8ビートが苦手なのです、困ったことに。

      2018/09/17

bororoom

4ビート⇒パンチロック

8ビートが苦手だ。

いや、だからといって4ビートや16ビートがめちゃくちゃ得意ってわけでもないんだけどね。

なにせ、触り方すらよく分からないベース(しかもフレットレス)を背負って、「4ビートだけを出来るようにして下さい!」といきなり音楽学校の門を叩いたオレ。

しかも、「チャーリー・パーカーの《コンファメーション》だけ出来ればいいです」などと、阿呆なことをぬかして、それでも結局は何だかんだで3年近くはジャズのベース(主にピッチを取る練習に終始したが)を習っていた俺なので、ほとんど「8ビート」というものには縁が無かった。

いや、演ってはいたんだけどね。

パンチ・ロック。

パンクを幼児化させたような音楽。

歌詞が阿呆で(どうぶつさんの歌とか)、メロディもブルーハーツをさらに退化させたようなへっぽこ旋律。

これのベースをやっていました。

俺自身も歌ったりするので、なんのヒネリもない本当に1小節8分音符の均等刻み。あくまでステージング優先のバンドだったので(ビジュアル・ショック系)、リズム云々といった高尚なことは考えるワケもなく、ただひたすら悪乗りしてアホ歌を嬉々として歌っていた。

まぁこれが人前で演奏していた唯一といっても良いくらいの8ビート体験。因みにバンド名は「バナナ・ボインガー」でした(ボインが永井豪チックでしょ?)。

ピック弾きがオンボロ

8ビートはたまに弾いているが、どうもウマくいかない。

会社帰りにライブハウスに寄って、ベンチャーズおっさんに誘われるままにステージにあがり、ベンチャーズのナンバーを弾かされることもあったが、まぁ酒の席での余興だから。

オレもやる気なし、向こうも他にベーシストがいないから仕方なく俺に頼んでいるので、いろいろ注文をつけたいのだろうけれど何も文句は言ってこない。

ベンチャーズのベースはピックで弾くらしいが、オレはピック弾きが出来ない。

ピック弾きを「しない」のではなく、全く「弾けない」のだ。 例の飲み屋で常連だったベンチャーズマニアの楽器屋の主人から、ピック弾きの特訓を受けたが、俺のあまりの出来なさっぷりに大笑いされてしまった。

「指ではあんなに早く引けるのに、なんでピックだと、こうもオンボロなの?」ってね。

あんたロック野郎?

オレがピック弾きをしないのは理由がある。

いや、別に大した理由じゃないんだけど。

生まれて初めてベースを買いにいった時に、オレの応対をした楽器屋の店員は外人だった。流暢に日本語を話すんだけど、デイブ・スペクターのようにちょっとだけアクセントがヘンな外人。

すごく丁寧に楽器の説明をしてくれて、ベース本体のほかにもアンプやらチューナーやらシールドやらストラップやらケースやらの備品も一緒に揃えてもらう段になった時に、「そういえばピックもあった方がいいな。」と一言ポロッと漏らしたら、その外人、顔をしかめて、「あんた、ロック野郎? ふ~ん、ロック野郎ね。」とアカラサマに侮蔑の表情を浮かべた。

べつにオレはロックは嫌いではないし(詳しくはないが)、ジャズが好きだからということを錦の御旗にしてロックを一段低く見ていたわけでもない。

ただ、その外人の一言にカチンときて「じゃあいらねぇよ、ピックは」と言ってしまった。

またその外人へのよく分からない対抗意識から、「分かったよ、ピックなんかに頼らずに、俺は2フィンガーでいくぜ」と心の中で誓った。

ついでに、俺は8ビートなんかやらずに4ビートで行くぜ、とも強く思った。

今になって振り返ると非常につまらない意地を出したものだ。

というよりも、なんで「ロック野郎」なのか分からないし、「ロック野郎」でカチンときた当時の俺の神経回路も分からないし、なんでそこまで意地になったのかも覚えていないし、ツー・フィンガーでいくと心に決めたのかも根拠がよく分からない。まぁ人生、往々にしてそういうこともあるでしょ?ないか。

