カフェモンマルトル

text:高野雲

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奄美ブルース

      2017/05/21

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アインシュタインの相対性理論を持ち出すまでもなく、 時間は主観的なもので、 その人の意識や体調次第で、猛烈な伸び縮みをする。

時間意識の変化を感じるのは、他所の土地を訪問したときが顕著だ。

たとえば、奄美大島。

どうも、この土地では、体内の心拍数が極度に落ちるようだ。
朝からブルースが染みまくるのだ。

ジャズ、それもビル・エヴァンス・トリオによるミドルテンポの演奏ですら、演奏速度が速く感じるため、耳で追いかけるのが疲れてしまう。
東京で聴いているときと、音楽から受ける感触がまるで違うのだ。

我々の奄美滞在中は、『サウンズ・パル』という音楽ショップの“主任音楽伝道師”が、クルマで奄美の名所をクルマで案内してくれた。

彼は朝からガンガンにブルースをかける。
それもカントリー・ブルースからシカゴブルースまでの様々なブルースだが、 基本的にはチャック・ベリーやスクリーミン・ジェイ・ホーキンスのように、リズムがイーヴンなものではなく、また、B.B.キングのように華のあるものでもなく、マディ・ウォーターズやハウリン・ウルフのように、むしろ、もっともっと泥臭いものを中心にかけていた。

 
もちろん、彼はブルースのライブもこなすほどの人だから、車中でブルースを流すのは純粋な彼の趣味なのだが、理由は、どうやらそればかりではないようだ。

奄美の風景には、ブルースが猛烈に似合うのだ。
似合うというよりも、空気の一部として、体にブルースが自然に浸透してくる。

なぜだろう?

東京では、アフターファイヴまでの時間は自分時間ではない。
仕事が終わるまでの時間は、「社会時間」とでもいうべきパブリックな時間だ。
パブリックな時間は自分の意識で伸び縮みしない。いや、あまりに「するべきこと」に囲まれると、縮むことはあるが、決して伸びることはない。

そのときの気持ちのモードは、少なくともマッタリはしていない。
むしろ、戦闘モード。心拍数も高いに違いない。

仕事がハネて、どこかに飲みに行く。
それでも、昼間の時間が意識を引きずっているので、無意識に昼間の時間意識を引きずっている。
しかし、若干は戦闘モードが開放され、ゆったりモードになる。

だから、音楽でいえば、ジャズのビートが私には、ちょうど良いのだ。
もちろんジャズといってもいろいろあるが、この場合はモダンジャズを指す。最近は居酒屋でもジャズが有線で流れていることが多いが、飲食店の有線で流れるジャズのほとんどがモダンジャズだ。

仕事明けの解放された気分に、ちょうど良いスピード、いや、むしろ、自分の身体速度よりも少しだけビートが遅く感じるからこそ、モダンジャズの速度は快適に染みてくるのだと思う。

そして、帰宅。

深夜、一人だけの時間になると、ようやく気持ちがマッタリモードに突入する。
このときになって、はじめて、ロバート・ジョンソンやブラインド・レモン・ジェファーソンのような悠久なブルースが身体に染みてくるのだ。

そのいっぽうで……。

奄美においては、ジャズが「滅茶苦茶早い音楽」に感じ、エヴァンスのようなハーモニーに凝ったピアノは、ものすごく硬質で冷ややかな肌触りとして感じる。

この硬質で冷ややかな肌触りは、「よそよそしさ」につながり、今の自分自身の気分や体調とはまったく関係ない、違う場所で起きている出来事にしか感じない。

つまり、私の身体には染みてこないのだ。
実感として、音が身体の中に入ってこない。
よって、音を追いかけるのがえらく疲れる。

断っておくと、私はビル・エヴァンスのファンだ。
最初に聴いたジャズもビル・エヴァンスだし、色々なジャズを聴けば聴くほど、逆にエヴァンスの良さを身を持って感じている一人なのだ。

