珈琲時光/試写レポート

   

coffeejikou

2度、試写を観た。

とても気になる映画だったからだ。

うまく言葉で説明できない。
ただ、感覚的にすごく引っかかるというか、
気になった映画ゆえ、再び試写場に足を運んでしまったのだ。

観終わった1日や2日後に、
様々なシーンやセリフが脳裏に蘇ってくるところは、まるで、今年の4月に試写を観た『誰も知らない』に共通するものがある。

一青窈がとても魅力的。
自然体。
ふわふわと、まるで蝶々が花畑を翔んでいるよう。

直感的に、良い映画なのだろう、と感じた。

でも、どこがどう良いのか、これは言葉にするのがとても難しい。

だから、2度目の試写は、“その筋”の人、つまり、映画の仕事を生業としている人を連れて行った。

ついでに、デビュー当時の一青窈に似ている可愛い子ちゃん女子大生も連れて(笑)。

自分では、この映画のどこがどう良いか分からないので、いや、感覚は「良い」と告げているのだが、その良さをまったく言語化できないもどかしさを感じていた。

だから、映画関係者に見せて、率直な感想を聞こうと思ったのが、彼を誘った理由。

試写終了。
彼は言う。
「もんのすごい、素晴らしい映画じゃないですか!」

銀座の角の珈琲屋でパスタを食いながら、彼は、どこがどう素晴らしいのかを興奮して語ってくれた。

私が「いいな」と思ったシーンを、彼も良いと感じたようなので、なるほど、あながち自分はヘンな見方や感じ方はしていないのかな、と一安心。

まだ、自分の中に確固たる映画観のようなものが出来上がっていないので、自分の感想に対して、まだ臆病というか確信が持てない私。
だから、彼との感想の一致が嬉しかった。

小津安二郎の生誕100周年記念映画で、小津安二郎に捧げるオマージュ作品だ。

心地よい退屈感を感じる映画なので、試写室では寝ている人が大勢いたが、それは、この映画の持つテンポ感が一貫してゆったりとしているからなのだろう。

注意深く核心が排除されていることも特筆すべきことかもしれない。

音と音のスキマにフレーズを暗示させるアーマッド・ジャマル的な心地よさもあるが、実は、映像では語られない多くの情報って 受け手が考えなきゃいけないことなのだと思う。

だから、鑑賞後に「あー、おもしろかった」で終わる映画ではなく、何日たっても気になるシーンを頭の中で反復する面白さがあるのだと思う。
だから、2度目の試写会の翌日も、一緒に試写を観た脚本家と呑んだのだが、話題はもう『珈琲時光』のことばかり。
あのシーンはどうだったとか、このシーンの一青窈はああだよねとか、話題の尽きることがまるで無かった。
まるで、侯孝賢監督が築き上げた必要最小限の節約された情報量の隙間を、我々の脳が高速回転しながら言葉によって補填してゆくように。
つまり送り手が注意深く取り除いたベタな核心や結論に、受け手は、その隙間の部分に様々な思いを廻らせているのだ。
この作品と受け手との関係は、きっと、とても幸せな関係なのだと思う。

ちなみに、この映画のスチールの1枚に、一青窈と萩原聖人が喫茶店で楽しげに語り合っているシーンがある。
このシーン、本編にはありません。
いったい、どんな会話がされているシーンなのだろう?
気になって仕方がない。

観た日:2004/07/21・08/09

movie data

製作年 : 2004年
製作国 : 台湾=日本
監督・脚本:侯孝賢(ホウ・シャオシェン)
出演 : 一青窈、浅野忠信、萩原聖人、余貴美子、小林稔侍 ほか
配給 : 松竹
公開 : 9/11よりテアトルタイムズスクエア他にてロードショー

記:2004/07/22

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