マジすか学園とセロニアス・モンク

      2015/08/26

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sakurasan

なぜ、AKB48グループ出演のドラマ『マジすか学園』に私のようなオジさんたちが夢中になってしまうのかというと、おそらくは、少女たちの「必死さ」が画面から溢れ出てくるからなのではないかと思うのです。

基本、ヤンキー少女たちの殴り合い、蹴りあい……のケンカ学園ドラマなのですが、同じ殴り合い、蹴りあいでも、最近の仮面ライダーや戦隊ものよりも痛々しさがリアルに伝わってくるんですよね。

ライダーや戦隊ものは、敵も見方もマスクをかぶっているので、痛いのか痛くないのかが、なかなかダイレクトには伝わってこない。

もちろんスーツアクターの演技力次第では、伝わってくることもありますが、「マジすか」の少女たちのように、血のりがついた顔と、必死さがにじみ出た表情のほうが、観ているほうとしては、リアルかつダイレクトに「痛み」と「気持ち」が届きやすいと感じます。

しかも、最近のライダーや戦隊ものは、おもちゃを売ることが大前提にあるため、どうしても子どもが欲しがるような便利なアイテムを登場させ、それに頼ってしまう傾向がある。

ライダーや戦隊もののヒーローたちは、べつにラクして勝とうとしているわけではないんでしょうけど、アイテム重視の「便利な闘い」に比べて、「マジすか」学園の闘いは、あくまで「拳と拳」同士の戦いにこだわる、今どき珍しいほどのアナログ感覚です。

高校生の少女たちの多くが、ケンカで顔面を血で染めて、必死の形相で闘います。

あ、「必死」と書きましたが、ドラマ内の用語では「マジ」ですが……。

スポーツ観戦や格闘技観戦もそうかもしれませんが、どうやら人は、人が必死になっている姿を見るのが好きなのかもしれません。

ジャズとてそうです。

もちろん、難しい曲を何の苦もなくアッサリと演奏してしまうジャズマンの名人芸に唖然としたり、「すげぇ~!」と顔がほころぶこともありますが、私はジャッキー・マクリーンのように、必死に体内から音楽を搾り出そうとする姿、いや、実際姿を見たわけではないのですが、音から漂う、その真摯さが好きなんですね。

それと、マイルス。

マイルス・デイヴィスが吹くトランペットの演奏ではなく、リーダーとしてのマイルスによるサイドマンに対しての「ムチャぶり」。

親分の要求に応えようとして、多くのマイルスの部下たちは、シャカリキになって演奏をし、結果的に当人の実力以上の演奏を引き出してしまうことが多い。

だからこそ、マイルスの音楽は、時代と関係なしに刺激的なサウンドが多いのでしょう。

プレイヤーとしては、マクリーン。

リーダーとしては、マイルス。

では、作曲者としては誰が「マジ」を引き出すのが巧いのかというと、これはもうセロニアス・モンクでしょう。

すべてではありませんが、とにかくモンクの曲はヘンな構造の曲が多い。

《エピストロフィー》しかり。

《ブリリアント・コーナーズ》しかり。

特に、《ブリリアント・コーナーズ》が名演とされている理由は、あのソニー・ロリンズでさえも「必死」にさせてしまうヘンテコリンな曲の構造が大きいと思います。

ワンコーラスが、惰性を拝した奇数小節であることや、2コーラス目は倍速テンポになり、次のコーラスでは通常のテンポに戻るというルール。

これは、ジャムセッションや演奏し慣れたスタンダードナンバーのように、半ば無意識&惰性で演奏することを拒むかのような曲の構造です。

常に「たった今、今この瞬間、自分自身は《ブリリアント・コーナーズ》という曲を演奏しているんだ」という自覚と、「今、自分は《ブリリアント・コーナーズ》の、ここのポイントを通過したところだ」という曲中の座標軸を確認しながら、その中で、最上級の演奏をしなければならない。

⇒必死にならざるを得ない

だから、無名のアルトサックス奏者であるアーニー・ヘンリーからも名演を引き出し、あのソニー・ロリンズでさえも、曲の強烈な重力に縛り付けられそうになりながらも、その引力を振り切って独自のアドリブを「必死に」展開しようとした結果、名演奏になってしまった、というわけです。

『マジすか学園』の場合は、特に、先日まで放送していた『4』の場合は、敵をやっつけたら、また強い敵があらわれて、そしたら次週は、さらに強い(あるいは一筋縄ではいかない)敵があらわれて……と、物語の構造自体はいたってシンプルすぎるほどシンプルかつストレートでしたが、そのぶん、主人公・さくら(宮脇咲良)をはじめとした登場人物たちの「必死さ」を、わかりやすくストレートに楽しめたと思います。

モンクの曲は、それとは正反対で、一聴ストレートそうでありながらも、どこかで演奏者をはぐらかしたり、引っかかりの要素が仕組まれており、そこが演奏する側にとってはチャレンジのし甲斐があるところなのでしょうが、いずれにしても良い演奏をするためには、「マジ」な気持ちで曲に向き合う必要がある。

そして、我々鑑賞者は、ドラマであれ、ジャズであれ、「マジ」かつ「必死」から生じたエネルギーを糧に、今日も元気に生きているのです。

記:2015/04/16

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