Impulse! ~オレンジと黒の革命【2】

   

text:高良俊礼(Sounds Pal)

Impulse! ~オレンジと黒の革命【1】の続きです

色褪せない過激さ

混沌の強烈なパワーが渦巻いていた60年代の空気は、インパルスからリリースされた数々の音盤に、今なお色褪せない過激さを持つリアル・ミュージックとして記録されている。

実は私が「ジャズ」という音楽を意識して聴くようになり、その底無しの魅力にのめり込むきっかけとなったのが、インパルス・レコードのそういった作品達だった。

何でかといえば、ドロドロのフリー・ジャズの権化と化した晩年のコルトレーンや、雄叫びのようなブロウで、煮えたぎるマグマのようなブルース・フィーリングを耳に投げつけてくるアーチー・シェップ、「理解」という概念すら破壊し尽くす程にハチャメチャでありながら、どこか懐かしい哀切に満ちたアルバート・アイラーといった人達の”パンクな”演奏に興奮したからだ。

衝動、感動

彼らは社会に対して、激しく怒っていたのかも知れないし、社会など関係なしに、純粋に美しいものを生み出したかったのかも知れない。

そのどっちであれ、彼らにはメロディーやリズムや和音といった音楽のルールをブチ壊してまで、表現したかった“何か”があった。

それが何かは未だに判らない、判らないが、聴いてるこっちの胸の内に、例えば小学生の頃に初めてブルーハーツを聴いた時の感動とか、ガンズ・アンド・ローゼスやパンテラやニルヴァーナを知った時の興奮とか、戦前ブルースの、あの「プチ、・・・プチ、ザー・・・・」というスクラッチ・ノイズまみれの聴き辛いことこの上ない音質の中に、のっぴきならない“闇”の存在を感じてしまった時の衝撃とか、そういう衝動とほとんどおんなじ種類の感動(大げさに言えば「生きてる実感」かなァ)がこみ上げてくる。

この際ジャズとか意味とか時代とか、そんなものすら関係ない。

60年代という昔に演奏された音楽が、2000年代とかそういう時代に生きてる人の心に響く。

それだけでええじゃないか。

と、妙に清々しい気持ちにすらなる。

アーティストたちの「本音」

インパルスのレコードは、そんな訳の分からない凄さを持ったアーティストの「何だかよー分からんが凄い作品」が多かったので、当時から賛否両論、様々な反応を巻き起こしていた。

「新しいジャズの幕開けだ」と絶賛した人達の気持ちには、ものすごく共感できるし、その毒気にあたって「ダメだ、こんなのジャズじゃない!」と拒絶した人達の気持ちも今なら分かる。

「良い音楽」っていうのは“反抗”だ。

激しくても穏やかでも、重くても軽くても、それらはアーティスト達の、のっぴきならない本音なのだ。

インパルスの音盤には、そういった諸々の“本音”が刻まれているような気がしてならない。

記:2015/05/10

奄美新聞.2010年3月13日『音庫知新かわら版』記事より

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●高良俊礼(奄美のCD屋サウンズパル

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