ハードバップとしての朝ドラ『まんぷく』、コブラとしての連ドラ『半分、青い。』

      2021/12/11

脈絡なく?疾走した『半分、青い。』

アヴァンギャルドに疾走しつづけ、あれよあれよという間に終了したNHK・朝の連続ドラマ小説の『半分、青い。』。

このドラマへの賛否両論はけっこう激しくかわされていたようだ。
中には「ひどい」とか「失敗作」という声も少なくなかった。

たしかに今振り返れば、「結局どんなドラマだったんだっけ?」的な思いが強い。

思うに、『あまちゃん』目指して、『あまちゃん』になりきれなかったドラマなのかもしれない、『半分、青い。』は。

主人公のキャラを輝かせようと、あれもこれもと舞台を変えて功を奏したのが『あまちゃん』だったとすれば、『半分、青い。』の場合は、あれよこれよという間に「結局なんだったんだっけ?」で終了。

あらすじを一言で説明せよと言われても、それはなかなか難しい。

だからといって、べつに面白くなかったわけではないのだけれども、活発で天然なところもある愛らしい主人公像があまり活かされていなかったのではないかと感じる。

『あまちゃん』の場合は複線がキチンと回収されて物語が大きな実りを結んだが、『半分、青い。』の場合は、散乱したエピソードの断片が有機的にリンクしているとは言いがたい箇所も多かった。

ま、リアルタイムで一度しか見ていないので、今後再放送されて見返すことがあれば、きちんとエピソードの有機的なつながりは確認できるかもしれないけれど。

しかしながら、いわば「散乱したエピソード」は、その日、その日ごとに視聴者をよくも悪くも振り回し、今度はどうなっちゃうんだろうというスリルを味あわせてくれたこともたしか。

このスリルは、フリージャズ的ともいえるかもしれないが、それよりも個人的にはジョン・ゾーンの『コブラ』に近い印象を持っている。

コブラ的エピソード転換

コブラ(COBRA)とは、ジョン・ゾーンが考えた即興演奏の一つの方法論だ。

プロンプターと呼ばれる指揮者のカードによる指示によって即興演奏を行うという、ある種ゲームのような演奏形態でもある。

この方法論でレコーディングされたジョン・ゾーンのアルバムに、その名も『コブラ』がある。

玖保キリコのイラストが印象的なアルバムなんだけど、今では、けっこう高値がついている模様。

じゃあ、この手法で即興演奏された内容は面白いのか、つまらないのかというと、面白い・つまらないを超えて「興味深い」というしかない。

しかし、この縛り(ルール)と、即興(自由)のせめぎ合いから生じるスリルや緊張感があることは確かで、しかし、この緊張感は、アイラーやテイラーやアート・アンサンブル・オブ・シカゴのようなフリージャズの緊張感ともかなり異なったムードを生み出している。

『半分、青い。』のエピソード展開は、さながらプロンプターが「漫画家」と指示すれば漫画家のエピソード、「離婚」と提示すれば離婚劇のシナリオ、「扇風機」と提示すれば扇風機のエピソードが演じられている感じがする。

だからこそ、「うっ、次はこうきましたか?!」という驚きはあるものの、その前のエピソードからのなだらかな接続感が断たれていることもあった。

あとは演奏者の力量次第というのと同様に、あとは役者の演技次第。

このような急展開的がなんだかシビれるところもあれど、「なんでこうなるん?」とついていけない視聴者もきっと多かったと思う。
『コブラ』がマニアックなリスナーにしか響かなかったのと同様に。

個人的には「上京して秋風先生のもとで漫画修行をする編」が一番好きだった。
多くの視聴者もこのあたりのエピソードが一番好きなんじゃないかな?

きっと楡野鈴愛を演じた永野芽郁の女優としてのイメージは、このあたりの鈴愛のキャラで定着してしまうんじゃないだろうかと思ってしまうほど。

また、秋風羽織の豊川悦司や、まーくんの中村倫也は、けっこうハマり役だったと思うし、独特な個性を醸し出していたしね。
(ま、よーわからん方はNHKのHPの相関図を参照してください)

ハードバップ的安定感

それに比べると、後番組の『まんぷく』は、これまた朝ドラの王道というか、抜群の安定感を誇る番組に回帰している。

前の『半分、青い。』が、一輪車でくねくねと蛇行を描きながら物語が進行していたことに対して、『まんぷく』の場合は、予定調和もなんのその、視聴者の期待と予想に100パーセント、あるいはそれ以上の内容で一直線かつ骨太に進行している。

これはもう、円熟期のハードバップですね。

安定感と内容の充実を誇っていた、さながらベニー・ゴルソン、あるいはウェイン・ショーターが音楽監督を務めていた頃のアート・ブレイキー・アンド・ザ・ジャズ・メッセンジャーズ的なものを感じる。

ショーターの頃は既にモード・イディオムがアンサンブルの中に導入されており、力強さの中にも洗練された知的な要素も混在してたことも考えると、もう少しベタでコテコテな、ベニー・ゴルソンの頃のほうが、より近いかも。

ファンキージャズの頃、そう、ボビー・ティモンズがピアノの鍵盤に垂直に指を立てながら《モーニン》を奏でていた頃のメッセンジャーズだね。

だから安心して楽しく見れる上に、物語の展開も半ば予想できるけれども、べつにいいじゃん、面白ければ、と朝の眠たい目をこすりながら観るのが最近楽しみになってきている。

記:2018/10/28

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