オール・ブルース/レイ・ブライアント

   

ワンパターンだからこそ「必殺技」

ジャズは即興の音楽だと、よく言われている。

だから、この言葉を額面通り受け取り、テーマが終わったあとはすべて即興演奏だと思っていた私。

仮に1日に同じ曲を2度演奏したとしても、ソロの内容は、1回目と2回目とでは、まったく違っているはずだと思っていたし、違わければならないと思っていた。

だから、ジャズって凄い音楽だよなぁと思っていたし、だからみんな早死にするんだよなぁと思っていた。

しかし、すべてがそうとは限らないということを今では知っている。

もちろん、ジャズは即興の要素の強い音楽だということは確かだ。

しかし、“即興の音楽”と一言で括ってしまうには、ちょっと無理がある。

一部のフリージャズを除けば、徹頭徹尾即興なわけではなく、“即興演奏の占めるパーセンテージの高い演奏フォーマット”といったほうが正確だろう。

一人のジャズマンを好きになり、そのジャズマンのアルバムばかり買い集めているうちに、そのことは自然と分かってくる。

私の場合は、特に、セロニアス・モンク、マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーンといったビッグネームの音源は、オフィシャル・レコーディングだけでは飽き足らず、ライブの録音を音源化した未発表盤やブートレグも含めて買い漁った。

これらを聴いているうちに、同じ時期のライブ演奏を聴き比べると、彼らは同じ場所で同じフレーズを発していることが分かってくる。

テーマを吹き(弾き)終わり、その後のアドリヴの足がかりとなるキメのフレーズを吹く場合もあるし、おそらく彼らの“必殺技フレーズ”に持ってゆくための伏線や仄めかしのフレーズを吹いたりと、“全く同じではないが、全く違うわけでもない演奏”を聴いているうちに、なんとなくソロ奏者の意図のようなものがおぼろげながら見えてくるようになった。

要するに、自分のソロパートは最初から最後まですべて決めて演奏しているというわけではないにしろ、なんらかのアドリヴを取る際のガイドラインや未来設計図は、頭の片隅に描いているに違いないということ。

もちろん、この設計図は人によって異なるのは言うまでもない。

ロリンズのように、かなりアバウトにその場の空気次第でいかようにも展開を変えてゆくタイプ。

マイルスのように、きちんとクールな「オチ」を用意しておくタイプ。

コルトレーンのように、最近練習したスケールやフレーズを、演奏中の特定の箇所で試してみようというタイプ。

マクリーンのように、このフレーズだけは吹いておきたい!という空気が漂い、数秒前から「お、そろそろ出るかな?」と先を読まれてしまうタイプ(そこがいいんだけど)。

アルバート・アイラーのような天然タイプ。

べつにジャズをやっていなくても、言葉の訓練を一応は受けている我々においても同じことが言えると思う。

文章を書くときや、会話をするとき、人前でスピーチをするときなどがそうだ。

たとえ、即興で会話をしているつもりでいても、心のどこかでは無意識に「話のおとしどころ」や「話の流れ」、そして次に喋る内容を意識しているはずだ。

それは我々が言葉の学習と訓練を一応受けてきた成果の賜物だが、同様にジャズマンの場合は楽器を自在に操るトレーニングをしているわけだから、ジャズマンのアドリヴに臨む際の思考パターンは、我々の会話と結構似ているかもしれない。

