バド・パウエル・イン・パリ/バド・パウエル

   

リズムセクション関係なしにピアノ良し

後期のパウエルの代表的な一枚だ。

彼は59年から64年までの5年近く、ヨーロッパに移り住んでいたが、その間に吹き込まれたのが本作。

プロデュースは、なんとデューク・エリントンだ。

温もりの感じるプレイ、時に溌剌とした明るさと勢いも感じるこのアルバムのパウエルには、いつ聴いても耳が吸い寄せて離さない魅力があるが、リズムセクションがあまり良いとは言えない。

とくに、カール・"カンサス・フィールズ"のドラムがうるさい。

シンバル・レガートを含め、叩き方にデリカシーが無いし、録音のバランスも悪く、3つの楽器の中ではドラムの音が一番大きく聴こえてしまう。

まぁ、《ハウ・ハイ・ザ・ムーン》や《パリジャン・ソロフェア》のシンバルのレガートには、演奏に勢いをつけている効果も感じられなくもないので、必ずしも悪いとは言わないが、《ディア・オールド・ストックホルム》のドラミングがひどい。

まるでオカズが盆踊り。

“すったからった・すっと・とん”てな感じだ。

しかし、このドラムの後ろから聴こえてくるパウエルのピアノは、しみじみとした情感に溢れている。こちらの耳を捉えて離さない、不思議な魅力に満ちているのだ。

というよりも、パウエルは、このリズム隊の出す音は、あまり聴いていないんじゃないのか?とも思う。

パウエルがリズムに乗っかってピアノを弾いているというよりは、リズムがパウエルのピアノに寄り添っているといった感じなのだ。

リズムセクションが良かろうが悪かろうが、パウエル本人にとっては、瑣末な問題。というよりも、彼のピアノを聴いていると、リズムがあろうが無かろうが、そんなことは無関係に、ただただ「自分のピアノ」を弾くことだけに専念しているような気がする。

なんとなく超然としているのだ。

他人が評価を下す「良い演奏」や「悪い演奏」とか、そんなことには、一切お構いなし。

ただ、ピアノを弾くことによって自分が満足するのか、しないのか。それだけのために鍵盤を弾き続けているような気がする。

そうしたパウエルの測りがたい内面より発露されたピアノの記録を聴いても、我々は感動してしまうのだから、それはまさに「天才」のなせる技なのかもしれない。

「天才の表現」に「指の動く・動かない」「ミスタッチ」「ディスコード」などはまったく関係のないことなのだ。
私は、同じような印象を本作品の他に、『ゴールデンサークル』のシリーズからも受ける。

書籍、雑誌、ジャズのサイトでさんざん語り尽くされてきたことがある。
すなわち、

◎絶頂期のパウエル
超絶技巧。凄まじく指が動く。迫力&鬼気迫る。天才。

◎後期のパウエル
指が動かなくなった、閃きを失った。好不調の波が激しい。でも、味がある。人間っぽい。

たしかにその通りなんだけど、表層的な音の並びや物理的な速度の違いを越えて、絶頂期や後期といった時期を問わずに、一聴して分かる彼ならではの特徴は、乾いた音、一音一音の重みと存在感、そして「時空の歪ませ度」だと思う。

パウエルはいつだってパウエルなのだ。

だから、私の場合、ことさら前期・後期とこだわらずにパウエルを聴いている。

選択の基準は、曲とアルバムによって違う微妙な雰囲気。

そして、『バド・パウエル・イン・パリ』も曲と雰囲気が好きなので、よく手が伸びるアルバムだ。

記:2002/08/20

album data

BUD POWELL IN PARIS (Reprise)
- Bud Powell

1.How High The Moon
2.Dear Old Stockholm
3.Body And Soul
4.Jor-Du
5.Reets And I
6.Satin Doll
7.Parisian Thoroughfare
8.I Can't Get Started With You
9.Little Benny

Bud Powell (p)
Gilbert Rovere (b)
Carl "Kansas Fields" Donnell (ds)

1963/02月

 - ジャズ