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坂本龍一と喜多郎、The End Of Asiaと絲綢之路

坂本龍一と喜多郎、The End Of Asiaと絲綢之路

「シンセ音楽」という括り

YMOにはまった小学生の頃の私は、ゲームの音がはいっていたり、シンセサイザーの音に夢中でした。

まあ、子どもっぽい夢中のなり方ですよね。

「シンセサイザーを使った珍しい音がたくさんはいった音楽」という目線でイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)を夢中になって聴いていたのです。

電気グルーヴの石野卓球氏は、母親から「イエロー・マジック禁止令」を発令されたそうですが、我が家も、私が一日中ラジカセでYMOをかけまくっていたため「禁止令」が発布される直前の状態だったのかもしれません。

とにかく音色がとても鮮烈で、シンセサイザーの音を味わいたいがゆえにYMOの音楽を聴いていたといっても過言ではありません、当時は。

シブくグルーヴする細野さんのベースや、シンプルかつ正確無比かつセンスの良い幸弘氏のドラミング、そして、鬼才・坂本龍一のアレンジセンス(特に和音の響きのユニークさ)に魅了されるようになるのは、もう少し後になってからのことでした。

とにかくシンセの音色が刺激的な音楽ということで、もっとシンセサイザーの音楽を聴きたいと常々考えていたのですが、その時、本屋さんで偶然みかけた本が、シンセサイザー入門のようなB6サイズの書籍でした。

残念ながら、正確なタイトルは失念してしまい、本そのものも誰かに貸したままになっているのですが、とにかく、その本はむさぼるように読みましたね。

シンセサイザーを使用しているミュージシャンの紹介もあり、当然YMOも紹介されていましたが、他にはウォルター・カルロス(性転換後はウェンディ・カルロス)、冨田勲、クラフトワーク、キース・エマーソンらのミュージシャンが紹介されており、その中でもひときわ目を引いたのが喜多郎の紹介ページでした。

「聴いてみたい!」と思いましたね。

どうせ聴くならたくさん聴きたいので、私は一計を案じました。
当時はNHKが『シルクロード』の特集番組を組んでおり、ちょっとしたブームになっていたので、私は父親の誕生日にかこつけて『絲綢之路』を買いプレゼントしたものです。

本当は自分が聴きたかっただけなんですが、当時NHKの番組を見ていた親父が気に入れば、他のアルバムも買ってもらえるかもしれないと考えたのです。

案の定、シルクロードのサウンドトラックである『絲綢之路』を気に入った父親は、その後、『絲綢之路 II』『OASIS』『敦煌』を買い、私もおこぼれにあずかるような形で、それらのアルバムを聴きました。

感想は、とにかくメロディも音色も心地が良い。

中国に行ったことはないけれども「なんだか昔の中国っぽい」感じがして、特に『絲綢之路』と『敦煌』は中学時代の愛聴盤でした。

YMOとはまた違うシンセサイザー・ミュージックの心地よさを味わっていたわけです。

さらに、当時発売されていた雑誌『ポータサウンド・マガジン』、あるいは『Keyple(キープル)』のどちらか忘れてしまいましたが、初心者向けのキーボード雑誌に《シルクロードのテーマ》の譜面が乗っていたので、夢中になってお年玉で買ったヤマハ・ポータサウンドPS-3で弾いていたものです。

聴いているより弾いているほうが心地よかったかもしれない。

そんな感じで、中学時代の私は、YMOと喜多郎という「シンセサイザーを使った音楽」という共通項はあるにはあるけれども、それ以外の音楽性はまったく異なる音楽を同時並行で聴いていたのです。

喜多郎批判

そんなこんなで高校に入ったら、坂本龍一と吉本隆明の対談本『音楽機械論』が発売されました。

高校生のお小遣いではちょっと高めの本だったのですが、思い切って奮発して購入、むさぼるように読みました。

この本がきっかけで、ローリー・アンダーソンや、ごくごく初期のヒップホップであるグランド・マスター・フラッシュを聴くようになったりと、音楽的嗜好の広がりという恩恵を私にもたらしてくれた本ではあるのですが、その中でひとつ気になる発言が。

教授(坂本龍一)、どうも喜多郎のことが嫌いなようなのです。
細かな内容は忘れましたが、にせものくさい、箱庭的な狭い大陸音楽みたいなことを遠まわしに吉本隆明に語っていたんですね。

それまで喜多郎を愛聴していた私からしてみれば、「えっ!?」と驚いたものです。しばらくの間「なぜだろう?」という疑問がつきまとっていたものです。

しかし、今となっては分かります。

それは両者の音楽性と自然観、アジア観が、あまりにもかけ離れており、しかも、音楽家としての作曲、アレンジ、演奏のアプローチや姿勢がまったく異なっていたからだったのでしょう。

教授は、アジアの音楽にはかなり造詣が深く、芸大の学生時代には、あの民族音楽学者・小泉文夫の講義を個人的な興味から受けていました。

ファースト・アルバムの『千のナイフ』にも《ジ・エンド・オブ・エイジア》という「アジア」がタイトルにつく曲を作曲し、収録していることからも、すでに若い頃からアジアに対しての興味がかなりあったわけですね。

当時の私にとって『千のナイフ』の《ジ・エンド・オブ・エイジア》という曲は、YMOの『パブリック・プレッシャー』で演奏されているカッコいい曲の原曲というくらいのイメージしかありませんでした。

