ダンシング古事記/山下洋輔

   

ライヴ盤、演奏以外の音

ライヴ盤の醍醐味のひとつ。
それは、「演奏以外の音」だ。

もっとも素敵な「演奏以外の音」は、ビル・エヴァンスの『ワルツ・フォー・デビー』で至るところで確認できる食器のカチャカチャした音や、レジのチンという音だろう。

ワルツ・フォー・デビイ+4Waltz For Debby

客席の音から、おそらくこの日のライヴ会場である「ヴィレッジ・ヴァンガード」は客数もわずかで、閑散としていたんだろうなということが分かる。

しかし、そんな少数の客の前でも、エヴァンスは美しいピアノを奏でている。一体、どういう心境でピアノを弾いていたんだろうな? なんてことを考えながら聴くのも楽しいものだ。

また、ギャラにうるさい(と言われていた)スコット・ラファロは、客が少ないわりには、信じられないほど素晴らしいベースを弾きまくっている、ひとたび演奏に没入してしまうと、客の入りやそこから換算されるギャラの額などどうでもよくなってしまうのかな?などと、さらに想像力の翼が限りなくはためいてしまう。

ほんの少しの食器の音や、まばらな拍手の音や、演奏が少し静かになったベースソロのところで聞こえてくるキャッシャーの音などで、ここまで想像が広がるのだから、人間の脳というか想像力はよくできていると思う(私だけ?)

期待感を高める効果

もっとも、そこまで想像が広がるのは、演奏中絶えずライヴ会場の音を聞くことが出来る『ワルツ・フォーデビー』だからこそだ。

たいていのライヴ盤は、演奏が始まる前の「間」に想像力を刺激する「音」がある場合が多い。

たとえば、オーネット・コールマンの「ゴールデンサークル」のライヴでの、チャールズ・モフェットのドラムの「試し打ち」の音だったり。
あるいは、エリック・ドルフィーの「ファイヴ・スポット」でのライヴでは、演奏前にマル・ウォルドロンがピアノで数音奏でる《ファイヤー・ワルツ》の主旋律だったり。

ゴールデン・サークルのオーネット・コールマン Vol.1

アット・ザ・ファイヴ・スポット Vol.1+1

この、ほんのちょっとした「会場の音」を、演奏が始まる前に耳にするだけでも、「いよいよはじまるぞ!」という期待感が増す。

何度も繰り返し聴いているCDにもかかわらず、また、その後の展開も分かっているにもかかわらず、ライヴ前の会場のざわつきや、ジャズマンが鳴らす演奏前の数音だけで期待感が高まってしまうのだ。

このような、ある意味「ノイズ」をカットせずに、アルバム中に入れるプロデューサーのセンスは素晴らしい。
出来事としてのジャズを封じ込めようという意図のもと、ドキュメント性の高い作品にしようと考えていたのかもしれないし、あるいは、ライヴハウスの雑音すら「音楽」と捉えて本番の演奏と「共演」させてしまおうという意図があったのかもしれない。

アジテーション

それはそうと、もっとも強烈な演奏前の「音」が、いや「声」が聞けるアルバムは、山下洋輔の『ダンシング古事記』だろう。

時は1969年。
日本に学生運動の嵐が吹き荒れていた時代。

バリケード封鎖された早稲田大学の構内にピアノを持ち込み、山下トリオは1時間以上の熱演を繰り広げた。
このときの模様が録音されており(YouTubeには、動画もアップされている)、その音源を、役者の麿赤児と作家の立松和平がアルバム化したのが『ダンシング古事記』だ。

このアルバムの冒頭には、いかにも喋り方が学生運動チックなアジ演説が収録されている。

当時の私は、ようやく翌月に1歳になろうとしていたくらいだから、私はリアルタイムで学生運動を経験していない世代だ。しかし、なぜに、「いかにも学生運動チック」と感じたのかというと、まだ校舎がボロかった頃のお茶ノ水の明治大学の前を、中・高生の頃は、楽器屋や本屋に足を運ぶたびに歩いていたのだが、その時に校舎から聞こえてくる「我々わっっ!三里塚闘争にぃっ!」みたいな口調をよく耳にしていたからだ。

勢いはあるけれども、何を言っているのか意味不明な学生運動残党の闘士のアジ演説を何とはなしに耳にしていたのだ。そして、まさにそのようなアジ演説が、1曲目の《テーマ》が始まる前に挿入されている。

この何を言っているのかよくわからないのだけれども、なんだか不穏なムードが、否が応にも後に続く演奏への期待感とボルテージを盛り上げる。

だから、跳ねるような山下のピアノがはじまった瞬間、ゾクッとくるのだ。

シャープではないが鈍く重い

もっとも、演奏内容のみを評価するならば、後年の中村誠一に変わり坂田明が加入し、ヨーロッパのジャズフェスティヴァルを荒らしまわった『キアズマ』や『クレイ』のライヴ演奏と比較すれば、まだまだ初期の演奏ということもあってか、前出の演奏と比較すればキレがない。

キアズマ

クレイ

というより、ヨーロッパでは「神風トリオ」などと呼ばれていた頃の山下トリオがキレまくっていたともいえる。

しかし、早稲田大学構内での演奏は、なにやら重たく不穏な空気が立ち込めている。
また、坂田明加入後の縦横無尽な攻撃力はないものの、まるで鈍器で殴られたような重たく鈍い痛みを聴くたびに感じる。

そして、演奏を包み込む重たい空気は、おそらく、演奏前のアジテーションが作り出した不穏な空気が、後続する《テーマ》の演奏にもたらしているのだろう。

アルバムの始まりにアジテーションを挿入しなければ、このアルバムの雰囲気も随分と変わったものになっていたに違いない。

ブックレット付き紙製本

私が所有する『DANCING古事記』は、200ページ以上のブックレットが付属している。
プラケースでhなく、CDを収納するケースも厚紙。
本なのかCDなのかわからないような作りだ。

DANCING古事記(紙ジャケット仕様)

ブックレットには、立松和平の『今も時だ』という小説が収録されている。

この小説からは、なんというか、青臭い内容なんだけれども、当時の時代の空気が活字からムンムン漂っている。
キナ臭くも熱い時代だったんだなということが音と文字で伝わってくるのが『DANCING古事記』なのだ。

音楽としてももちろん聴けるが、小説を含めて、高度経済成長時代後半の時代のムードが封じ込まれた生々しい記録でもあるのだ。

記:2017/12/09

album data

DANCING古事記 (貞練結社)
- 山下洋輔

1.アジテーション
2.テーマ
3.木喰

山下洋輔 (p)
中村誠一 (ss)
森山威男 (ds)

1969年7月

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