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人の心はコントロールできない

人の心はコントロールできない

強制は反発を招く

当たり前だけど、人の心はコントロールできません。

あ、マインドコントロールのプロとか、洗脳で飯を食ってるとか、そういう人は別ですが、あくまで一般人対象のお話で。

なので、コントロールできると信じて疑わない親の元に生まれた子どもは悲劇かもしれません。支配欲のカタマリのような社長や上司のいる職場で働く社員は不幸かもしれません。

強制的に人の心は変えられないからです。
むしろ反発を招くことのほうが多い。

人って人から強制されることは大嫌いなのです。
ま、それは自分の胸に手を当てて考えればよく分かることだとは思いますが(笑)。

誘導はアリ

ただし、誘導することは出来ます。
他者からの「外圧」には人間の心は抵抗するものですが、自分の内側からの「内発的」な欲求には比較的エネルギーを注力しやすいんですね、人間の心って。

だから、たとえば自分の子どもを「A」の方向に向かせたい、「A」に興味を持たせたいと思った場合「Aをやりなさい」ではダメなんですね。
それは「外圧」だからです。
抵抗される。反発される。逆効果。

それより、自分自身が「A」を楽しんでいる姿を見せる。
「A」を享受することは、いかに気持ちが良いことなのか、いかにメリットがあることなのか、あるいは純粋に楽しいことなのかを見せる。できれば何度も。

そうすると、「内発的に」興味を持ってくれることはあります。

たとえば、親が働いている姿を見ている子どもは、親の職業に憧れるという話はよく聞きますが、それはきっとそういうことなのでしょう。

だから、自分の子どもを「イイ学校」に行かせたいのなら、あるいはもっと勉強させたいのなら、親も勉強を楽しむ姿を見せてやりゃあイイんですわ。
そんな親、あんまりいないと思うけどね(苦笑)。

でもね、問題集とかドリルとか、そういうのを嬉々として子どもの前でやるのではなくて、一緒に料理を作ったり、プラモやブロックやプラレールを作ったりとかでも良いと思うんですよ。
あとは映画館、博物館、美術館、旅行、スポーツ観戦、動物園などに連れていったりと。

で、それをベースに、あれこれウンチクたれようとすると、子どもに見抜かれてしまうので、あまり講釈垂れる必要はなく、親も一緒にバカみたいにあはははと楽しめばいいんですよ。

その、「いい年こいてバカみたいに楽しめる自信」は私、昔からあったので、そのことにおいては、わりと自分の子どもに様々なことを楽しむ選択肢を提示できたんじゃないかと思います。

で、もう私の息子は「子ども」といえる年齢でもなくなりましたが、いまはもう勝手にヒッチハイクで無賃旅行したり、海外を放浪したり、バンジージャンプやったり、スカイダイビングやったり、音楽作ったり、洋服作ったり、映画を観まくったり、興味がある本限定で読書しまくったり、都内をブラブラ散策したり、食べたい料理があれば勝手に食べに行ったりしています。
内発的な動機は極力否定せず(それが犯罪行為や命の危険に繋がるようなことであれば別ですが)、仮にそれが自分の趣味や守備範囲外のことであっても、肯定するか黙認し、うまくいけば褒めればいいし、うまくいかなければヘンに深刻にならずに、「あ、そう」と淡々としたリアクションを返せば、あとは勝手にまた考えて、勝手に行動して学んで成長していくものです。

だから、子育ての場合は、考えるきっかけや、行動をするきっかけだけを与えればいいと思うんですよ。
後は勝ってに子どもに考えさせればいい。行動させればいい。
自分の中で納得したことは、放っておいても、あとは勝手に子どもが動きます。
あとは、要所要所で手短にヒントとなるようなアドバイスをするなり、金銭的な援助をする程度。親が出来ることってその程度なもんです。

ましてや、それが赤の他人であれば、出きることなんてもっと限られている。必要以上にベッタリと相手に張り付き、強制的に自分が望む方向に導こうなんざ無理な話です。
おこがましい、何様?って感じです。

だから、ある対象に興味を持たせようと思ったら、「人から(親から)強制されて」という図式ではなく、あくまで「自分から」興味を抱いて夢中になるというルートをさりげなく敷いてあげることが重要だと思うんですよね。

いうなれば段取り上手になる必要があるということです。

それでもダメな場合もありますが、そのときはキッパリと諦める。
別な方法を模索するも良し、そういう気質ではないのだと割り切るのも良し。
ネチネチ、グジュグジュ、諦めが悪い、これ最悪です。

とにもかくにもレールの敷設に完ぺき主義になりすぎると、必ず破綻が訪れます。もっと鷹揚かつお気楽で良いのではないでしょうか。

そもそも人の心はコントロールできない。
表面的には従ったフリをすることは出来ますが、だからといって心の底から納得して従っているとは限らない。その心の中までどうにかしようとお節介を焼いたり、ベタベタと粘着的になるのは如何なものかと。

『荘子』の「君子の交わりは淡きこと水の如し」という言葉が、じんわり身にしみる今日この頃です。

記:2019/07/28

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