そんな私ですら、エヴァンスのピアノが、素直にはいりこんでこない。オシャレでアタマの良い人が奏でる、オシャレでアタマの良い人のための音楽に聴こえてしまうのだ。

案の定、奄美大島ではエヴァンスやハンコックはあまり売れていないのだという。

あ、こう書くと、誤解されそうだ。
奄美大島の人がオシャレでアタマが悪いと言っているわけではないからね。

それが証拠に、エヴァンス的ではない、粋でセンスの良いジャズ・ピアニストはよく売れているそうだ。
たとえば、ウイントン・ケリー。
あるいは、ソニー・クラーク。

彼らは、ブルースの要素が強いピアニストだ。
そういえば、エヴァンスにもハンコックにもブルースは感じられない。

あのマイルス・デイヴィスだって、エヴァンスを可愛がっていたし、バンドメンバーとして重宝はしていたが、名作『カインド・オブ・ブルー』の録音では、エヴァンスにはブルースを弾かせていない。

《フレディ・フリー・ローダー》というブルース曲のみ、エヴァンスの代打としてウイントン・ケリーに弾かせたのだが、奄美大島にいると、非常にリアリティのある話として納得することが出来る。

奄美大島の空気は、ベッタリと重い。
まるで、鶏飯にかける汁のように、後になってべったりと体内の襞にまとわりついてくる。
ベッタリ&マッタリの空気に同化した自分が求めるのは、やっぱり、ブルースの要素なのだ。

しかし、私の好きなブルースは奄美大島ではシックリこなかったのも面白い。

私が愛してやまないブルーズマンは、ビッグ・ビル・ブルーンジーに、リロイ・カーだ。
しかし、そんな彼らの音楽とて、奄美大島においては、非常にスッキリ、アッサリ、サッパリと洗練されたオシャレなブルースに聴こえてしまう。

「彼らのブルースは都市型ですからね」
サウンズパルのサウンド伝道師が説明してくれる。

そういえば、ブルーンジーもカーも、東京が似合う。
風景がではない、体内で受け取る時間間隔が、東京的なのだ。

なるほどね。

東京で暮らす私は、仕事が終わり、仕事後の呑みが終わり、深夜家族が寝静まった静かで落ち着いた時間帯にこそ、ブルースを聴くものだと思っていたし、実際そうしていた。

バーボンやアイリッシュウイスキーのストレートをチビチビと舐めながら、まったりした気分で聴くからこそ、マディ・ウォーターズや、ジョン・リー・フッカーのブルースは体内にシンクロしてくると思っていた。

これらの音楽が朝から染みてくるということは、奄美大島で寝起きをすると、朝から、夜のまったりモードに身体が変換されているということになるんだね。

夜の心拍数、夜の落ち着いたまったりさ加減のスピード感。

『象の時間、ネズミの時間』で読んだ記憶があるが、動物の一生の心拍数は決まるらしい。
だとすると、都会での心拍数よりも、奄美での心拍数のほうがゆっくり。ということは、なるほど、どうりで奄美大島の住人は長生きするわけか。

「ブルース長寿法」なんてものを提唱してみようかな。

いや、やめた。
「濃いブルース」は、誰もがついてゆけるものではない。
ブルースの持つ、まったりとした心地よさは、度数とアクの強い原酒のようなもので、万人にとっての心地よさや癒しには決してつながらないのだ。

現在、私はタイのホテルでこれを書いている。
あと3時間後にはフライトで、東京には翌朝到着の予定。
あわただしい出張だった。おそらく今は、身体も心も心拍数の高い状態に違いない。

成田到着後は、そのまま仕事に向かう予定。
身体も心もテンションが上がりっぱなしだ。だから、どこかでスローダウンさせる必要がある。
仕事がはねたら、ブルースを聴こう。

まったりと、ね。

記:2005/09/06

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