ともあれ、以来ずっと、ツーフィンガーだし、8ビートも自発的にはやっていない。

なんだかセコイ昔話だな、書いててイヤになってきたぞ。

でも消すのもモッタイないから続けると……。

ドラムとのコンビネーション

最近、8ビートを積極的にやる機会が出来た。

椎名林檎のコピーバンドだ。

8ビートだ。

よく動くベースラインだ。

椎名林檎には4ビートの曲もあるが、当面やる予定はない(と思う)。

ボサ調の曲もあるが、やるとしてもハードロックばりにやるだろう(と思う)。

だから今一生懸命8ビートの練習をしている。

どのリズムも奥が深いものだとは思うが、俺にとっての8ビートの深さと難しさは定点観測がなかなか出来ないということに尽きる。

「上達した・しない」の客観的な観測基準が限りなく「ニュアンス」に近くなってしまうこと。

例えば、4ビートのベースだと、なんとかのスケールをいくつのテンポで弾けたとか、ジャズマンのフレーズをモノに出来た出来ないという客観的に自分自身が納得しうる基準、頑張る目標のようなものは比較的立てやすい。

もちろんノリとは別な自己満足の世界ではあるけれど、弾けたときの喜びと次へのステップへの離脱のポイントが立て安いことは事実だ。

ところが、8ビートのライン(あくまで譜割りのハナシだが)は比較的簡単だ。

ノリは別として、譜面通りに忠実に弾きなぞることというのはそれほど難しいことではない(もちろん曲にもよるが)。

どちらかというと問題はその後だ。

そう、ドラムとのコンビネーション。

早い話が、ベース・ドラムと分けてしまわずに、ベースとドラムが合わさって初めて一つの楽器として成立すると考えてしまった方がいいのでは、とすら思っている。

手の本数が足りないから仕方なく別の人間がドラムスとベースという音源を担当しているだけで、もし人類が進化して手が4本になったら(そんな馬鹿なことはありえないが)、一人の人間がドラムを叩きながらベースを弾いた方がリズムが一体化して絶対に良いと思う(脳がついてゆけるかどうか……)。

別に8ビートがドラムスとのコンビネーションが重要で、他のリズムはダメと言っているわけじゃないよ。ただこちらが考えていた以上にリズムの一体感が要求されるな、と思っているだけ。

例えば4ビートでいうと、マイルス・クインテット時代のロン・カーターとトニー・ウイリアムスのリズムセクション。

トニーのドラムは明らかに半拍以上突っ込んでいる(例:『Four&More』の《So What》)。ロンが遅れてついてくるわけだが、このズレ具合が非常に心地良いし、彼らにしか出来ない独特のウネリやノリを生み出していたこともまた事実だ。

フォア&モアフォア&モア

また、ビル・エヴァンストリオのポール・モチアンとスコット・ラファロのリズムセクション。

ラファロのステディにはリズムは刻まない「旋律ベース」と、リズムというよりは懐の広いシンバルレガートでラファロのベースを包むかのごときモチアンのドラム。

縦4つに明確に分割できるリズムではないが、とっても深い躍動感を感じることができる。

ポートレイト・イン・ジャズ+1ポートレイト・イン・ジャズ

つまり組み合わせの妙によるノリの多様性と幅の広さ4ビートの場合、8ビートより許容範囲や包容力が広いように俺は思う。

だから油断していた。

面倒くさいからジャズではレギュラーのバンドを組まず、もっぱら「出たとこ勝負」のセッションを中心に活動し、初対面のドラマーと「せーの!!」で4ビートのベースばっかりを弾いていたので(しかも、自分ではまぁまぁウマくいっていたと思う)、毎回同じドラマー相手にベースを弾くという、当たり前なことをここ最近忘れていた。

ドラマーとは仲良く!

そして、最近レギュラーのバンドを組んだ。

椎名林檎のコピーバンドだ。

つまり、曲の多くが8ビートが主体となる。

バンドを組んだ以上はレギュラーバンドのリズムセクションを整えていくことに心を砕かねばならない。
しかも苦手8ビートだ。
だから、何度も何度も一緒に合わせてリズムの一体化を目指さねばならない。うーん、時間がかかりそうだけど、根気良くやろう。

あと、ドラマーとは仲良くしないとね。

記:2000/02/07(from「ベース馬鹿見参!」)

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