橋/ソニー・ロリンズ

   

スタイル再形成期、過渡期のロリンズ

ここのところ、雲隠れからカムバックした頃のロリンズばかりを聴いている。

なぜかというと、昔から、どうにもこの時期のロリンズが好きではなく、その理由を自分なりに解析してみようという試みからだ。

具体的には『橋』と『ナウズ・ザ・タイム』の2枚。

この2枚がどうも、昔から、個人的には馴染めなかったのだ。

ロリンズの雲隠れについて書いてみよう。

彼の“第一次雲隠れ”は、1954年の暮れ。

このときは、麻薬の悪癖を絶つために、自ら麻薬更正施設に入所した。

“第二次雲隠れ”が、1959年秋。これが有名な雲隠れで、ロリンズ29歳の秋のこと。

ちなみに、59年といえば、マイルス・デイヴィスが『カインド・オブ・ブルー』を吹き込んだ年でもある。

彼がイーストリバーのウイリアムズバーグ橋の上で、サックスの練習をしているところを、評論家に“発見”され、記事になったのは有名な話だ。

この2年間のブランクを経て復帰したときの作品が『橋』というわけだ。

私は、この時期から、さらに10年以上を経た後に吹き込まれた『ノー・プロブレム』や『ザ・ウェイ・アイ・フィール』などのような、どこまでも楽天的なフィーリングと、メロディアスな歌心が前面に出ているアルバムはストレートに楽しめるので好きなのだが、カムバック直後のロリンズのプレイはストレートに楽しめるというたぐいの内容ではない。

少なくとも私にとっては。

かといって、56年までの頃のアドリブのように、ビシッと要点を伝えているような「豪快・簡潔・スッキリ編集」というべき3拍子な要素も見あたらない。

もちろん、何かをやろうとしている意気込みは伝わってくる。しかし、その「何か」がいつも薄いベールに包まれているような感じがし、常に「モヤモヤ感」が抜けなかったのだ。

この「モヤモヤ感」は、一体なんだろう?

朝・昼・晩と、1日3回通し聴きのへヴィ・ローテーション。

聴きまくった。

そして、収穫はあった。

この時期の、ある意味「簡潔じゃない」ロリンズの狙いが少しずつ見えてきたのだ。

つまり、好意的に解釈すれば、“表現のスケールが大きくなった”。

もしくは“スケールの大きな表現を目指そうとしている”ということ。

ビ・バップやハード・バップ的なアプローチから逸脱しようというロリンズなりの試みなのだろう、ということ。

だからといって、モードでもフリージャズでもない。ロリンズなりに悩み、ロリンズなりに試行錯誤をしていた過程がカムバック後の表現スタイルなのだ。

ビ・バップについて書いてみよう。

リズムに乗って次から次へと流れてゆく、細かに細分化されたコード進行の波。

これを小節単位、あるいは2拍単位や、1拍単位で手早く器用に処理するのが、バップ的なアプローチ。

卓越した楽器の操作技術と、高度な楽理の理解が必要な匠(たくみ)の技といっても良いだろう。

バップ的なアプローチは、決して思いつきや、気分だけではこなせない、相当な修練が必要な表現手法なのだ。

このスタイルの名手は、創始者のチャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーが当然ながら群を抜いている。

それから、意外と見逃されがちなのが、ファッツ・ナヴァロ。そして、彼の影響を受けているクリフォード・ブラウン。

ピアノだとバド・パウエルが後進のジャズマンにとってお手本になるほどの高度な処理能力と、卓越した表現を見せていた。

彼らのコード処理は、譜面に起こしてみるとなおさらよく分かるのだが、メロディライン自体は非常に整然としており、なおかつメカニカルな美しささえ感じる。

しかし、演奏自体がメカニカルに終わらない理由は、彼らの卓越した演奏能力によるところが大きい。

魅力的な音色、リズム感、タイム感、スピード感などの抜群さ。

これにより、演奏に素晴らしい躍動感がもたらされ、リスナーを興奮させ、さらに同業者を驚愕させ、かつ彼らにとっての教科書となりえたのだ。

初期のロリンズの表現手法も、上記先輩たちのアプローチにのっとっているが、大きな違いは、彼のつむぎ出すフレーズは、限りなくメロディアスだったこと。
メロディアスとは抽象的な表現だが、流れるような美しさと、口ずさめるような平易さが同居していたのだ。

