『銭ゲバ』の蒲郡風太朗と『青き炎』の海津龍一

      2018/01/09

rojiura

金に貪欲な「悪人」

ジョージ秋山原作の「銭ゲバ」が松山ケンイチ主演でドラマ化されていたので観てみた。
「金! 金! 金!」で成り上がってゆく主人公の生き様を描き、中盤はうまくいくものの、最後は破滅が待っているというストーリーの骨格は、柳沢きみおの『青き焔』に近いかもしれない。

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己の欲望のため、多くの命を殺めて金持ちになったとしても、主人公は決して幸せにはならないという、まあ、ありがちなパターンというかストーリー構造ではあるけれども、個人的にはこのようなストーリーは嫌いではない。

並外れた行動力

この手のストーリーに登場する主人公は、心の底に強いトラウマを抱えていたり、憎悪を抱いていることが多い(憎しみの対象はストーリーによって変わるが)。

さらに行動力や行動量も常人とは桁外れ。
だから面白いのかもしれない。

主人公の目的が明確なため、凡人にとってはオオゴトなことでも、主人公にとっては目的達成のいち手段にすぎないのだろう。

例えば『銭ゲバ』の松山ケンイチは、三國茜(ミムラ)をはじめとする金持ち一家である三國家からの信頼を勝ち取る為に、工場で働く貧しい派遣労働者(正名僕蔵)にナイフで腿を刺させるし、『青き炎』の主人公・海津龍一の場合は、莫大な遺産を我が物にする為に、資産目的で結婚した妻を助手席に乗せたままスポーツカーを壁に激突させ、自らも重症を負いながら妻を殺害することに成功している(そして亡き妻が所有していたビルと多額の遺産を我が物とする)。

原動力

怪我や痛みも厭わない、これほどのバイタリティと行動力があれば、一般人であれば仕事においては大きな業績を上げるだろうし、受験生だったら猛烈に勉強して合格を勝ち取ることだろう。

しかし、なかなかそういうわけにもいかないのが我々凡人の悲しい性なのかもしれない。
結局、身を焦がしてでも実現させたい野望の有無が常軌を逸した猛烈な行動の原動力となるのだろうが、幸か不幸か多くの人は、そこまでのエネルギーを持っていない。

「悪人ほど念力が強い」と誰かが言っていたが、結局欲望が強い人間であればあるほど、欲しいものを手に入れるための行動をするにあたって、「疲れた」とか「眠い」とか「面倒くさい」とか「後回しにしよう」といった感情が芽生えることなく、ひたすら行動に邁進するのみなのだろう。

もちろん『銭ゲバ』の主人公である蒲郡風太朗の生き方には1ミリたりとも心情移入はできないけれども、その底知れぬハングリー精神が生み出す並外れた行動力は、「悪」が主役のドラマやピカレスクロマンには欠かせぬ要素であり、これがあるからこそ、物語が大きく動いてゆくのだろう。

そして大きく揺れ動くストーリーに翻弄される楽しさがあるのだ。

記:2009/03/24

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