『ミッドナイト・バス』試写レポート

   


(C)2017「ミッドナイト・バス」ストラーダフィルムズ/新潟日報社

リストラ≒人間関係の再構築

こんなことを言ってしまうと身も蓋もないのだが、要するに人間関係の「リストラ」の話だ。

「首切り」という意味でのリストラではなく(ま、その要素も含まれはするが)、あくまで「再構築」という本来の意味においての「リストラクション」。

映画の主題は「家族の再生」だが、ある意味ドライで意地悪な言い方をしてしまえば「再構築」という言い方もできるだろう。

新潟と東京を往復する深夜バスの運転手・高宮利一(原田泰造)の家族とその周辺をめぐる「リストラ」、いや、「再生」がこの映画の主題だ。

長距離バスの運転手・利一

新潟に住居を構え、東京には、かれこれ10年付き合っている恋人(小西真奈美)がいる主人公の利一。
新潟では「父親」、東京では「男」という存在でもある。

彼は既に16年前に妻と別れている。
子どもは2人。
長男の怜司と、長女の彩菜。
2人とも父親の利一が育てあげた。

その2人も既に成人し、家を出て暮らしている。

新潟(万代シティ)と東京(池袋)をバスの運転士として2つの都市を往復し、東京では恋人の志穂(小西真奈美)が営む創作料理屋で寛ぐという生活をかれこれ10年続けている利一だが、ある日、別れた妻が利一のバスに乗ってきたところから、人間模様が動き出す。

再会した妻の境遇

別れた妻はいくつかの問題をかかえていた。

まずは更年期障害がひどく、体調不良であること。
それに加えて実家の父(長塚京三)は交通事故で入院をし、介護をしなければならないという状況。そのことが心身の疲労に拍車をかけている。

また、退院後は父親を東京に住まわせたいと考えているが、新潟にある古い実家の買い手がなかなかつ見つからない状況でいる。

それぞれが抱える微妙な問題

さらに、利一の子どもたちも問題を抱えていた。

長男は大学院まで出て東京の企業に就職したものの、会社を辞めて利一の新潟の家に転がりみ、無職の状態でゴロゴロしている。
アトピーも悪化しており、心因性ストレスの疑いがある。
もしかしたら、東京の職場での人間関係のストレスによるものかもしれない。

長女の彩菜は、つきあっている彼氏がいるにはいるが、先方の両親の不意打ち来訪で、両家の家族同士がレストランで食事をすることになるが、どうも彼氏の母親との折り合いがよろしくない。

くわえて、ルームシェアをしている友人たちとはじめた「萌えキャラ」のビジネスが思いのほか好調で、自分たちが考案したアニメキャラのグッズがところ狭しと利一の自宅を占領するようになる。

別れた妻の父親は、東京に移住するにあたり、自宅の買い手は見つかったものの、その買い手から突き付けられた条件が庭に植えられた思い入れの深いビワの木の伐採することであることを快く思っていない。

利一の東京での恋人・志穂は、利一と同じくバツイチではあるが、かつての失敗の二の轍を踏まぬよう、付かず離れずの男女関係を維持しようと、利一との距離に気遣いをしてはいるものの、利一にとっては、それがいささか「重い」。

また、別れた妻の状況に気遣い、相談に乗ったり手伝ったりしているうちに、いつの間にか復縁に近い関係になっているところに、東京から志穂が利一の自宅に不意打ち来訪し、別れた妻と現在の恋人が鉢合わせ状態になる……。

揺らぎはじめる人間関係

別れた妻との再会を機に、少しずつ利一の周囲の人間関係が揺らぎはじめる。

別れた妻、
東京の恋人、
仕事をやめて家で妹の仕事の手伝いをしながらも基本的にはゴロゴロしている長男、
新しいビジネスをはじめ婚約者(?)の実家とはあまりうまくいっていない様子の長女、
別れた妻の父親、
東京の恋人との関係、
そして自分自身。

ひとつひとつはそれほど大きな問題ではないのかもしれないが、ちょっとした問題が一気に押し寄せた形になった利一、さてどうする?

