名刀メモ

   

島津正宗

「正宗」の名は日本刀の代名詞ともなっているが、なかでも島津政宗は、2014年に150年ぶりに「正宗」であることが確認された刀。これは江戸末期1862年に皇女和宮が徳川十四代将軍の家茂に嫁ぐ際に徳川家が天皇家へ献上した名刀として知られている。2013年に京都国立博物館へ個人所有であった刀が寄贈され、調べた結果その日本刀は島津正宗であったということが確認された。

千子村正

徳川家に仇をなす「妖刀」として有名。
「村正」とは、室町時代から江戸初期にかけて伊勢国桑名に存在した刀工集団の名称で、そこで製作された日本刀が「村正」と呼ばれている。
戦前、東北大学の物理学教授・本多光太郎が、刃物の切味を数値化する測定器を造った。学生たちが面白がって古今の名刀を研究室に持ち込み測定したが、村正だけが測定するたびに数値が揺れて一定しなかったという逸話がある。

一国兼光

初代兼光の作。
山内一豊が所有。
土佐一国にも値すると言われ、土佐山内家に伝わった。
昭和25年に重要文化財に指定された。
秀吉(あるいは家康)に供出を迫られたが断ったという話は後世の創作である可能性が高い。

石田政宗

正宗が作刀した日本刀の一つ。号の「石田」は石田三成が所持したため。
石田三成襲撃事件の際、家康の命で結城秀康が三成の護衛を担当し、三成はその返礼として正宗を秀康に贈呈した。
1953年11月14日に重要文化財となった。

虎徹

江戸時代の刀工が作った刀剣。
切れ味鋭い名刀としても有名。
新選組の近藤勇が使っていたことでも有名で、実際、近藤自身も自身の所有する刀を虎徹であると信じていたようだが、源清麿の打った刀に偽銘を施したものとする説もある。

水神切兼光

直江兼続の愛刀としても知られている。上杉景勝から無二の信頼の証として送られた。
「水神切」という名の由来は、直江兼続がこの刀で洪水を治めたという逸話から。
その後再び上杉家に献上され、上杉家に伝来、昭和12年12月に重要美術品に認定された。

圧切長谷部

「へしきりはせべ」。
南北朝時代に製作された刀。信長から羽柴秀吉の所有を経て黒田長政に下賜されたという説と、信長に中国攻めの策を提言した褒美としてもらったという説がある。
いずれにしても、黒田家の家宝の一つとして長く同家が所有していた。
現在は国宝となり福岡市の所有となっている。

大典太光世

「おおでんたみつよ」。
平安時代後期の筑後の刀工・典太光世の作。
足利将軍家に伝わった宝刀だが、将軍家が没落すると豊臣秀吉の手に渡り、そこから前田利家に移ると、前田家第一の家宝となった。秀吉⇒徳川家康⇒前田利家という流れだという説もある。

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