カフェモンマルトル

text:高野雲

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ベース・エレクトリック/今沢カゲロウ

      2017/05/23

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たまに主役だからこそ光る存在

ベース忍者・今沢カゲロウの演奏には、いつも度肝を抜かれる。
しかし、感動したことはない。

私はベースは主役楽器たりえないと常々思っているが、その考えを彼の演奏が逆説的に証明してくれていると思う。

もちろん、ベースは伴奏に徹してればイイんだよ、とまでは思っていない。

たとえば、10曲収録されたアルバムの中でも1曲ぐらいは、ベースをフィーチャーし、ベースがテーマ、ソロを取るアレンジがあってもいいと思うし、ポール・チェンバースの名盤『ベース・オン・トップ』のように、全面的にベーシストの個性を前面に押し出すような企画アルバムも嫌いではない。

映画のスピンオフ企画や、人気ドラマなどで、たまには脇役が主役を演じる1話があっても、時には面白いし、新鮮だとは思う。

ビートルズだって、たまにリンゴ・スターが《ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ》を歌うからこそ、この歌を愛おしく感じるのだ。

ごくたまに主役を張るからいいのであって、脇役が主役を食いっぱなし状態が続くと、ちょっとツラい。

脇役と主役のバランスが、ごくたまに崩れるところがポイントなわけで、このバランスが逆転してしまうと、本末転倒だ。

リンゴ・スターがメインヴォーカルを張る『サージェント・ペパーズ』は、あまり聴きたくないし、真下正義(ユースケ・サンタマリア)が主役となって毎回大活躍する『踊る大捜査線』も興ざめだ。

ベースもそう。

バッキングに回り、いぶし銀の個性を放つことこそ、ベーシストの本壊だと思うんだけど、いまどきこのような考え方は古く、保守的過ぎるのだろうか?



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ベース弾きだって「全部ベースのみ」はツラい

もちろん、例外もあって、デイヴ・ホランドの『エメラルド・ティアーズ』(ECM)や、北川潔の鋼鉄の指が奏でる『ソロ』のように丸ごと1枚ウッドベースのソロといった作品は、しばしば聴く。

ただし、最初から最後まで聴くことはほとんどない。

せいぜい、3~4曲でストップといったところか。

ウッドベースは音色に深みがあるので、フレーズのみならず、fホールより発せられる空気の振動をまでも含めた音色をも楽しめるのだが、エレクトリックベースとなると、もうお手上げで、せいぜい1曲聴けばゴチソウサマ!なことが多い。

それは、ジャコ・パストリアスの演奏ですらそうなのだから。
ジャコのソロベースのライブアルバムも出ているが、これを正直、最初から最後まで聴きとおしたことはない。

ベースを弾く私ですら、そうなのだから、ベースを弾いていない人にとってはどうなのだろう?

あのジャコですら、ベース1本で40分、いや、20分も鑑賞に耐えられる表現をしていないのだから(もっともあのライブ盤は絶頂期じゃない時のパフォーマンスだったということもあるのかもしれないが、やっぱりジャコのソロは、ウェザーやワード・オブ・マウスのライブのオマケコーナーだけでいいと思う)、たとえベーシストのテクニックがどん なに素晴らしくてもやっぱり途中で「やーめた、続きは後日!」となってしまう私。

ベースという楽器の限界

ベース忍者の異名をとる、今沢カゲロウとて例外ではない。

日本のみならず、ヨーロッパ方面でも抜群な人気を誇り、聴衆を熱狂の渦に巻き込むだけの技量を持つ彼。

残念ながら私は生のパフォーマンスに接したことはなく、せいぜいYouTubeでの演奏映像を観た程度なので、そこまで夢中にはどうしてもなれないのだが、ものすごいテクニックの持ち主だということは分かる。

卓越したアイデアとトリッキーな奏法、どんなに難しい演奏も楽々こなしてしまっているように見える余裕綽綽ぶり。

とにもかくにも、“テクニックだけ”で聴き手を圧倒する技量を持っているベーシストだということはたしかだ。

私は彼のアルバムを何枚か持っているのだが、心の底から感動を覚えたことは残念ながら一度もない。もちろん「すごいなぁ!」と感心し、まるでスポーツ観戦をしているときのような興奮は味わえる。しかし、結局のところ、ギミックミュージックの集積という感じで、その「すごい!面白い!」という感心は、手品やサーカスを観たときの驚きとビックリと同じ。

あまり「音楽」を聴いているという気にならないのだ。

もちろん、今沢カゲロウのファンは、その興奮と快感が好きなのだろう。

しかし、どんなにデジタルディレイ、リヴァーブ、リズムマシン、サンプラーなど幾多の機材を縦横無尽に使いこなし、凄いテクニックでバリバリと弾いたところで、もちろんカッコ良さと、スゲーっ!な感心はあるが、それ以上のものは残念ながら感じられない。

もっとも、感動はしないが感心する演奏はある。

『ベーシスト、エレクトリック』の中では、ブルーベックの変拍子名曲《トルコ風ブルーロンド》、ロシア民謡の《カチューシャ》など、圧倒的なテクニックで弾きこなしてしまうところなどは、ただただ唖然、うおー、すげーなぁ!ではある。

しかし、アルバム1枚を通しで聴く気にはどうしてもおきない。

これが今沢カゲロウの限界、ではなく、ベースという楽器の限界、なのかもしれない。

エレクトリックベースは歴史の浅い楽器だから、まだまだ可能性が残された楽器だ。

多くのベーシストの常套句ではあるが、エフェクトをかけたり、ソロ演奏をしたり、多重録音をしたり、デジタルディレイで反復される自分の音に合わせて弾くことだけが、ベースの可能性を拓く行為だとは思えない。

むしろ、アンソニー・ジャクソンのように6弦楽器としてのベース(彼はコントラバス・ギターと呼んでいる)のクオリティにこだわり、メーカー(フォデラ)に納得いくまで発注や注文を繰り返し、少しずつ楽器としての精度と性能をチューンアップしてゆくことにこだわっているベーシストのほうにシンパシーを感じる。

そして、アンソニーは、決してベース1台でのソロアルバムを作ったりはしない。
「ベース」を知る以前に、「音楽」を分かっているからだと思う。

そんなアンソニー・ジャクソンが好きな私は、やはりベースはバッキングに回ったときの個性の発揮ぶりが好きだ。

料理でいえば、鉄板焼の「紅花」や、沖縄の国際通りにあるステーキ屋さんのように、目の前で派手で華麗なパフォーマンスしてくれなくてもいいから、そのかわりに、我々の目の見えないところで、じっくりと良質な素材を吟味して、作り込まれた料理を味わいたいのだ。

だから、今沢カゲロウのアルバムの多くはソロで演奏されているが、普通の編成(つまりドラムやギターやキーボード、サックスなど)でアンサンブルしたときのバッキングっぷりも聴いてみたい!と強く思うのは、きっと私だけではないだろう。

記:2009/02/18

album data

BASSIST,ELECTRIC (Kingrecords)
- 今沢カゲロウ

1.Kurt Weill No Kagami
2.Bassist, Electric #01
3.Blue Rondo A La Turk
4.Fabricio
5.Katyusha
6.Morpho Raito
7.Full Moon
8.Electric
9.Dream Speed
10.Grand Cross
11.Moon
12.Electricity
13.Bad And Beautiful
14.Sahara Gin Ari No Jikan

Quagero Imazawa (b)

2008年

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