カフェモンマルトル

text:高野雲

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【ブルースの歴史・5】アトランタ(1)~バーベキュー・ボブ編

      2017/05/21

1929-1938 Vol 3Barbecue Bob/1929-1938 Vol 3

>>【ブルースの歴史・4】 ブラインド・ブレイク編の続きです。

text:高良俊礼(Sounds Pal)

コロムビア

パラマウント・レコードによる、ブラインド・レモン・ジャファスンとブラインド・ブレイクの発掘/予想外のヒットは、当然のことながら市井の人々だけでなく、同業のレコード会社にも大きな衝撃を与えた。

戦前のレコード会社は、パラマウントの他、ビクター、デッカ、RCA、コロムビアといった、ブルースファンのみならず知名度のある超大手もあったが、オーケー、MGM、ヴォカリオン、ブルーバードなどといった中堅レーベルも多く割拠していた。

その中でパラマウントに対抗してブルースマンのレコードをリリースすべく、いち早く動いたのが大手コロムビアである。

が、しかし、テキサス(ブラインド・レモン)と東海岸(ブラインド・ブレイク)には、既にパラマウントの息のかかった情報提供者達が次々とブルースマンの情報を本社に流していることを考慮しコロムビアは、まだ「手付かず」だった南部の都市、ジョージア州アトランタに情報の網を放った。



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アトランタ・スタイルのブルース

アトランタ。

この都市は、開拓時代から、南西部へ繋がる土地への交通の要衝として、やがて合衆国が誕生すると共に南部一帯の主要産業である綿花市場の中心として、更には南部、西部、そして東海岸のニューヨークへと繋がる鉄道の中継都市として、南部でありながら極めて特種な「産業都市」として繁栄を重ねていた。

今の時代の人から見れば、あのコカ・コーラや、デルタ航空、そしてアメリカを代表するメディアでもある「CNN」の本社があることで有名だろう。

1996年の夏季オリンピックの開催も、記憶に新しい。

さて、1920年代には既に「南部の中でも傑出した大都市」として知られていたアトランタには、早くから発展に取り残された他地域から流れてくる労働者達が多くおり、それに伴う娯楽産業も大いに盛り上がっていた。

当然個性豊かなブルースマン達もこの地で「アトランタ・スタイル」という、テキサスともミシシッピ・デルタとも違った、独自のスタイルを築き上げ、ひとつの確固たるシーンを形成していた。

このシーンの中心となるのが、ブラインド・ウィリー・マクテルとバーベキュー・ボブである。

バーベキュー・ボブ

二人共、12弦ギターの使い手であり、重く引きずるようなブルースよりも、どちらかといえばラグタイムや、軽快なホウカム調(いわゆるポップス)のナンバーを得意としていた。

いわゆる「アトランタ・スタイル」というのは、この2人が作り上げた、12弦ギターを使い、やや洗練された軽妙な持ち味のことを云うのだが、両者の個性は実は全く違う。

コロムビアが「ブラインド・レモンの対抗馬」として、最初に目を付けたのが、バーベキュー・ボブである。

自動車工や料理人などをしながら、各地を転々と渡り歩いていたというボブの本名は、ロバート・ヒックスと言うが、料理人時代にバーベキューを焼きながら、客の求めに応じてギターを弾き、唄っていたことから「バーベキュー・ボブ」と、いつしか呼ばれるようになったという。

彼は放浪癖のある人で、アトランタを拠点としながら、その鉄道の便の良さを活かして、南部一帯を唄い歩いていた。

その足取りは、メンフィス~ミシシッピから、テキサスまで及び、トレードマークの12弦ギターは、テキサス近辺で出会ったレッドベリーから教えてもらったそうであり、また、野太い声でけれん味なく豪快に唄い上げるヴォーカル・スタイルやボトルネック・スライド、また、曲中に低音弦を「バチッ!バチッ!」と弾くパーカッシブな奏法は、ミシシッピ・デルタ近辺のブルースマン達の演奏を間近で見て覚えたそうであるので、もしかしたらかなり高い確率で、若き日のチャーリー・パットンやサン・ハウスとも交流があったのかも知れない。

バーベキュー・ブルース

ボブの奏法は、レモンやブレイクのように、超絶技巧に裏打ちされた、言ってみれば「常人離れしたもの」ではない。

例えば自身の名前をタイトルに付けた、1927年リリースのデビュー曲《バーベキュー・ブルース》は、ギターをチャカチャカ鳴らしながら唄われる、陽気でアップ・テンポな3コードブルースで、その他の曲も、とても親しみ易く、とても「ポップ」だ。

そんなボブの飾り気のないブルースは、デビューから1年の間にリリースされた9枚のSP盤が、トータルで1万枚以上も売れたというから、よほど大衆の心を掴んだのだろう(当時の蓄音機の普及率を考えれば「1万超え」というのは実に驚異的な数字といえる)。

バーベキュー・ブルース [初回限定盤]バーベキュー・ブルース

ボブの影響力

ボブは実兄の“ラフィン・チャーリー”ことチャーリー・リンカーンや、バディ・モス、カーリー・ウィーヴァーといった多くのフォロワーを生んだが、1931年、ミュージシャンとして絶頂期のある日突然、29歳の若さでこの世を去ってしまう。

余談であるが、ジョージア州アトランタといえば、サザン・ロックを代表するオールマン・ブラザーズが「一際思い入れの強い土地」としてブラインド・ウィリー・マクテルの《スティツボロ・ブルース》のカヴァーを録音したり、アトランタの異名である「ホットランタ」という楽曲も作っている。

今、私はオールマン・ブラザーズのデビュー・アルバム《オールマン・ブラザーズ》を流しながらこの文章を書いているが、ギターのフレットを根こそぎかっさらうようなデュアン・オールマンのスライドや、野太い声を目一杯振り絞るグレッグ・オールマンの歌声など、色んな部分でバーベキュー・ボブと直結する要素を感じてならない。

ちなみにロック畑では、エリック・クラプトンがアルバム『フロム・ザ・クレイドル』でボブの《マザーレス・チャイル・ブルース》を、原曲に忠実な形でカバーしている。

レコーディング・アーティスとしての活動期間は、僅か4年に過ぎなかったボブだが、その影響力はやはりデカいのだ。

>>【ブルースの歴史・6】ミシシッピ・デルタ編に続く

text by

●高良俊礼(奄美のCD屋サウンズパル

記:2015/02/22

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