この魅力をたっぷりとたたえていたのが、『ソニー・ロリンズ・ウィズ・モダン・ジャズ・カルテト』を筆頭とする初期の作品群だ。

さらに、傑作の誉れ高い『サキソフォン・コロッサス』や『ヴィレッジ・ヴァンガードの夜』は、それに加えて、ピリリとした緊張感をたたえており、おそらく、メロディアスさと、ハードな熱気が同居したロリンズ流表現のピークがこの時期といっても過言ではないだろう。

そして、カムバック直後の『橋』。

もちろん、ロリンズはロリンズで、まったく表現が変わったわけではないのだが、やはり音色や、アドリブへのアプローチが変わると、かなりの変化を感じる。

そして、この変化は、「簡潔・メロディアス」という自身のスタイルの殻を破り、もっと演奏の流れを大きく捉えて、スケールの大きなサウンドに脱皮しようという意気込みを感じる。

さらに、演奏を大きく捉え、大きく乗ってゆくために、彼はかなり考えながら吹いていることが手に取るように分かる。

もちろん、50年代半ばの彼だって考えて吹いているが、考えよりも先に、直感に全身が反応するレスポンスの鋭さと斬れ味があった。

年齢のせい、というわけではないだろうが(雲隠れした時点でも、彼はまだ29歳なのだから!)、やはり、肉体&本能一発的な表現よりも、もう少し思索的な面が出てきている気が音から感じるのは私だけではあるまい。

とくに、《ホエア・アー・ユー》や《ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド》は、スローなバラードだが、時として消え入りそうなロリンズのテナーには、一瞬「おや?」となってしまう。

『サキソフォン・コロッサス』の《ユー・ドント・ノウ・ホワット・ラヴ・イズ》で見せた、“逞しいバラード”表現は影を潜め、弱さを敢えてさらけ出したかのような、ナイーブな吹奏なのだ。

雲隠れの間の心境やスタイルの変化を語っているかのような、非常にセンシティヴな演奏だ。

3曲目の《ジョン・S》は、アドリブの途中に、ほんの一瞬の迷いのような箇所が見受けられるが、この瞬間のわずかな間をジム・ホールが上手く煽っている。

そうそう、『橋』は、ジム・ホールが大活躍しているアルバムと言っても過言ではない。

大活躍といっても、目立ったことをしているわけではない。

むしろ逆で、彼はロリンズの影のごとく、非常に的確にロリンズのことをサポートしている。

影の濃淡を、うまく調整することによって、上手にロリンズのサックスを浮かび上がらせている。

名手だ。

タイトル曲の《橋》だが、なんだか性急なニュアンスに、ユーモラスさが混ざったような、らせん状に落下するような奇妙な旋律のテーマも特徴的だが、ここでのロリンズのアドリブは、まるで彼の独り言を聴いているようだ。

ああでもない、こうでもないと、一人自問自答しながら延々と何かを模索している感じがしてやまない。

このアドリブの姿勢、出てくる音はまるで違うが、私はコルトレーンを連想してしまった。

次から次へと間断なく繰り出されるロリンズのアドリブは熱に浮かされたようだが、その反面、熱さが感じられない不思議な肌触りだ。

“落としどころ”や“オチ”がまるで見えない不思議で静謐なエキサイティングさを秘めた、このアルバムの気分を代表するような演奏ではある。

『橋』を聴くと、シーンにカムバックしたロリンズの成熟と過程を覗き見ている感じがする。
よくも悪くも過渡期なのだ。

この1枚だけを顕微鏡的な聴き方をして感想を述べることは、やはり今の私にとっては難しい。

“ロリンズ史”を俯瞰した上での“アルバムの意義・位置づけ”以外の切り口でのレビューを書くには、まだまだ年季が必要だと感じている。

記:2005/08/10

album data

THE BRIDGE (RCA)
- Sonny Rollins

1.Without A Song
2.Where Are You
3.John S.
4.The Bridge
5.God Bless The Child
6.You Do Something To Me

Sonny Rollins (ts)
Jim Hall (g)
Bob Cranshaw (b)
Ben Riley,H.T.Saunders (ds)

1962/01月・02月録音

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