家族再生、そして……

結局のところ、利一は人間関係の「リストラ」に踏み切る。
リストラの対象は、東京の恋人・志穂だ。

結果的に、家族は再生し(各人が再出発することとなり)、別れた妻と長女の確執も氷解し、家族単位においての問題点は、めでたし、めでたしとなってから、改めて東京の恋人の元を訪れるが、すでに彼女の店は売りに出されており、そして……。

人間、高宮利一

ものすごく大雑把なアウトラインは、かくの如しだが、こう書くと原田泰三演じる利一という男は冷たい男に感じられるかもしれない。

しかし、決してそういうわけではない。
ある意味、自分の「分」をわきまえた誠実な人物とも受け取ることが出来る。

自分のキャパがオーバーになりそうになると、人間関係をいったん「リストラ」し、自らの許容範囲の中で一生懸命に問題解決に取り組むタイプに見えた。

出来事のアウトラインだけを追いかければ、合理的かつドライな男にも感じられるのかもしれない。
しかし、自らの許容量を自覚することなく、ふりかかる問題のすべてを真正面から受け止めた結果、そのどれもが中途半端なまま問題が宙吊り状態になってしまうのであれば、利一のような生き方も悪くはないのではと思う。

利一は、優しさに溢れていつつも、優先順位のつけ方は比較的はっきりしている。

また、自らが夜行バスの運転手であることをまったく恥じていないところも好感が待てる。
長女の家族との食事の席で、先方の母親から「夜行バスの運転手(=肉体労働者)」であることを暗に揶揄されるが、まったく動じることはないし、自らの職業を恥じてもいない。
身の丈にあったことを精一杯こなしていることにプライドを感じている彼の姿はなんだか清々しい。

口だけでは大きなホラはいくらでも吹けるだろうし、自分の能力を過信してあれこれたくさんのことを抱え、すべてを処理できるのだと思い込む人間が多い中、利一は、悪くいえば「器の小さな男」なのかもしれないが、良くいえば、自らの「器」と「分」をわきまえている男ともいえる。

そして、自らの「器」と「分」をわきまえているからこそ、目の前の問題に優しく誠実に取り組むことが出来るのだろう。

なんだか、自分とは正反対なタイプの人間ではあるが、こういう人物、私は嫌いではない。

ちょい長い

それはそうと、この映画、ちょっと長いね。
2時間30分以上。
もう少し短くできなかったものか。

もちろん話としては悪くはないし、主人公周辺の人間模様の修復と再生を描くには、これぐらい丁寧な時間の堆積が必要なのだという意図もあるのかもしれないが、もうちょい短く編集できれば、さらに締まりのある作品になっていただろうな。

原作は読んでいないので分からないのだが、おそらく原作を忠実になぞろうとしたのかもしれない。

いずれにしても、トイレが近い人は、この映画を観る前には必ずお手洗いに行くことをオススメします。

美しい新潟の風景

私は新潟、というよりも新潟市が大好きで、仕事や遊びを含めると、新潟市は、かれこれ20回近くは訪問している地方都市なのだが、特に私が好きな万代橋や古街が画面にうつるたびに、「やっぱり懐かしいな~」と嬉しい気分になった。

もちろん、新潟出身というわけではないのだけれども、何回も足を運んでいると自然、そのような気分になるんだろうね。

そして、穏やかな日本海の姿も美しかった。
海面の青が、本当に濃いんだよね。

もちろん、つまらない映画では全然ないのだけれども、途中でその長さのために飽きてしまうお客さんがいるんじゃないかと余計な心配してしまうくらいの尺、もう少しピリッとした仕上がりになったんじゃないかと思うと、うーん、ちょっと惜しい!

でも、機会があったら原作も読んでみよっと。

記:2017/11/30

>>ミッドナイト・バス 2018年1月20日より有楽町スバル座ほか全国ロードショー

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監督:竹下昌男
原作:伊吹有喜
製作:竹下昌男、渡辺美奈子、小田敏三、星野純朗
プロデューサー:本間英行、遠藤日登思
脚本:加藤正人
音楽:川井郁子
キャスト:原田泰造、山本未來、小西真奈美、遠藤雄弥、渡辺真起子、遠山俊也、佐藤恒治、マギー、舞川みやこ、長谷川玲奈、葵わかな、七瀬公、長塚京三
製作国:日本
上映時間:157分

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