」のことを会話に挿入させることによって、スペースコロニーと地球の生活環境の違いを視聴者に説明すると同時に、宇宙育ちのスペースノイドたちは戦争のために仕方なく慣れない環境(=地球)での生活を強いられているという描写もさり気なくしている。
それゆえに、彼らは早く故郷に還りたい、そのためには連邦の新型モビルスーツを破壊すれば祖国であるスペースコロニー(サイド3)に還れるというモチベーションにまで自然につなげているところが見事。

結局、彼らの作戦は失敗に終わるのですが、自分たちがガンダムに仕掛けた時限爆弾が除去されても、悔しがるどころか「やられた、やられた」とまるでゲームに負けたかのような感じ。
こりゃまた一本取られたね、という感じ。

ラストでは、どんな兵士が爆弾を除去したのか民間人を装って車で見物しに行っているし。
そこで、丸腰なホワイトベースのクルーたちを襲うということも出来たのかもしれないけれども、そこをやらないところが敵ながら憎めないところ。

一年戦争を左右するような戦略的な大きな話ではまったくない、単なる局地で起きた小さなエピソードには違いないけれども、単なる殺るか殺られるかといった毎週毎週繰り広げられる殺伐とした命のやり取りではないエピソードが挿入されているところが良い。
次話のエピソード「ククルス・ドアンの島」もなかなか良い話なんですけれどもね。

1980年代を迎える少し前の70年代後半に、こういうアニメが放送されていたことを考えると、やっぱり『機動戦士ガンダム』って当時からしてみると、かなり異色というか進んだアニメーションだったのだなと今さらながら思います。

リアルアイムでは人気が出ず、再放送から火が付いたというのも分かります。
時代がようやく追いついてきたということなんでしょうね。

もっとも、それは『宇宙戦艦ヤマト』にしろ『エヴァンゲリオン』も同様に再放送で火がついているので、アニメ史に残るエポックメイキングな作品というのは、灯油のように火がつく速度が遅いのでしょう。ガソリンのようにパッと火はつかない。

そのかわり、ひとたび火がつけば、ガソリンのようにするに火が消えるわけでもなく、じっくり長く燃え続けることが出来る。

その理由は、「神々は細部に宿る」ではないけれども、作り手が、このような大局に影響のない話にも人間ドラマとしての面白さをを演出できるほどに、確固とした世界観の土台を構築しているからなのでしょう。

記:2019/05/09

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