あるいは『増殖』のラスト「日本はいい国だな~」のBGMの曲というくらいの認識。

しかし、年を経るごとに、つまり様々な音楽を聴いてきた経験値に比例して、『千のナイフ』に収録されているバージョンが、どんどんスケールの大きな広がりを持って眼前に迫ってくるようになったのです。

それと反比例するかのように、かつて夢中になっていた喜多郎の一連の「シルクロードな音楽」が小さくしぼんでゆき、それこそ広大な中国の風景を箱庭化したかのように感じるようになってしまったのです。

もちろん、今でも喜多郎の音楽は嫌いではありませんが、中学の時に、喜多郎と同時に夢中になっていた姫神せんせいしょん初期の音楽のように、急激に音楽が褪色していくような感覚を覚えました。

もちろん、今でも姫神せんせいしょんの1stアルバムのドラムとベースの絡みが面白いので、メインメロディよりもリズムセクション聴きたさに聴くことはあるのですが、表面的に古くから伝わる民謡や調べの旋律をなぞっただけかのようなフュージョン的なサウンドが、ある日突然色あせてしまったのです。

あくまで個人的なイメージなのですが、理知的な坂本龍一と、求道者的な喜多郎、もしくは姫神の星吉昭の違いはいったい何なのだろうと一時期はよく考えたものですが、結局のところ音楽家としての素養や体質の差なのかなということくらいしか考えられず、そこで思考がストップ。

ま、タイプの違う音楽家を並べて比較してみたところで、そしてその差を考えたところで何の意味もないことは分かっているのですが、若い頃はそういうことを考えることが好きだったようです。

違いの理由・嫌いの理由

喜太郎や姫神のような求道者タイプのミュージシャンは、頭に浮かんだ旋律、あるいは地元で採集した旋律を、おそらくは複雑に加工することなく、ストレートに表出させる。もちろんバックの伴奏やアレンジなどの色づけはするにせよ、旋律ありきで曲を作っているような気がします。

もっとも、喜太郎がフォークギターを弾いている写真も見たことがあるので、もしかしたらギターでコードを鳴らしながら鼻歌で作曲しているのかもしれませんが、とにもかくにも、その場合もメロディありきでしょう。

それに対して、教授(坂本龍一)の場合は、クラシックや現代音楽、ジャズ、ポップスなど様々な音楽を吸収してきた感性と、幼少の頃より教えを受けていた作曲技法が様々な化学変化を遂げた上で一個の作品へと昇華されます。

だから、一見素朴であるようなメロディの場合も、その背景には高度に危ういバランスの取れた様々な技法や手法によって成り立っていることが多い。
また、メロディとハーモニーとの有機的な連携が緻密な計算によって成り立っているアレンジも多い。

だから、メロディをコードで肉付けするという、ギタリストがギターの弾き語りをしながらなんとなくメロディが出来、曲が出来ちゃいました的なインスタントさは無く、一曲一曲が、かなり練りこまれたものになっています。

この「練りこまれた感」が、聴き手の(少なくとも私の)音楽的な感受性の成長に合わせて、見える景色のスケールが段階的に広がっていくような、そんな作りになっているように感じるのですね。

だから、年齢を重ねれば重ねるほど、私にとっての『千のナイフ』は、最初は単にシンセサイザーを多用したバンド(YMO)のメンバーが作ったシンセサイザーミュージックという位置づけから、時間を経れば経るほど圧倒的なスケールの広がりを感じさせる音楽に変貌しているのです。

こういう音楽こそが「本物」というべきなんでしょうね。
これを25~26歳のときに作り上げてしまっているのだから、若い頃からそのような感性や表現力を持っていた教授からしてみれば、喜太郎のような音楽の作り方や、音楽に向き合う姿勢は、あまりにかけ離れたものに感じたのでしょう。

たしかに、アンチ教授の人は、喜多郎がグラミー賞にノミネートをされたことに対して「西洋人が持つ東洋コンプレックスを刺激した」というような発言を教授がしたことから、同じくオリエンタリズムを強調した音楽を作っていた(戦メリ、ラストエンペラーなど)者のヒガみだと揶揄する向きもあるようですが、それはどうなんでしょうね。

喜多郎がノミネートされた年は1988年です。
その一方で「喜多郎あまり好きではない発言」をしている『音楽機械論』の初版は、それ以前の1985年ですから、喜多郎がグラミー賞にノミネートされ世界的に注目を浴びる以前から「嫌い」発言をしていたことになります。

とすると、世俗的な評判や評価への「やっかみ」が理由ではなく、やはり音楽家としての音楽に向き合う姿勢に対しての価値観の違いのようなものに違和感を感じていたのだと思われます。

もちろん、私は両者の音楽を今でも同時並行で聴いていますが(喜多郎:坂本=1:19くらいの割合だけど)、年が経てば経つほど、かつてはあれほど夢中になって聴いていた喜多郎ミュージックに、えもいわれぬ物足りなさのようなものを感じることも確かなのです。

これは聴き手側が音楽に求めるものによって違ってくることなのでしょうが、私の場合は、どうしても「安定感」「充足感」よりも、ちょっとした「毒」や「尖り」、そして「攻撃的」な要素を求めてしまうようです。

記:2013/08/28

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