カフェモンマルトル

text:高野雲

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みやび 三島由紀夫/試写レポート

      2015/05/25

miyabi

最初は戸惑った。

三島由紀夫とは直接面識の無かった人たちが次々と登場しては語る三島由紀夫論。

彼を直接知る者ならともかく、ナマの彼を知らぬ作家、狂言師、女優、劇作家、博物館の学芸員、美術家、能楽師、日本文学を研究するイタリア人、中国人作家たちが、次々に三島を語る。

まるで、脈絡の無い人選だが、それだけ三島の影響は多方面に及んでいるということなのだろう。

ドキュメンタリー番組を見ているようだが、どこか淡々と語られてゆく三島論には、ある種のよそよそしさが感じられ、前半は、自分とこの映画の距離がうまく掴めなかった。

後半になってようやく、映画のリズム感がつかめるようになり、と同時に、漠然とながら監督の狙いが見えてくるようになった。

彼の作品から直接的、間接的に影響を受けた者たちの発言が、ある瞬間から、かえって生々しく三島由紀夫が浮き彫りにされてゆくように感じたのだ。

近親者の思い入れは、リアリティに溢れるのだろうが、ときとして偏狭さを伴う危険性を孕んでいる。

反対に、彼と物理的に隔てられた者の語りは、非常に部分的で、どれだけ三島の人間性や作品に傾倒しようが、その人のバックグラウンドのワン・オブ・ゼムに過ぎないぶん、広がりに欠ける。

職業的な視点が介在する以上、自身の専門分野においての深い考察のみに終始してしまうからだ。

だからこそ、様々な分野の人間を登場させたのだろう。

前半は比較的ロングショットで語り手を捕え、じっくりと話を追いかけている。

後半になると、前半に登場した人物たちが短い時間で映し出され、まるで畳み掛けるように、性急なほど、次々と映像が切り替わってゆく。

様々な角度から、心地よいテンポで、まるで岩が外側から鑿で削られ、少しずつ輪郭をなしてゆくように、三島像が浮き彫りになってゆく様は、私の中では次第に心地よさに変わっていった。

もちろん、この映画で語られる人間・三島由紀夫は、彼という人間像が持つほんの一部分が浮かび上がっただけにすぎない。

しかし、「群網象を撫でる」ではないが、象の各パーツを撫でた一人一人の報告を、まるでジグソーパズルのピースをつなぎ合わせ、全体像を推測する楽しみと喜びは、ある。

この悦びは、まるで、私が生まれる前にはすでに没しているパーカー、コルトレーンやバド・パウエルのような偉大なるジャズマンを、ファンである我々がジャズ喫茶や飲み屋、そしてネット上などで、あーでもない、こーでもないと論じることそのものではないか。

登場して三島を語る人々は、ファン、というほど軽いレベルではないにせよ、根本的には、我々がジャズを語る姿と大差はないような気がする。

たとえば、チャーリー・パーカーとは直接面識のないサックス吹きやジャズ喫茶のマスターらが語るチャーリー・パーカー論って、我々ジャズファンは、なんの違和感もなしに結構楽しんで見れると思うのだが、きっと、この映画はそれと同じなんだろう。

この映画の狙いが見えてきて、さらに後半あたりにから映画の呼吸とリズム感を徐々に掴みはじめ、自身も映画に参加し、やがて没頭しかかった頃に、映画は終了。

もう一度最初から丁寧に観返したいと思った。

観た日:2005/08/12 

album data

みやび 三島由紀夫
監督:田中千世子
プロデューサー:鈴木隆一・すずきじゅんいち
出演:平野啓一郎、柳幸典、関根祥人、野村万之丞、ラウラ・テスタベルデ、バログ・B・マールトン、岡泰正、チン・フェイ、坂手洋二、松下恵、出雲蓉
2005年作品
日本

記:2005/08/20

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