インターステラー・スペース/ジョン・コルトレーン

   

最終的にはドラムが残った

毎日気軽に聴けるような内容とは言いがたいが、それでもたまに聴くと、音の迫力と、コルトレーンの気迫に圧倒される作品だ。

圧倒されると同時に、「なるほど」と感慨深くもなる。

結局、ドラムだけが残ったのだな、と。

コルトレーンを鼓舞し、アクセントをつけ、正面からぶつかり、時には従順な僕(しもべ)と化す音楽上のパートナー。
それが、コルトレーンにとっては、最終的にはドラムだった。

ラシッド・アリ

共演ドラマーはラシッド・アリ。

脱退したエルヴィンの後釜のドラマーだが、太く直線的に突き進むエルヴィンと比較すると、アリのドラムは拡散的だ。

一点集中で、莫大な破壊力を有する宇宙戦艦ヤマトの波動砲がエルヴィンだとすると、ヤマトに次いで就任した地球艦隊の旗艦アンドロメダの拡散波動砲がラシッド・アリのドラムだ(分からない人にはワケわからない話ですね)。

エルヴィン在籍の黄金のカルテットのときの演奏も、結局は、ドラムが最後まで彼に付き従った。

演奏が長尺になると、最初にマッコイ・タイナーのピアノが抜け、次にジミー・ギャリソンのベースが抜ける。最後はエルヴィンのドラムとコルトレーンのテナーサックスの一騎打ちとなるというのが常套化したパターンだった。

しかも、「気が付くといつのまにかそうなっていた」ということが多く、要するに、ピアノやベースがいつのまにか抜けていても、コルトレーンのサックスとエルヴィンのドラムさえ鳴り続けていれば、黄金のカルテットとしてのサウンドが濃厚に残っていた。

つまり、全盛期におけるコルトレーンカルテットのサウンドキャラクターって、じつはコルトレーンとエルヴィンの二人の音で決定されていたのかもしれない。

もちろん、重厚なマッコイ・タイナーの和音や、牽引力の強いジミー・ギャリソンのベースも、このコンボにとっては欠くことのできないキャラクターだったことには違いないが、全体の20~30パーセントしかないんだなぁということが、コルトレーンとエルヴィンのデュオを聴けば納得できる。

コルトレーンに必要なのは、馬力のあるエンジン、つまりドラムだったのだし、実際にドラムという楽器こそが、彼にはもっとも親和性の高い楽器だったのだろう。

だからなのか、この『インターステラースペース』を聴いても、エルヴィンとのデュオのときと同様、まったく違和感なしに聴けてしまうのだ。

コルトレーンとドラム

先述したとおり、エルヴィンとアリのドラミングのタイプは正反対。

にもかかわらず、正反対な二人でも、コルトレーンと共演すれば、しっくりと収まってしまう不思議さよ。

結局コルトレーンの強烈な個性の前では、どんなに力強いドラムも、彼のテナーのパワフルさを補強する装置でしかなかったのかもしれない。

とにもかくにも、最晩年に吹き込まれた、壮絶なコルトレーンとラシッド・アリによる『インター・ステラー・スペース』は、そのサウンドの迫力と2人の異常な集中力を味わえる。

と同時に、コルトレーンにとって、究極の共演者はドラマーだったということが如実に分かる作品だ。

ロジカルに組み立てられたフレーズ

フリージャズっぽいから苦手?

そんなことありませんよ、よく聴けば、いや、よく聴かなくても分かるけかもしれないが、コルトレーンのプレイは音そのものは激しいが、かなり構築的なフレーズを積み重ねていることが分かるはず。

たとえば、アルバート・アイラー的な咆哮は皆無に等しく、かなりロジカルに音が組み立てられている。

というより、インプロビゼーションをするための設計図はあらかじめ用意されており、あとはいかにその設計図に従って熱くハイクオリティなパフォーマンスを繰り広げるかだけに焦点を合わせてコルトレーンはサックスを操っている。

難しいスケール練習を、目も止まらぬ勢いで吹いているような、そんなニュアンスのプレイだ。

これに音の迫力&凄みが加味され、アリのドラムが色を沿えるという按配。

後期が苦手なコルトレーン・ファンも、臆せずにトライしてみて欲しい。

記:2006/05/08

album data

INTERSTELLAR SPACE (Impulse)
- John Coltrane

1.Mars
2.Leo (*)
3.Venus
4.Jupiter Version (*)
5.Jupiter
6.Saturn
(*)Bonus Tracks

John Coltrane (ts)
Rashid Ali (ds)

1967/02/22

 - ジャズ