もっとも、「会話」というと語弊があるかもしれない。

一応は人前で“聴かせる”プレイをするわけだから、内容のあるものにしなければならない。

そういった意味では、会話というよりは、スピーチのほうが近いのかもしれない。

スピーチは人前で話すわけだし、人前で話す以上は、面白い内容、タメになる内容、ウケる内容を話そうとるするのが人情だからね。

我々は話し言葉の中に口癖の一つや二つ持っているし、よく口にする言葉と、あまり口にはしない言葉がある。

同様に、ミュージシャンも口癖を持っている。

自覚的に「この口癖を演奏するとカッコいい」と思って使っているフレーズもあれば、無意識に手癖で出てしまうフレーズもある。

我々は、このフレーズを好きになったり、嫌いになったりしながら、好みのジャズマンを見つけたり、ジャズを聴く楽しみを見出す。

もちろんフレーズだけがジャズのすべてではないこと言うまでもない。

「音色の良し悪し」というフレーズ以上に大きな要素もあるにはあるが、フレーズの内容もミュージシャンの個性をあらわす大きな要因には違いない。

我々は、会話の中で使う「殺し文句」的なものや、「得意とするたとえ話」の一つや二つは持っていると思う。

同様にジャズマンも、自分の中の引き出しに、いくつかの「必殺フレーズ」をストックしている。

このストック・フレーズを出したり出さなかったりを、演奏中にその場の瞬間瞬間の判断で別行っている。

その場その場で判断して、引き出しの中のストックを瞬間的に選別し、なおかつ表に出す行為。これも、ある意味即興演奏だと思う。

ジャズが即興の要素の強い音楽だというのも、そういった意味ではうなずける。

プロレスラーやウルトラマンのようなヒーローは、必ず技を持っている。

誰もがわかるようなベタな大技から、マニアがニヤリとするような小技まで。

観ている我々は、それらの技がどういう局面でどのようなタイミングで繰り出され、相手にどのようなダメージを与えたり与えなかったりするのかを心待ちにするように、ジャズマンの“必殺技”を知れば、それが曲のどのような場所で、どのようなタイミングで放たれるのかを心待ちにするという、楽しみ方も出来る。

特に、個性の強いジャズマンは“必殺技”を発見しやすいし、スタイルをめまぐるしく変えてゆくジャズマンは、ある時期を境に、ぴたりと聴きなれたフレーズを使わなくなったりもするので、興味深い上に、聴く楽しみもまた増える。

ところで、レイ・ブライアントの《Cジャム・ブルース》は、彼が弾くアドリブをも含めて、すでに一つの曲になってしまっていると思う。

『コン・アルマ』というアルバムの《Cジャム・ブルース》と、それから17年後に吹き込まれたのパブロの『オール・ブルース』に収録されている《Cジャム・ブルース》を聞き比べてみると良い。

ほとんど同じだ。

テーマの後の展開、フレーズの出し方も、かなり厳密に決められている、というよりも、レイ・ブライアントの手癖と常套句で最初から最後まで固められていて、これはもう、すでにアドリブをも含めたレイ・ブライアントの曲といっても過言ではない。

パブロの『オール・ブルース』は、その名の通り、ブルースで埋め尽くされたアルバムだ。

もちろん、タイトルの《オール・ブルース》も演奏されている。

ゴスペルタッチの重厚で豊かな和音で奏でられるブルースは、レイ・ブライアントならではの持ち味だが、何曲もブルースが続くと、やはりちょっと辛いというか金太郎飴な感じは否めない。

本人は曲によって、アプローチを変えているんだろうけれども。

アプローチが同一な《Cジャム・ブルース》を聴くと、間違ってもジャズは即興の音楽だとは言えなくなる。

しかし、即興性が無いということが、レイ・ブライアントのピアノの価値を下げるものでもない。

演奏そのものは上質。上質な演奏内容だったら、何度再現されても微妙なニュアンスの違いを聴きとる楽しみが出来る。

同じフレーズ、同じ演奏展開でも、まったく同じニュアンスでの再現は二度と出来ないからだ。

それに、両盤は、パーソネルも違うし、演奏速度も微妙に違う。

顕微鏡的、瑣末な楽しみ方だが、ジャズには、こういう聴き方の楽しみもあるんだよ、ということで。

記:2003/09/17

album data

ALL BLUES (Pablo)
- Ray Bryant

1.Stick With It
2.All Blues
3.C Jam Blues
4.Please Send Me Some One To Love
5.Jumpin' With Symphony Sid
6.Blues Changes
7.Billie's Bounce

Ray Bryant (p)
Sam Jones (b)
Grady Tate (ds)

1978/04/10

 - ジャズ