カフェモンマルトル

ジャズと映画と本の日々:高野雲

『女王の教室』や『ドラゴン桜』の最終回

      2016/02/16

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classroom

編集部にて

会社泊まり状態が続いています。

本日で3日目に突入です。

そろそろ服が汗臭くなってきました。

カラダも痒くなってきました。

風呂にはいりたいです。

社内でもうちの編集部の特異さは際立っているようで、ひそかに“アウシュビッツ”とか“シルミド”などと囁かれている環境なのですが、こういう環境で毎月、死線を、いや、締め切りをギリギリの状態でクグリ抜けているわけです。

今朝、うたた寝から目を覚ますと、足元には約2名の戦死者が転がってました(笑)。

一人は、これ以上は空けられないだろうというぐらい、大きな口を空けてぶっ倒れている者。

この大きな口の空きっぷりは、まるでウバザメです。

ubazame

そして、もう一人は、携帯電話を耳に当てたまま息絶えてました(笑)。

彼らの屍を乗り越えて、私はなおも戦いに突入せねばなりません。

屍を乗り越えるためには、屍を踏んづけなければなりません。

なので、遠慮なく踏んづけたら、「うぅぅ」とうめき声を上げて起き上がりました。まるでゾンビのようです。

このような弾の飛び交わない戦場で、今現在も交戦中ではありますが、ちょっとの間戦線を離脱してみましょう。

先日、大事なことって言葉の内容ではない、というようなことを書きましたが、思い出せば思い出すほど、「そうなんだよなぁ」ということがたくさんあります。

つまり、言っている内容はデタラメだけれども、なぜか相手を引き込んでしまう何かを持った人と、言っている内容のいちいちが「ごもっとも!」な正論なんだけれども、いまいち納得出来ない、納得したくない人っていますよね。

この差ってなんなのか、というと、相手の心を左右する要素は、確実に「言葉」ではありません。

言葉以外の要素のほうが大きなパーセンテージを占めています。

風貌、雰囲気、立ち振る舞い、物腰、喋り方、声色、かもし出す雰囲気。このような要素ですよね。

一説によると、人間が会話をしていて、言葉を認知しているのって、10%にも満たないらしい。残りの90%以上は、それ以外のことを認知しているんですって。

だとしたら、セリフの内容に凝ることも必要ですが、それ以外の要素にも気を配る必要がありわけですよね。

言葉だけで相手とコミュニケーションとろうとすることって、言葉という道具に頼り過ぎ。これに費やすエネルギーの何割かは他の要素に気を使うべきなんでしょうね。

女性のほうが感覚的なのかな。

男性よりも、女性のほうがその点には敏感ですよね。

どんなに立派なことを話しても、どんなに説得力のある内容を話していても、
歯の間に青ノリが挟まっているだけで、受け入れてくれない。

ましてや不潔な格好だと、もうそれだけで、心のシャッターが締まってしまう。

何を言っても無駄。

つまり、今現在の私のように、風呂に入らず、机の周囲を散らかし放題、無精ヒゲが伸び放題な状態だと、もうそれだけで、アカンわけです。

自分の話を相手に届かせたかったら、言葉以前に、まずは身だしなみ、ってところでしょうか。

そういえば、こういう本も出てましたねぇ。

男の仕事は外見力で決まる男の仕事は外見力で決まる

ああ、早く終戦を迎えて風呂にはいりたひ。

息子と遊びたひ。

録画してある(はずの)、『電車男』と『ドラゴン桜』の最終回をビール飲みながら見たひ。

自宅にて

ようやく仕事戦線から離脱して、昨日の夕方、無事自宅に戻ってまいりました。

風呂はいって、ビール飲みながら蕎麦を喰ふ。

このささやかなゼイタクを満喫しながら、録り貯めておいたテレビ番組を観ておりました。

テレビといえば、先日の『女王の教室』は、1話から予想された“やっぱり”な感じな終わり方で、「じつは、いい先生だったネタ」に終始しており、なんだかオセロゲームを思い出してしまいました。

盤面黒尽くめの石が、パタパタと音を立てて真っ白になっていくような様ね。

あれよあれよと言う間もなく、あっけらかんと、真っ黒が真っ白になっていく様には開いた口がふさがりませんでしたけどね。

生徒の弱みを握り、スパイに仕立てあげ、クラスメイトの行動を密告をさせるような教師が「じつはいい先生だった、先生ありがとう、涙、涙」っていう最終回っていうのも、まことに、お目出たいかぎりです。

世界は一家、人類は兄弟です(深い意味はありません)。

先生にスパイにさせられ、

教室に放火寸前までの大立ち回りまでやらかした女の子まで、「先生ありがとー&我が師の恩」なんだから、これはかなりスゴイ心境の変化というか、もしかしたら大幅な脚本変更があったのか? などとゲスな勘ぐりを入れたくなってしまうほどの最終回でした。

ちなみに、このドラマ、内容があまりに過激で救いようがないため、スポンサーがクレジット出すとか出さないとかの騒ぎがあったことは記憶に新しいですが、私はべつにこのドラマ、良いとも思わないし、悪いとも思わない。

というか、全話見たけれども、それほど身を入れて見ていたわけではないのです。

むしろ、太った羽田美智子を見るのが悲しく苦痛だった……(笑)。

だけども、「じつはイイ先生でした」ネタで終わらせたければ、もう少し、そこまでにいたる着地をもう少し丁寧に描いて欲しかった、それだけです。

ま、言っていることは真っ当だし、正論だし、いまどきにしては珍しく厳しい教師ではあるけれども、生徒の弱みを握ってスパイをさせるような教師が、どうして「ホントはイイ先生」という逆転評価にまで至ったのか、その過程をもう少し丁寧に描いて欲しかったですね。

私だったら、あんなことされたら、一生トラウマが残りそうだけれども、そのトラウマになりそうな仕打ちや出来事を乗り越えて、6年3組の生徒全員が、「先生ありがとう」になるんだよね。

四六時中、生徒をストーキング行為…、いや見張っていたことが、「四六時中見守っていた」という好意的な評価に逆転しちゃうし。

それ以外にも善人評価に変わる理由は、劇中のエピソードにちりばめられていたけれども(カラオケボックスに助けにくる、自らが壁になって生徒の自発性を促していた、子供をホッタラカシにした母親を探し卒業式に出るように言った、など)それだけじゃあ説得力に乏しい気がしないでもない。

ま、終わりよければすべて良し、世界は一家、人類は兄弟ですからね(深い意味はありません)。

私はこのドラマには最初から関心なく、惰性で見ていたようなものですが、うちの息子はエラくハマッていました。

放映時間になると、『女王の教室』はじまるよ、見よう、見ようと毎週言ってました。

どうして、好きなのかというと、「悪い子供には、怖い先生がいないとダメだから」だそうです。

悪事を働くショッカーには、仮面ライダーが必要ということなのかな?と私は勝手に理解しております。

でも、本当の理由は、おそらく息子は天海祐希のことが好きなのです。

『離婚弁護士』も毎週正座して見ていましたからね。

天海祐希のどこが好きなの?と訊いたら、「姿勢がいいから好き」なのだそうで、なるほど、さすがバレエやってると見るところが違うな、と思った次第。

そういえば、最終回といえば、その1日前の『ドラゴン桜』の最終回のほうが私は良かったかなぁ。

女王の教室 DVD-BOX女王の教室 DVD-BOX

記:2005/09/17

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